まあ、もうひとつ例を出しておこうかな。たとえば、言霊主義者がほんとうに言霊の力を信じているのであれば、光熱費なんて気にする必要がないのである。
カネなら、いくらでも出てくるからだ。「カネが出てくる」と言えばいい。
けど、今回は、室温について言いたいのである。
言霊主義者なら、言霊でいかようにも、室温をかえることができるので、暖房機も冷房機も、両方こなせるエアコンも必要がないのである。
冬になって暖房機やエアコンの暖房機能が必要なのであれば、それは、物理原理に頼り切っているわけで、言霊原理にはまったくたよっていないということになる。夏になって、冷房機やエアコンの冷房機能が必要なのであれば、それは、物理原理に頼り切っているわけで、言霊原理にはまったくたよっていないということになる。
夏でも冬でも、「この部屋の室温は二五度になる」と言えば、それで、二五度になるのである。
言えば、言った通りになるというのが、言霊主義者の主張だからだ。
そして、自分は、言霊を使える人間だと思っているのが、言霊主義者だからだ。
言霊主義者なら、言うだけで、自由に、室温を設定できるので、なにも、エアコンやその他の機器による必要がないのである。
そして、エアコンやその他の機器にたよるのであれば、どうして、自分は言霊の力を使うことができないということに気がつかないのか。
暖房機、冷房機、エアコンには、しくみがある。
そのしくみというのは、物理法則にしたがった、しくみなのである。その物理的なしくみをもちいて、室温をあげたり、さげたり、しているのである。「言えば言った通りになる」というのであれば「一秒以内に、この部屋の室温は二五度になる」と言って、室温を調整すればいいではないか。なぜしないのだ?
言霊主義者といえども、「言ったって、言った通りにはならないことを知っているからだ。
知っているのである。
知っているから、「言うことで」室温を調整しようとしない。
しかし、「言えば言った通りになる」「自分は言霊の力を使える」という(矛盾した)信念をもっているのである。行動と信念が一致していない。
さらに、行動と信念が一致してないことに、言霊主義者が、気がつかないのである。
こんなの、ない。
* * *
まあ、「夢がかなう」と言えば、夢がかなうという信念を持つことには、異議をとなえるつもりはない。
問題なのは……そういうことではなくて……「自分は言霊の力を使える」という前提で「言えば言った通りになる」などと他の人に言うことなのだ。
「他の人は、できないからダメなんだ」ということになってしまう。
たとえば「ヘビメタが鳴りやむ」と言えば、鳴りやむのである。「眠れると言えば、眠れる」のである。「できる」と言えば、できるのである。
自分はそういうこと……言霊で現実化することができるけど、エイリはできないという前提で、エイリのことをバカにしてくるのである。
言霊主義者は、「自分ならできると思っている」のだけど、ほんとうは……言霊主義者だって……できない。
言霊の力を使うことなんてできないことなのだ。ところが、すっかりその気になって「自分ならできる」という前提でものを言ってくる。
だったら……言うだけで、室温をかえてみろ!!
言うだけで、目のまえにコーヒーカップに入った熱々のコーヒーを出してみろ!!
ほんとうは……言霊の力なんて、使えないのに……使えるつもりでいる。
しかも、現実の場面では、普通に物理法則にしたがった機械を使って問題を解決しているのに、そういう認識がないのである。
なんで、エアコンのスイッチを入れるとき、「自分は言霊ではなくて、エアコンで、室温の問題を解決しようしている」ということに、気がつかないのか?
「二五度になれと言っても、二五度になるわけがない」と思っているから、言霊の力を使おうとしないのだ。 なぜ、気がつかないのか?
