きちがい兄貴のことも、きちがい親父のことも、つぎからつぎへと、不愉快なことがおおいかぶさるように発生する。あいつらは、知らんぷりだ。知らんぷりで、きちがい的な意地で、きちがい的な感覚で、よそのうちではありえないような、きちがい行為を、する。絶対の意地でする。きちがい感覚が成り立っているから、他の人にはわからない。脳みそがおかしいから、自分が意地をはって、猛烈ないきおいで、きちがい行為をしているということを、否定してしまう。だったら、やめてくれればいいのだけど、きちがい的な意地でやってしまうことと、やったことをきちがい的な意地で否定してしまうことが、セットなんだ。ひとつのセットなんだよ。おなじ構造から出てきていることなんだよ。きちがい的な意地でやりきることと、きちがい的な意地でやりきったことを否定することが、セットなんだよ。だから、きちがい行為を、まるで気にしないでやり続けることができる。脳みそがそういう脳みそだから、ある条件が成り立つと、常にそうするんだよ。これも、よその人が、まったくわかってないことなんだよな。ある条件のなかには、「うちのなかでやること」という条件もある。これが、無意識的に影響をあたえている。きちがい的な意地でやることは、きちがい的な意地でやるけど、きちがい的な意地でやったということを「認めない」のである。認めないことまで含めて、一セットなんだよ。
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親父のネズミ事件だって、きちがい親父が、きちがい的な意地で、魚の粕漬を、ほぼ、一日中、だしっぱなしにするというところから始まった。起点は、そこなんだよ。まあ、もっとも、こっちがたのんでないのに、お勝手のゴミを、毎日、物置のゴミ袋に移動するということが、本来の起点なんだけどな。これで、物置に、ネズミをおびき寄せていた。問題なのは、勝手に思いついたことを、こっちが、修正できないということだ。親父が普通の人だったら、「くさいから、魚の粕漬を出さないでくれ。冷蔵庫にしまってくれ」とこっちが言えば、それで、すむんだよ。ところがすまないわけ。そして、お勝手のゴミ袋に入ってるゴミを、わざわざ、物置に置いてあるごみ袋に移動するということだって、きちがい親父が勝手に思いついたことなんだぞ。そして、俺が何回も何回も何回も、「そんなことはやらなくていい」と言っていることなんだぞ。ひとこと「それはやらなくてもいい」と言ったら、引きさがれ。ひとこと「それは、やらなくてもいいからやらないでくれ」とこっちが言ったら、親父が「ああ、そうか」と認めて、やらないようにしてくれれば、それですむことなんだぞ。けど、絶対の意地でやってしまうことなんだよ。そして、これが、きちがい親父のなかでは、「俺のためになること」なのである。きちがい親父のなかでは、お勝手のゴミ袋に俺がいれたゴミを、親父が物置のゴミ袋に移動してやると、俺がよろこぶと思っているのだ。それを、俺がどれだけ何回、何十回否定しても、きちがい親父のなかでは、ずっとそういうことになっていて、自分がやってやれば、俺(エイリ)がよろこぶという考えが、消えないんだよ。こんまけして、ゆるしてしまうと、かならず、いやな目にあうんだよ。家のなかにネズミが入ってくることの導火線になるなんて、思いつきもしないだろ。そんなのは、考えてないことなんだよ。明るいことを考えると明るいことが起こり、暗いことを考えると暗いことが起こる」などと言っている人がいるけど、うちではちがう。暗いことを考えなくても、きちがいが、きちがい行為をして、暗いことが発生してしまうのである。おまえら、説明できないだろ。どうして、暗いことを考えてないのに、暗いことが発生するんだよ? おかしいだろ。この、きちがい親父がかかわると、かならず悪いことが発生するというのは、事実なのである。俺の妄想じゃないのである。よその人が、やらないことなんだよ。よその人がやらないのには、それなりに理由があるんだよ。きちがい親父が、お勝手をきれいにしてやったほうが、俺がよろこぶだろうときちがいてなことを思いついてしまうことが、ダメなんだよ。普通だったら、「やめてくれ」とか「やらなくていい」とかとひとこと言えば、それで解決してしまう問題なんだ。ところが、ネズミの侵入、ネズミの糞、ダニの大発生、ネズミ対策工事のトラブルと、いろいろなことが発生してしまう。
きちがい兄貴のヘビメタ騒音も、普通の人がやらないことなんだよ。きちがい兄貴が追い付いちゃったら絶対にやることなんだよ。そして、こっちが、どれだけ「うるさい」と言っても、「うるさい音で鳴らしている」という根本的なことを認めないんだよ。だから、よそのうちではない、非常識なことになるんだよ。よその人は、そういう家族といっしょに住んでいないし、そういう家族が実際にやることで、こまったということがないんだよ。だから、昨日書いたように、いろいろな誤解をすることになるんだよ。耳が正常なら、絶対に「でかい音で鳴らしている」ということがわかるのに、きちがい兄貴の脳みそが、きちがいおやじ型の脳みそだから、絶対の意地で認めないのである。そして、絶対の意地で認めないということも、無視してしまうのである。本人が無視していたら、どれだけきちがい的な意地でやったことでも、やってないことになってしまうんだよ。
