きちがい兄貴の態度について、わかっているやつらがいない。きちがい兄貴の脳みそについて、わかっているやつらがいない。普通の人たちが、普通の兄だと思ってしまう。ところが、ちがうんだよ。きちがいとしか言いようがない態度で、きちがい的な意地で、鳴らす。そして、きちがい的な感覚で、あたかも鳴らしたことがないような態度で、生活をしている。みんな、ほんとうにわかってない。
長く続くということに関しても、まるでわかってない。そりゃ、きちがい的な兄貴がいないうちでは、そんなに長く続く騒音なんてないからだ。わかってないから、からだにおける影響も、精神面における影響もわかってない。そして、それが、つみあがってしまった場合おける、履歴の影響がわかってない。からだに影響をうけて、精神面で影響をうけて暮らしているのだから、不愉快な出来事がいっぱいしょうじるのである。だいたい、きちがい兄貴が……つまり、きちがい的な家族が……よそじゃ鳴らしてないような音で、ガンガン、何時間も何時間も鳴らし続けるということ自体が、不愉快な出来事なんだよ。けど、この出発点となる、不愉快な出来事は、そこで終わるわけではない。その日、鳴り終わったら、それで、不愉快な出来事が終わるわけではないのだ。その日、それまでに聞かされた騒音の影響で、眠れなくなる。鳴り終わったあとも、風邪をひいて熱が出たときのように、くるしい。けっきょく、くるしいまま、つかれているのに、眠れないということになる。そして、この出来事が、また、不愉快な出来事を引き起こすのである。どれだけがんばって、学校に行ったとしても、学校で、「昨日、ヘビメタが鳴っていたからしょうじる不愉快なこと」が発生するのである。そりゃ、前日、ヘビメタ騒音が鳴っていて、眠れなかったから、元気が出ないわけで、元気が出ないのに、無理やり気をはって学校で事業をうけるということがつらいことなのである。それは、ヘビメタ騒音が鳴ってないときとは、ぜんぜんちがうつらさなのである。ヘビメタ騒音が鳴ってないときは、つまらない授業でもただ単に、つまらないだけで、そんなにつらい授業ではないけど、ヘビメタ騒音で、睡眠がじゅうぶんでない場合は、つまらない授業ではなくて、つらい事業になるのである。前日、ヘビメタ騒音を浴びせられて……何時間も何時間も浴びせられれば、かりに、睡眠がうまくいった場合だって、影響がある。その日、前日のヘビメタ騒音の影響があらわれる。あんな、高ストレス状態で何時間も生きていて……生きるという活動を続けていて……次の日に影響がないわけがない。それは、睡眠ということをぬかして考えても、そうなのである。睡眠がかかわれば、もっと、影響をうけることになる。そして、ヘビメタ騒音の影響が睡眠にあらわれないということはない。どれだけ、努力をして、影響をうけないようにしても、影響があらわれる。不可避的にあらわれる。こういう思いをしたことがないやつが、「過去は関係がない」「鳴り終わったら関係がない」と言う。ほんとうに、「ふざけんな」と言いたくなる。けど、そこで、ぼくが「ふざけんな」と言ったら、どうなるか? 相手は、おこってくるのである。自分がまちがったことを言ったとは思わないのである。自分は正しいことを言ったと思ったままなのである。何度も言うけど、この態度は、きちがい兄貴やきちがい親父の態度と、寸分、似ている。仕組みはちがう。きちがい兄貴ときちがい親父の感覚は、特殊すぎる。普通の人と、きちがい兄貴は、その感覚においては、似ていない。けど、俺が言ったことを認めるかどうかということだけに着目すると、俺が言ったことを認めないという点で、だいたい、おなじなのである。こいつらも、こいつらで、案外、頑固に認めない。「過去は関係がない」「鳴り終わったら関係がない」という自分の意見に固着して、「関係がある」「影響がある」という俺の意見は、認めないのである。俺が説明したあとも、頑固な言霊主義者のように、認めない。