* * *
きちがい親父やきちがい兄貴というむずかしい環境(条件)をかかえてしまうと、やられた俺が、他の人から悪く言われるようになるのだ。きちがいヘビメタ騒音が問題になるのは、よそのうちでは絶対に鳴らないような音が、うちで常に鳴っているからなんだよ。
そして、ヘビメタ騒音の影響をうける。
ところが、言霊主義者は、「言霊の力を使えば、影響をうけないことが可能だ」と言うのだ。「言霊で現実をかえることができる」と言うのだ。「自分はできる」と言霊主義者が言う。
自信満々だ。
「できない」なんてことは考えていないのだ。
……(こういう設定で)(こういうことを言われると)(言われた相手が)どれだけこまるかわかってないなぁ。
……こいつら、ほんとうに、わかってない。
普通の人にはない、悪い条件をかかえている人が、言霊主義者から、あたかも、言霊で問題を解決することができるということを言われると、こまるのである。
悪い条件をかかえてない人は、たいしてこまらないけど、悪い条件をかかえている人はこまるのである。
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言霊主義者の自信がどこからくるか言っておこう。
たとえば、「室温が二五度になる」と言って、エアコンのスイッチを入れて、室温が二五度になったら、「室温が二五度になると自分が言ったから二五度になった」と思っているから、自信をもっているのだ。
ほんとうは、物理法則にしたがった機器を使って、二五度にしたのに、それは無視して、「自分が二五度になると言ったから、二五度になった」と思っているのだ。
こいつらは、誤解をしているだけなのに、自信満々で威張っている。
自分にはできるけど、エイリにはできないと優越感を感じている。
「言った通りにならない人は、言い方が悪いから、言ったと通りにならないのだ」とこれまた、自信満々で言ってくる。
「自分は言うだけで現実をかえることができるのに、エイリは、言っても現実をかえることができないので、自分のほうがすぐれている」と思っているのだ。
自分は言霊の力を使える人間だけど、他の人は言霊の力を使えない人間だ」とか「自分は言霊をうまく使うコツを知っているけど、他の人は言霊をうまく使うコツを知らない」とかと思っているのだ。
けど、言霊主義者だって、言霊の力を使って、室温を二五度にすることはできない。
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言霊主義者の感覚は、幼児的万能感から出てくる感覚だ。
たとえば、自分が「明日は雨がふる」と言ったとする。そうしたら、雨がふった。だから、言霊(理論)は正しいと考えているだけだ。言えば、言ったことが現実化すると考えているだけだ。
自分が「明日は雨がふる」と言ったとする。それでも、雨がふらなかったとする。そうしたら、言霊(理論)は正しくないと考えないのだ。言霊(理論)ことは無視する。無視したので「言えば、言ったことが現実化する」という考え方は、否定されない。「言えば、言ったことが現実化するという考え方は正しい」と思ったまま暮らせる。……無視したから……。現実を無視すると、自分の考え方を脳内で保持することができるのだ。けど、これは、幼稚な態度だ。
人間の思考の型がこれなのである。だから、たいして疑問を感じない。疑問をもたない。いろいろなところで、この考え方に抵触する事実は無視されるので、この考え方は脳みそのなかに残ったままになる。正しいこととして、脳みそのなかに残ったままになる。
はっきり言ってしまうと、ぼくだって、言霊感覚?はある。ぼくも幼児期を経験した人間なので、幼児的万能感の影響下にある。幼児的万能感にしたがって現実を無視する率が、言霊主義者より小さいだけだ。ようするに、ぼくのほうが、現実をよく見ているのである。
言霊主義者は、現実を無視してしまう。気がつかない。言霊なんて成り立ってないということに気がつかない。そして、気がつかない自分のことがわかってない。気がつかない自分に気がつかない。
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たとえば、人工知能を搭載したエアコンができたとする。まあ、いまでもあるんだけど……。ともかく、「室温を二五度にして」と言えば、その音声の意味を(いちおうは)理解して、自動的に室温を二五度にするように設定してエアコンが起動する。言霊主義者は、「言ったことが現実化した」「言った通りになった」と思うだろう。「言えば、言ったことが現実化する。これは正しい」と思うだろう。「自分が言ったから、言った通りになった」と思うだろう。けど、これは、言霊なんて関係がないことだ。言霊の力で室温が二五度になったわけではない。ところが、言霊主義者は、言霊の力で室温が二五度になったと勘違いてしまうのだ。そーーだーーいーーな、勘違いだ。勘違い。勘違い。理由についてまちがった考え方をもっているのである。