「人間は働くべきだ」とか「できると言えばできる」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とか「努力をすれば成功する」とかということは、じつは、悪魔側が用意した、悪いコンセプトだ。
これは、生まれつき条件が悪い人を、必然的に、くるしめる。
言霊思考は、幼児的万能感から出てくるものだ。人間が、言葉を学習する段階で、どうも、物理現象と言葉の学習がむすびついてしまうみたいなのである。
手短に言うと、物理現象だけではなくて、社会のしくみなどとも、むすびついてしまうのである。
どうも、幼児的万能感というのは、言葉の(原初的な)学習と、物理現象に関する理解が、不可避に結びついてしまうところぉ原因があるのではないかと思う。
けど、自己中心性というものもかかわっているようだ。ようするに、人間というのは、基本的な構造として「自分勝手」なのだ。自分勝手な見方が、世界認識の根本になっている。まあ、夜郎自大が、スタンダードだ。
言霊主義者が「言霊」という言葉を使っているので、「そこは、言霊理論と言うべきなのではないか」と思うところまで含めて、数か所だけ、言霊主義者が実際に「言霊」という言葉を使って、「言霊理論」という言葉を使わなかったということをしめすために、「言霊」と書いた部分がある。これは、ぼくの発言ではなくて、言霊主義者の発言だ。だから、まあ、数か所だけ、言霊主義者にあわせて、言霊主義者の発言通りに、言霊と書いている部分がある。
まあ、そういうことを前提にして言うけど、言霊思考が正しいということが成り立っていると、条件が悪い人が、おいつめられるのである。
言霊思考によって、おいつめられる。
言ったって、言っただけなのに、言えば、世界がかわるようなことを言うやつらが多い。なにによってかわるのかというと、言霊の力によってかわるのだ。
けど、実際には、言霊の力では、条件がかえられない。
けど、実際には、言霊の力では、現実をかえられない。
なので、無力なのだけど、無力なことが有力なこととして流通していると、無力であるばかりか、有害なのだ。
残念ながら、いまの社会では、言霊思考というのは、弱者を「これでもか」とくるしめることになる。
もともと、幼児期を経験したことがある人間には、幼児的万能感が備わっている。だから、悪魔にそれを利用されて、言霊の力を使って問題解決ができると思い込んでいる。
けど、実際には、言霊の力なんてないから、言霊の力を使って問題解決ができないという現実のなかで生きていくということになる。これは、くるしいことなんだよ。
言霊思考が問題を可決して、よい状態をつくるのかというとそうではないのだ。言霊思考が、問題をつくりだし、悪い状態がさらに悪い状態になるのだ。
言霊思考になれている人間は、本人のことだけではなく、社会のすべての人に言霊が成り立っていると自然に見なしてしまう。そして、それが問題を引き起こす。
どうしてかというと、言霊の力がないからだ。言霊的な解決方法というのが、無力な解決方法だからだ。
そんなことよりも、現実的な条件をどうにかするべきなのだ。
ほんとうは、社会的な条件をかえなければどうにもならない問題なのに、個々人が、言霊の力を使って解決すればいいということになってしまうのである。