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兄貴は別に、俺のために、ヘビメタを鳴らしてやろうと思って、ヘビメタを鳴らしたわけではないよ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴のなかの理由で、ヘビメタを鳴らしたくなったから鳴らした。けど、やり方が、おかしい。ほんとうに、うちでなければならせないような音で鳴らした。ようするに、うちでなければならないようなでかい音で鳴らすことに、いのちがかかっていたのである。きちがい親父がへんなことを思いつくのとおなじで、きちがい兄貴は、(よそのうちの人がやらないような)へんなことを思いつくのである。それが、「思いっきり」「なにを言われようが、気にしないで」きちがいヘビメタを「満足できる音」で鳴らすことだった。だから、自分が「満足できる音」で鳴らした。しずかにするわけがないのである。しずかにしたら「満足できない音」になってしまう。
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きちがい兄貴がでかい音でヘビメタを鳴らし続けたということを(ほかの人に)説明するわけだけど、音のでかさと時間の長さと期間の長さについて説明すると、俺の説明を信じない人が三割ぐらいは、いる。
この人たちは、俺のことを、性格に問題がある嘘つきだと断定してしまう。これだって……こういうことだって、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、「でかい音で鳴らしている」ということを無視して鳴らさなかったら、しょうじなかったことなんだよ。兄貴の感覚のズレが、他の人にはわからない。
だから、俺が嘘を言っているということになってしまうのである。……俺の説明を信じない人のなかでは、俺が嘘を言ったということになってしまうのである。
どうして嘘を言ったかというと、その人たちの頭のなかでは……エイリに性格の問題があるから、嘘を言っているということになってしまうのである。
そして、エイリの兄は、ほんとうはそういうでかい音で、ヘビメタを鳴らしてないということになるので、ヘビメタ騒音からしょうじた(僕の側の)問題は、エイリがもともと持っている問題だということになってしまうのである。
たとえば、遅刻をするとか、宿題をしないということだ。これは、きちがいヘビメタが長時間鳴っているから、しょうじていることなんだよ。
そして、この人たちの頭のなかでは……ヘビメタ騒音はほんとうはそんなにでかい音で鳴ってないということになっているので……エイリがお兄さんのせいにしているということになってしまうのである。
お兄さんは、ほんとうはやってないのだから、エイリが、ほんとうはやってないお兄さんのせいにしているということになってしまうのである。
こんなの……。こんなの、悪意を持った人しか考えつかないことだ。けど、普通の人が、こういうふうに考えてしまうのである。約三割と書いたけど、ほんとうは、約四割の人だ。
きちがい兄貴のほうに、他の人たちが信じられないようなずれがあると、他の人は、必然的に、理論的に誤解をするのである。こんな現実が、おもしろいわけがないだろ。こういう人たちといっしょにいて、おもしろいはずがないだろ。
けど、こういう人たちのまえで、うかない顔をしていると、うかない顔をしているのは、エイリの「こころの問題」だということになってしまうのである。
もともと、ヘビメタが鳴っているから、不愉快な顔にはなる。そりゃ、そうだろ。あたりまえのように、自分の勉強時間が破壊されているんだぞ。きちがいヘビメタが鳴っていたら、宿題のような簡単な勉強だってできない。きちがい兄貴にどれだけ言ったって、きちがい兄貴が、きちがい親父のように、まったく理解しない状態で鳴らしているんだぞ。腹がたつだろ。腹がたった顔になるだろ。鳴らされているあいだ腹がたっているのだから、腹がたっている顔になるだろ。そして、鳴らされているさいちゅう……次の日のトラブルが予想できるのだから……不安になるだろ。そして、また、腹がたつだろ。そして、きちがい兄貴に、「宿題をするからやめろ」「しずかにしろ」と何十回、言っても、きちがい兄貴が、きちがい兄貴のくそ頭を搭載していて、きちがい兄貴のくそ頭の命令に従って、「自分の満足できる音」で鳴らしているので、やめない。腹がたつだろ。
何度も言うけど、俺が、こういう暗いことを考えたから、きちがい兄貴がヘビメタを、きちがいおやじがほかのことでやるのとおなじやり方で、やりはじめたわけではないのである。なので、思霊の人たちは、ぼくのことを、不必要にディスっていることになる。なんで、まちがった原因を考えて、勝手に断罪して、勝手に、エイリのせいにするのだ。どうして「エイリがヘビメタが鳴るという暗いことを考えたから、暗いことが現実化した」と考えるのだ。こんなのはおかしい。勝手に、へんな理由を考えて、断罪し、俺のせいにしてしまうのである。人のせいにしているのは、思霊の人たちだ。
そして、「そんな音で鳴っているはずがない」と思う人たちだって、勝手に俺を嘘つきにしたてあげて、勝手にきらいになって、勝手に攻撃をしはじめる。いろいろと、言葉で、攻撃しているよ。それは、「そんな音で鳴っているはずがない」ということが、真実なら、(その人たちのレベルで)あたりまえのことなのだろうけど、「そんな音で鳴っているはずがない」ということが、真実ではないので、的外れな攻撃だということになる。的外れな攻撃なら、よいのかというと、よくない。的外れな攻撃でも、俺にあたってないわけではなくて、俺にあたっている。原因についての思考が的外れなのだ。バカだから勝手に、推測して、事実だと断定してしまうのである。こういう要素がある。きちがい的な家族がやることは、きちがい的なことだから、ある意味、普通の人が信じないことなのである。だから、きちがい的な家族にやられた人が、普通の人から、攻撃されることになる。言葉の攻撃だけど、誤解がかかわっているぶんだけ、こたえるのである。きちがい家族にやられ、普通の人から誤解の攻撃をうけるわけだから、たまったもんじゃない。