自分が階段から落ちて、足を骨折した場合は、階段から落ちたという過去の出来事が、影響をあたえて、骨折したという認知・認識が成り立つのだ。そして、足を骨折したあと、1秒後には、足の骨が折れている状態なのだ。
これは、骨折したという過去の出来事が、現在の状態に影響をあたえているということだ。
だから、本人の身に起こったことについては、「過去が現在に影響をあたえる」とか「過去の出来事が現在の状態に影響をあたえている」とかと思っているわけだ。「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と思っているわけではない。
自分のことなら、この通り、過去を重視した考え方を採用しているのである。
けど、ひとごとになれば、話がちがう。「過去は関係がない」と言い「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と言ってしまう。
問題なのは、自分の認知・認識に問題がないと思っていることなのだ。ようするに、矛盾を感じていない。矛盾を感じるべきだ。
「それから、ヘビメタ騒音の話を俺がだれかにしたとする。そのだれかが「過去は関係がない」「過去の出来事は現在に影響をあたえない」と言ったとする。
そして、宣言によっていくらでも自分の状態をかえられると言ったとする。ようするに、言えば言ったことが現実化するので、言えば、現実がかわるのである。言っただけで、現実がかわるのである。そういうふうに思っているからそういうふうに言ったとする。
そして、ぼくが、「過去は関係がある」「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえる」と言ったとする。そうすると、こういうやつらは、不機嫌になるのだ。
しかも、こういうやつらは、普段から「すべては受け止め方の問題だ」とか「 すべてに感謝すればいい」というようなことを言っているやつらだ。
それなら、「いい話を聞いた」と思えばいいだろ。「自分の間違いを指摘してくれありがとう」と感謝すればいいだろ。ところが、「いい話を聞いた」と思わずに、「なんだ、あいつは」とおこるのだ。「せっかく、元気づけてやろうと思って、言えば言ったことが現実化すると言ってやったのに、批判をするとはなにごとだ」と腹をたてるのだ。
宣言でいくらでも自分の状態をかえることができるのだから、腹だたしい気持ちになったら、即座に「楽しい」と宣言して、楽しくなればいいだろ。
ところが、こいつらは「なんだ、あいつは……」としばらくのあいだ、腹をたてたままなのである。この腹をたてたときの感情が、続くことがある。
ぼくに対して、いい感じをいだかなくなるのだ。
だったら、過去の出来事は、現在の状態に影響をあたえているということになる。