自分が、ほんとうに、小学六年生のころから、ずっと毎日、勉強の邪魔をされて、「過去は関係がない」なんて言えると思うのか? きちがい的に、現実がわかってない設定でものを考えている。
自分が、ほんとうに、小学六年生のころから、ずっと毎日、きちがい的な騒音を、でかい音で、隣の部屋で鳴らされて、ほんとうに、「鳴り終わったら関係がない」なんて言えるとおものか? ほんとうにまったく、想像力がないな。
言えるわけがない。どうして、「影響がない」とか「関係がない」と言えるのか? 自分がほんとうに、自分のきらいな音を、横の部屋で、がんがん鳴らされて、普通に生活できると思っているのか? 平日、学校から帰ってきたあと、午後十一時十分まで鳴らされて、それで、午後十一時十一分に鳴ったら、鳴り終わったから関係がないと思って、眠れると思うのか? そんなことじゃないから、こまっている。おまえら、ほんとうに、想像力がなさすぎる。
これ、どの程度現実的に、相手の立場にたって考えることができるかということが、問われている。こいつらは、一時間ぐらい、ちょっとうるさい工事の音が鳴ってたときと、おなじような感覚でものを言っている。
こいつらはこいつらで、俺がどれだけ「ちがう」ということを説明しても、わかってくれない。自分が最初に考えたことに固着して、「自分は、平気だ」と思っている。「自分なら、影響をうけないで眠れる」と思っている。「自分なら、影響をうけないで勉強をすることができる」と思っている。
それが、浅はかな考えなんだよ。実際にやられてみれば、一カ月で、わかるよ。どれだけのことが、つみかさなるかわかる。想像力がないから、わからないだけだろ。わからないのと、できるというのは、ちがうんだよ。
たとえ、工事の音が一日に八時間ぐらい、一年にわたって鳴っていたとしても、それと、きちがい家族による超近距離の騒音はちがうんだよ。だいたい、工事の音は、工事という目的がある。その目的は、理解ができるものだ。
けど、きちがい兄貴の場合は、きちがい兄貴が、鳴らしたいから鳴らしているだけの音だ。きちがい兄貴が、ヘビメタに興味を持たなければ、鳴ってない音なのである。
そして、きちがい兄貴が気ちがいでなければ、あんな音で、ずっと鳴らそうと思わない音なのである。非常識な音なのである。どこのうちでも、うち以外、鳴ってない音なのである。時間帯もちがうし、ぜんぜんちがう。
そして、けっきょく、足掛け一五年間にわたって鳴ったのだから、期間の長さが、ぜんぜんちがう。
きちがい兄貴が、ヘビメタに興味を持ったとしても、きちがい兄貴がきちがいではなくて、普通の音で鳴らしていたらちがうんだよ。きちがい兄貴が、めちゃくちゃにこだわって、自分が鳴らしたい音で鳴らしたから問題がしょうじる。自分が鳴らしたい音というのが、本人の耳が悪くなるぐらいにでかい音なのだ。頭がおかしいから、本人の耳が悪くなるようなでかい音を、普通の音だと「おもいこんでいる」。こういうところに、ズレがあるから、ぼくが自動的に、ほかの人から誤解をされる。そして、ほかの人には、きちがい家族がいないので、きちがい家族によって、そういうレベルの騒音に、ずっと長い期間さらされ続けるという経験がないのである。経験がないから、想像でものを言うことになる。しかし、想像力が低いので、まったくちがったことを考えてしまうのである。何度も言うけど、俺が説明したって、むだなんだよ。こいつらはこいつらで、最初の自分の意見に、こだわる。