サカマ(旧となりの家)のことだって、きちがいヘビメタが鳴ってなかったら、まったくちがう話になっていたんだぞ。きちがいが、きちがい的な意地で、よそじゃ絶対に鳴らせないような音で鳴らし続けて、俺が窮地に立たされて、俺が、誤解をされる。そういうことが、毎日毎日、ずっと繰り返されてきていいわけがない。よその人は、きちがい兄貴が鳴らしているから、きちがい兄貴のうちの人は、きちがい兄貴に文句を言ってないと思っているんだぞ。
ともかく、きちがい家族がいないから、きちがい家族が鳴らす、きちがい的な騒音にずっとさらされたことがないやつが、わかったようなことを言うな。
サカマに対する感情だって、ちがう。
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しかし、もう、すべてがいやだな。きちがい兄貴が張本人で、きちがい兄貴が、やめてくれれば、それでおさまるんだよ。普通の人は、絶対に気ちがい兄貴みたいに鳴らしてないんだよ。きちがい兄貴だって、あのステレオセットを買うまでは、あのでかい音を鳴らせなかったんだよ。普通の人が、感じる、家族の騒音とはちがうのである。テレビの音がちょっとうるさいとかそういうレベルのことじゃない。けど、いっしょに住んでいるおじいちゃんの耳が不自由で、大きな音で聞いている場合は、「俺だって、家族の騒音で苦労した」と言える。けど、ちがうんだよ。そういうことではないんだよ。ぜんぜんちがうレベルの騒音なんだよ。
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きちがい兄貴が張本人。きちがい兄貴が、普通の人が鳴らさないような音でずっと、こだわり続けて鳴らしている。きちがい兄貴が非常識なことをやっているからダメなんだ。きちがい兄貴が非常識なことを、きちがい的な意地でやりはじめたら、それをとめる人がいないんだよ。きちがい兄貴のやってきたことというのは、きちがい親父がやってきたことなんだよ。きちがい親父の行動原理というのは、ほかの人にはわからないものなんだよ。実際に、きちがい兄貴がうるさくする前は、きちがい親父が、どういう反応をするかわからなかった。そんなのわかるわけがない。きちがい親父は、きちがい兄貴に文句を言いたくなかったので、無視して黙りこくった。きちがい兄貴に注意してくれと、親父に俺が言うと、きちがい親父が、梃子でも注意しないぞというような態度で、注意しないのである。こんなの、実際に発生してみなければわかるわけがない。ともかく、普通のうちで鳴ってない音が鳴っていたというのは、事実なんだよ。そして、鳴っていた期間が長いんだよ。鳴っているときは、終わりが見えない騒音なんだよ。
ほかの人がやらないことを、きちがい兄貴が、きちがい的な意地でやる。だから、ほかの人にはわからない。どれだけ影響をうけるか、ほかの人にはわからない。けど、「騒音」というところまで抽象化すれば、「騒音」なんて、だれだって体験したことがあることなのである。だから、ほかの人は、自分の体験にもとづいて、自分の意見を言うということになるのである。けど、その「自分の意見」のもとになっている体験というのは、ぼくの体験とはちがうのである。大きくちがうのである。よそのうちでは、絶対に、一日だってありえない音なんだよ。音の持続時間なんだよ。あの音で鳴らして、「でかい音で鳴らしているつもりがない」……意識的には、ほんとうにまったくないという人間は、気ちがいなんだよ。きちがい兄貴だけなんだよ。普通の人だったら、「でかい音で鳴らしてないと思っている」付利をするだけなんだよ。普通の人だったら、意識を書き換えることなんてできないんだよ。普通の人なら、感覚を書き換えるなんてことはできないんだよ。 正常な感覚を、自分に都合がいいように、書き換えて、それに気がつかないなんてことはないんだよ。だから、「すっとぼけた態度」になる。けど、きちがい兄貴本人は、まったくすっとぼけた態度じゃないと思っているんだよ。意識のレベルでは、ほんとうに、しずかな音で鳴らしているつもりなんだよ。意識のレベルでは、特にでかくない音で鳴らしているつもりなんだよ。意識のレベルでは、ゆずってやったときは、ほんとうにゆずってやったと思っているんだよ。現実の兄貴は、自分が満足できる音で鳴らしているので、一秒もゆずってない。こういう、しらばっくれた、態度。自分が、きちがい親父に、おなじことをやられたら、それはわかって、一秒で起こるくせに、自分が(きちがいおやじとおなじ感覚で)やっているときは、何十年たっても、気がつかないんだよ。毎日毎日、ずっとずっと、長時間、こだわりきってやっているときは、まったく気がつかないんだよ。こんなの、ほんとうに「やったってやってない」の世界だ。これが、ほんとうに、成り立ってしまうから、よその人が、自動的に、ぼくのことを誤解する。ぼくの能力を誤解する。ぼくの態度を誤解する。