まず、きちがい兄貴が、普通のうちでは鳴らせないような音で、思いっきりヘビメタを鳴らしたいと思うわけだ。
けど、普通のうちでは鳴らせないような音では、鳴らせないので、普通のうちでは鳴らせないような音で鳴らしているのに、普通のうちでは鳴らせないような音で鳴らしているわけではないと思うことにしたのだ。
これが、無意識的な過程で起こることで、無意識的にはそういうふうにしているのだけど、意識的にはそういうふうにしているという気持や感覚がない。
ようするに、認識がない。この認識は、自分が認識してはならない認識なので、普通に言われたって、発狂してはねのけてしまう。何度言われようが、認めるわけにはいかない。どうしてかというと、自分が普通のうちでは鳴らせないようなでかい音で鳴らしているということを認めてしまったら、普通のうちでは鳴らせないようなでかい音で、鳴らせなくなってしまうからだ。だから、普通のうちでは鳴らせないようなでかい音で鳴らしているという認知は、ぽっかりと穴があいた状態になる。ようするに、生きて、覚醒して活動しているわけなのだけど、その認知だけは、どれだけ認知しようにも、認知できないということになる。基本的には、無視をして、鳴らしてしまう。「でかい音で鳴らしている」ということを言われても、それは、頑固に無視して、「でかい音で」鳴らしてしまう。でかい音で鳴らすために、認識の穴をつくったわけだから、言われたって、認めないのだ。
こういうことの頑固さは、普通の頑固さではないのである。無意識がかかわっている頑固さというのは、意識がかかわっている頑固さとはちがうのである。質的にちがうのである。けど、無意識に問題がある家族といっしょに住んだことがない人は、無意識に問題がある家族のことが、よくわからない。無意識に問題がある家族といっしょに住んだことがない人は、無意識に問題がある家族のことを理解しないのである。