2024年11月28日木曜日

「書いて」夢をかなえることができた人だけ、「書くと夢がかなう」と言うことができる

「書いたことが現実化する」ということについて考えてみよう。

たとえば、「なんとか資格試験に合格する」と紙に書いて、普段よく見るところに、はりだしておく。ようするに、よく見えるところにはっておくので、それを見て、がんばるようになるから、がんばった結果、合格するということだ。

ここに、トリックがある。

じつは、「ことだま」じゃないけど、書いたことによって、「かきだま」が発生して、「かきだま」のチカラによって、合格するということと、かきだま自体には、チカラはないけど、見て、努力した結果、合格するということが、ごちゃごちゃになっている。

ようするに、書いただけで、効果があるのか、それとも、書いたものを見て、努力すると効果があるのかということについて、はっきりと、言及してない。主張にしたがえば、「書いたものを見て、努力するから合格する」のに、それを「書いたから合格する」と言い換えてしまうところがある。

書いたものを見て、努力する「から」合格するのと、書いた「から」合格するのは、ぜんぜんちがう。書いたから合格する場合は、「かきだま」のチカラによって、合格するのである。

「ことだま」とおなじように、「かきだま」自体に未来を変える力があるという信仰だ。これと、普段よく見えるところに、はりだしておくから、見て、努力して、合格するのはちがう。

見て、努力して、合格する場合は、努力したから、合格したのだ。

たとえば、書いても、努力しなければ合格しないのである。そして、たとえば、見えるところに「書いたもの」をはりだしておいても、努力しなければ合格しないのである。

見ても、「資格勉強をしよう」と思わずに、さぼっていたら、合格しない。

「かきだま」のチカラがない場合は、努力しなければ、合格しない。

まあ、資格用の勉強しなくても、ごく自然に、資格試験の出題範囲について知識がある場合がある。それは、そういうことを資格勉強としてではなく、趣味の読書や趣味の動画視聴によって、身につけていたので、知っているという場合だ。

この場合も、合格はする。「書いたもの」をはりださなくても、合格するし、「書いたもの」をはりだしても、合格する。

自然に知識を身につけてしまった人が「合格する」と書きだして、見えるところにはっておいた場合があるとする。この人が合格したとする。その場合、合格すると書きだして、見えるところにはっておいた「から」合格したのかというと、ちがう。

この人は、「合格する」と書いて、見えるところにはっておかなくても、合格する。

たとえばの話をしよう。

たとえば、ある資格試験があるとする。これをとりあえず、Aという資格試験だとする。この資格試験の合格者は一〇%だとする。九〇%の人が落ちる。

Aという資格試験を受ける人、全員に、「合格する」と書いて見えるところにはりだしておくように、たのんだとする。そして、全員が、そのとおりにしたとする。その結果、一〇%の人が合格した。

一〇%の人は、「合格すると書いて、見えるところにはりだしておいたから、合格した」と言うことができる。

もし、合格した人だけが「書くと、書いたとおりになる」といろいろなところで言うとすると、「書くと書いたとおりになる」ということが、正しいことのように流通する。

しかし、九〇%の人は書いたにもかかわらず、合格しなかったのである。

生存者バイアスがかかっている。

「紙に書いて、その紙を、普段、見えるところにはっておくと、書いたことが、潜在意識に影響をあたえて、書いたとおりになる」……と、合格した人が言えば、一〇〇%、その通りになると、多くの人が誤解をしてしまう。

「潜在意識に影響をあたえるようにすればいいのか」と思ってしまう。

しかし、書きだして、潜在意識に影響をあたえた?にもかかわらず、九〇%の人がおちた。おちた人のことは、無視してしまうのである。

おちた人は「書くと、書いたとおりになる」と言えない状態になる。どうしてかというと、書いても、書いたとおりにならなかったからだ。

YouTubeの動画で、「書いてはりだしておくと、潜在意識に影響をあたえて、書いたとおりになる」ということを言っている動画があるとする。

実際その動画をつくった人が、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、見えるところに、はっておいたら、「チャンネル登録者数一〇万人を達成した」ので、これは、事実だと言ったとする。

けど、その人は、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、その紙を見えるところにはりだしたあと、何千本も、こつこつと、動画を作成しているのだ。

こつこつと努力をした。

もし、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いてはっておいても、一本も動画を投稿しなかったら、達成できただろうか? 達成できない。

もちろん、一本、動画をあげただけで、一〇万人の登録者を獲得してしまう場合も、なくはない。可能性だけはある。

けど、一〇本ぐらい投稿したところで、たいして、チャンネル登録者を獲得できずに、やめてしまう人も多い。この一〇本ぐらい投稿してやめてしまった人も、おなじように「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、よく見えるところにはりだしておいたとする。

けど、チャンネル登録者数ひとりのとき、やめてしまったとする。そうしたら、チャンネル登録者数一〇万人なんて達成できない。

達成できないので、「書いて、よく見えるところにはりだしておいたら、一〇万人達成できた」と言えない状態のまま、すごすことになる。

なので、この人は「書いたら、書くだけで夢がかなう」とか「自分の目標を書き出して、よく見えるところにはっておくと、潜在意識に影響をあたえて努力するようになるから、目標が達成できる」とかということを言えない。

「書いて」夢をかなえることができた人だけ、「書くと夢がかなう」と言うことができる。

「書いて」目標を達成した人だけ、「書くと目標を達成できる」と言うことができる。ようするに、生存者バイアスがかかっている。

*     *     *

じつは、「書いたから」と「潜在意識に影響をあたえるから」と「努力したから」というのは、それぞれちがう理由について言及している。

けど、「書いて、それを、見えるところに、はっておくと潜在意識に影響をあたえるから、合格する」というようなことを、すらっと、書いてしまう人がいる。

「書いたから」の場合は、ほんとうに書くだけで、合格するのである。書いたあと、書いたものをはらなくても、合格する。書いたことによって、合格すのだから、書けば、合格する。

「潜在意識に影響をあたえるから」合格するという場合は、「潜在意識に影響をあたえなければ、合格しないのである。書いただけではだめなのである。書けば、書いただけで、潜在意識に影響をあたえるのか? それとも、よく見えるところにはりだしておかないと、潜在意識に影響をあたえることができないのか? どっちなのか、はっきりしない。

これは、あいまいにしておいて、人をだますつもりがあるのかどうかわからないけど、トリックポイントではある。

「潜在意識」というトリック用語自体が問題だ。これは、言霊のところで説明をしたので、重複して説明しない。

ともかく、あるのかないのか、よくわからない「潜在意識」とやらが、未来の結果にものすごく大きな影響をあたえるというのは、フィクションでしかない。

そういうことを言う人たちが、そういうフィクションをつくって言っているだけだ。フィクションと書いておいたけど、「妄想」でもいい。

そして、「努力したから」合格する場合は、努力したから合格するのである。

「書くこと」も「書いたものを、よく見えるところにはっておくこと」も関係がない。「努力をしたから」合格をしたのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。