言霊思考についていろいろと批判してきたけど、別に、本人ががんばるのはいい。基本、未来というのは、決まっていない。
しかし、問題なのは、ほかの人に言うことだ。ほかの人に「あたかも、言霊で問題が解決する」と言うようなことを言うのは、よくない。
どうしてかというと、「言霊の力」がないからだ。その人たちは、「言霊」に過剰な期待をしている。「言ったことが、現実化する」とアホなことを言う。自分がそう思って、自分に関係があることだけやっていればいいのだ。ほかの人に言う必要なんてない。
どうしてかというと、ほかの人は、ほかの条件をかかえているからだ。
自分が相手の条件を無視して、「言霊で解決できる」というようなことを言うのは、よくない。どうしてかというと、「言霊では解決できない」からだ。言霊を信じている人は、言霊にはすごい力があると思っているけど、じつは、「言霊」自体には、まったく力がない。
して、もうすこし、正確な言い方をするのであれば「言霊」自体がない。その人たちが、想定している「言霊」というものがないのだ。だから、「言霊の力もない。この人たちは、すべての条件を無視して、「言霊のすごい力で解決できる」というようなことを言う。
「言ったとおりになるのだから、言えばいい」という考え方だ。
この人たちは、「言霊にはものすごい力が宿っている」ということを確信しているけど、自分の現実的な問題に関しては、言霊で解決しようとしないのだ。ようするに、言霊にやどっているものすごい力を利用して、自分の現実的な問題を解決しようとしてない。
現実的な問題に関しては、常に、現実的な思考をしているのである。
本人が、意識していないだけなのである。
だから、「月に一〇〇万円おカネが振り込まれる」と言って、おカネの問題を解決しようとせず、普通に働いて、お金をかせぐという方法で、おカネの問題を解決しようとする。
自分の病気を治す場合だって、「この病気は、一秒以内になおる」と言って、言霊の力を利用してなおそうとしない。普通に、医者に行ってなおそうとする。あるいは、自然治癒の力を使って、なおそうとする。
言霊の力を使ってなおせばいいだろ。
言霊の力では、なおせないと思っているので、医者に行ったり、自然治癒の力に期待したりする。自然治癒の場合は、ある程度の時間がかかるものがある。「言霊のすごい力」を使って、時間短縮をすればいいじゃないか。自然治癒のプロセスにまかせずに、言霊のすごい力を使って、三秒でなおせばいいじゃないか。どうして、言霊のすごい力を利用しようとしないのか?
言霊のすごい力なんて、ぜんぜん信じていないからだ。はっきり言えば、三秒でなおせると思っていないから、言霊の力なんて利用しようとも思わないのだ。
「足を骨折した……みたいだ。よし、言霊のすごい力を使って、三秒でなおそう」と思わないのだ。医者に行ったりするけど、けっきょくは、自然治癒の力でなおそうとする。
けっきょく、言霊の力で、骨折をなおすことができない。
けっきょく、言霊の力で、自然治癒の速度をあげることができない。
「三秒以内になおる」と言ったって、三秒以内になおることがない。
骨折した場合、三秒以内になおると言ったって、三秒以内になおらないということを知っているので、言霊で解決しようとはしないのだ。「言霊で解決しようとはしない」と書いたけど、これは、「言霊の力を使って解決しようとしない」ということだ。言霊理論を信じている人ですら、こうなのである。
「絶対に言霊にはすごいちからがある」「絶対に、言ったことが現実化する」と他人に、がんばって言っている人だって、現実生活のなかでは、こんなものだ。ぜんぜん、言霊の力なんて信用してないのである。
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何度も言うけど、「言ったあと努力するなんてアホらしいことだ」。どうしてかというと、言っただけで現実化するからだ。言霊理論が正しいなら、言っただけで現実化するので、努力をする必要なんてまったくないのだ。
言っただけでは現実化しないから、努力する必要があるのである。自分のからだを動かす必要があるのである。
問題なのは、自分が「言霊の力」をぜんぜん信用してないということに、まったく、気がついていないことだ。本人が、気がついていないのである。言霊を妄信しているような発言をする本人が、まったく、言霊を信じていない。こっちのほうが問題だ。
他人の現実的な問題に関しては、言霊の力で解決できるようなことを言うけど、自分の現実的な問題に関しては、言霊の力で解決しようとしない。そして、「言霊の力で解決しようとしない」ということに、気がついていない。こっちのほうが問題なんだよ。