2024年12月9日月曜日

「ゴミ拾いをするとしあわせになる」(3)

  「法則性がある」と言った時点で、個々人がかかえる特殊な条件というのは、捨象されてしまう。

ところが、個々人がかかえる特殊な条件が、生活感に影響をあたえているのである。

なので、たとえ「法則性がある」と思っている人が、「法則性がある」と言っても、言われたほうの条件が、かわるわけではない。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。 Aさんはボロボロな経歴を持つボロボロな50歳のアルバイターだ。Bさんは「ゴミ拾いをするとしあわせになる」ということを、信じている人だ。

Bさんにとっては、「ゴミ拾いをするとしあわせになる」ということは、法則性があることなのである。

なので、高いところで、抽象化すると、Aさんも、ゴミ拾いをすることによって、しあわせになるはずなのである。Bさんは、法則性があると思っているのだけど、法則性なんてないのだ。

ゴミ拾いをしても、しあわせになれない人が、ざらにいる。

これは、そもそも、「ゴミ拾いをするとしあわせになる」という文であらわさることには、法則性がないということを意味している。

そして、Bさんは、Aさんの条件を無視している。Aさんには、語られるかどうかは別にして、さまざまな条件が成り立っているのである。おぎゃーとうまれた瞬間から、いろいろな条件が成り立っているのである。いや、おぎゃーとうまるまえから、いろいろな条件が成り立っている。

母親のおなかのなかにいたとき、だれかが母親のおなかを強くぶんなぐれば、母親のおなかにいる子どもが物理的な影響をうける。生まれるまえから、じつは、物理法則は影響をあたえている。

おなかのなかにいる子供がAさんだとする。まだ、母親のおなかのなかにいたAさんが、なぐられたことによって、生涯続く障害が発生したとする。うまれてきたAさんが、この障害を「ゴミ拾いをすること」によってくつがえすことができるかというと、できないのである。

Aさんが障害をもって、生まれてきたせいで、いろいろな不愉快な思いをしたとする。それを、ゴミ拾いをすることによってくつがえすことができるのか? ということなのである。ぼくが言いたいのは、そういうことだ。

Aさんの身のうえに、50年間、いろいろな出来事が降りそそいだとする。Aさんが、いろいろな出来事を、いろいろな不幸な出来事ととらえているなら、いろいろな不幸な出来事が降りそそいだということになる。

不幸な出来事がたくさん発生したなら、「自分は不幸だ」と思っても不思議ではない。過去における不幸な出来事の積み重ねは、現在の不幸感(あるいは幸福感)に影響をあたえる。

ゴミ拾いをしただけで、その不幸感がひっくり返るのかどうかということだ。たいていの場合は、ひっくり返らない。不幸な人が、ゴミ拾いをしても、しあわせにならない場合のほうが、多い。不幸な人が、ゴミ拾いをして、しあわせになることは、あったとしても、めずらしいことだ。

不幸な人がゴミ拾いをしても、たいていの場合は、しあわせにならない。

ところが、「ゴミ拾いをするとしあわせになる」といっている人は、「すべての場合において、ゴミ拾いをすれば、しあわせになる」と言っているのだ。対象は人間であり、人間はみんな、ゴミ拾いをするとしあわせになれる生き物なのである。

たとえば、Aさんが「今日」職場でいじめられたとする。Aさんがゴミ拾いをすれば、明日は、いじめられないようになるか。たいていの場合は、Aさんがゴミ拾いをしても、職場のいじめには影響をあたえない。

Aさんが「今日」の夜8時に「明日も会社に行けばいじめられる」と考えたとしよう。これは、根拠がない想像ではないのである。根拠のない不安ではないのである。ずっといじめられてきたので、「明日も、いじめられる」と思ってしまうのである。

そして、根拠があるから、実際にそうなる確率が高い。Aさんが「今日」の夜8時10分に、ゴミ拾いをしたとする。ゴミ拾いをしたので、「運があがって」いじめられないようになるのか?

ゴミ拾いはいじめに影響をあたえない。

そりゃ、職場の人がAさんをいじめている。職場の人にAさんがゴミ拾いをしたことの影響があらわれなければならないのである。そうしないと、職場におけるAさんの幸福感に影響をあたえない。

なんかものすごい力が働いて、急に、運があがり、いじめられなくなる……というようなことは、おこらない。

まあ、美談のなかでは、Aさんがゴミ拾いをしているところを、会社の同僚であるCさんが見かけて、Cさんが、職場の人に「Aさんがゴミ拾いをするようないい人だから、もう、いじめるのはよそう」と言って、いじめがなくなった……というようなことになるのかもしれない。

美談なんて、いくらでもつくれる。

*     *     *

ここで語るべきではないのだけど、出来事というのは、本来、中立的で、「不幸な出来事が発生した」と思うのは、「不幸な出来事が発生した」と考えた人が、「中立的な出来事」に「不幸な出来事」だという解釈をあたえただけだという考え方がある。これに関して、すでにのべたことがあるので、今回は、省略する。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。