わかってないやつに、わかったようなことを言われる人生だったなぁ。これが、生きにくさの一部分を形成している。
けど、「人間は働くべきだ」と言ってきたやつが「生きがたさについて考えよう」なんて言うのだ。
おまえが、つくっているんだよ。
ああっ。言いなおす、おまえがつくっている部分もある。
「人間は働くべきだ」というのは、「人間は働くべきだから、エイリさんも働くべきだ」「(エイリさんが)働かないなんて言うのは、ゆるさない」という意見なのだ。
けど、俺は、こういう人にも、ちゃんとヘビメタ騒音のことを説明した。
そして、「ヘビメタ騒音が鳴っていたから、働けない」ということを言った。
そうすると、こういうやつらは、ヘビメタ騒音の影響を無視して、「ヘビメタ騒音が鳴っていたから、働けないということはない」ということを言い出すのだ。こんなの、ケンカを売っている行為にひとしい。
けど、こういうやつらは、ほんとうに頭がわるいので、ケンカを売っているような行為だとは思ってないのである。
そうではなくて、「自分は正しいことを言った」「自分は、いい助言をした」と思っている。
こいつらが、俺の説明を聞いて、たしかに、「ヘビメタ騒音は、働けなくなるような騒音だ」ということを認めるということは、ないんだよ。
ヘビメタ騒音というのは、すべてのヘビメタ騒音のことを言っているのではなくて、もちろん、きちがい兄貴が、うちで鳴らしたヘビメタ騒音のことなのである。
ようするに、きちがいヘビメタ騒音に俺がさらされたぶん、(自分が)さらされても、働けるという認識をもっているわけ。
で、これは、経験がないからわかってないだけのことなんだよ。
こいつらだって、俺とおなじ年齢から、俺とおなじ期間、自分が一番きらいな音という意味で、ヘビメタ騒音相当の騒音にさらされ続けたら、働けなくなる。
けど、そいつらは、基本的に、おろかなので、それがわからない。
想像力でおぎなうということができない。相手の立場になって考える場合の、想像力がとてもとても、低い。とてもとても、低いレベルの想像力しかないので、わからないままの状態にとどまる。だから、本人は、考えたつもりでも、考えてないような状態が続く。
ともかく、『ヘビメタ騒音相当の騒音にさらされ続けても、自分なら働ける』という前提でものを言ったやつのことは、ゆるさない。いまでも、当時のことを思い出すと、ほんとうに、腹がたつ。ゆるしがたい。ゆるせない。
ちなみに、ここでいう「働く」というのは、「通勤して働く」ということだ。こいつら、ほんとうに、「七年間の学校生活」で、睡眠回路が破壊されるということがまったくわかってないな。
普通に働く体力が、破壊されるというとがまったくわかってないなぁ。
きちがいヘビメタがはじまってからの学校生活というのは、めちゃくちゃにつらいものだった。あんなことを、やられて、睡眠回路が破壊されないわけがない。
一日が、どれだけつらいものになるか、こいつらはわかってない。
わかってないのに、えらそうなことを言う。
いや、わかってないから、えらそうなことを言う。
自分だって、ほんとうに、自分がきらいな音で、おなじ騒音にさらされ続けたら、通勤して働くことができなくなるのに、それがまったくわかってない。
実際には、人生のなかでそういうことが、発生しなのかったのである。そういうことが発生しなかったのは、そいつらが俺よりすぐれているからかというと、そうではない。きちがい行為をきちがい感覚でやり続ける、きちがい的な家族がいなかっただけだ。
いなかったから、きちがい家族が、血相を変えて、こだわってこだわってやることを、経験してない。
きちがい家族なので、どれだけ言っても、まったく通じない。きちがい感覚で乗り越えて、自分がやりたいことは、一〇〇%やってしまう。一〇〇%やっているのに、「ゆずってやった」と本気で思っているきちがいだ。
こんなの、きちがいでしかない。こんなの、きちがい以外にできないことだ。
きちがい感覚が前面に出て、きちがい的な感情にかられて、「ゆずってやらなかった」のである。たとえば、一日に一三(じゅうさん)時間、鳴らすとして、一日に一三時間、全部、きちがい的な音でならしているにもかかわらず……つまり、よそでは絶対に鳴らせないようなでかい音でずっと鳴らしているのにもかかわらず「ゆずってやった」と本気で思っているのである。
一日に一三時間、とてつもなくでかい音で鳴らしているのに「ずってやった」と本気で思っているような状態なのである。きちがい感覚が成り立っているので、そうなる。
無意識的なレベルで、感覚器を遮断して、でかい音で鳴らしているに普通の音で鳴らしていると思っているところで発揮される……きちがい感覚と……一日に一三時間ずっとでかい音で鳴らしているのに、「ゆずってやった」思うことができるきちがい感覚……は、ちがう。
けど、でどころは、おなじような感じがする。ともかく、このふたつは隣接領域の「きちがい感覚」だ。きちがい兄貴の頭のなかで、ほぼおなじところから出てくるふたつの感覚だ。
* * *
きちがい家族が、きちがい感覚で、ずっと鳴らしているような状態だと、ぼくが、必然的に、ほかのやつから、バカにされるのである。きちがいヘビメタ騒音で能力がさがり、きちがいヘビメタ騒音で障害が発生しているのに、ほかのやつらは、そういうことを、一切合切、認めない。何度も言うけど「自分なら平気だ」と思っているのである。自分なら平気だと思っているので、能力がさがってしまうエイリさんは、ダメだということになってしまうのである。あまえているということになってしまうのである。自分なら平気だと思っているので、障害が発生してしまうエイリさんは、ダメだということになってしまうのである。あまえているということになってしまうのである。「そんなのは、あまえだ」ということになってしまうのである。言霊主義者なら、「できると言えばできる」と言ってしまうのである。努力論者なら、「努力をすれば成功する」と言ってしまうのである。こいつらは、自分の言っていることによっているけど、この発言は、相手のことをまったく考えてない、クソ発言だ。頭にきて、頭にきてしかたがない。けど、きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなくて、普通の兄貴だったら、「そうですね」ですませることができたことだ。こいつらとだって、別に対立する必要がない。
こいつらのなかでは、