2024年10月27日日曜日

自分の!!普段の生活においては、「過去は関係がある」と思って生きているのである

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんにとって、Bさんの身に起こった出来事と言うのは、Aさんにとっては、関係がないことだ。

Bさんの身に起こった出来事というのは、Bさんにとって、関係があることだ。Aさんが、Bさんの身に起こったことを、過小評価するのだ。

Bさんの身に起こった過去の出来事は、Bさんの今現在の状態に影響をあたえないと勝手に判断して、そのように言っているのだ。

さらに、「過去は関係がない」という言葉は、じつは、抽象度が高い言葉であって、集合的な範囲がひろい。これがまったくわかってないんだよな。どうして、Aさんが、抽象度の高いことを言ってしまうかというと、自分に関係がないからだ。自分は影響をうけてないからだ。

Bさんは影響をうけているけど、Bさんの身に起こった過去の出来事は、Aさんに影響をあたえてない。その場合、「自分」を中心にして考えると、「過去は関係がない」と言いたくなる気持ちになるのだ。

自分自身の出来事に関しては、自分自身の出来事なので、過去の出来事が、いまの自分自身に、どういう影響をあたえているか、理解している。

けど、それは、自分自身の出来事だからだ。ほかの人の出来事は、自分自身の出来事ではないから「関係がない」。「関係がない」ので、「過去は関係がない」と言ってしまう。

Bさんの過去の出来事は、今現在のAさんに、影響をあたえていないのである。

だから、Aさんにとっては、「関係がない出来事なので」……「過去は関係がない」と言ってしまう。Aさんにとって、Bさんの過去が関係がないということと、Bさんにとって、Bさんの過去が関係がないということが、なんとなく、おなじことのように感じてしまうのだ。

ここらへんは、想像力のなさが影響している。他人の立場になって考えることがへたくそなので、自分に関係がなければ、相手にとっても関係がないことだと、考えてしまう傾向が強いのである。

「苦労」とおなじように、「過去」というのは、抽象度が非常に高い言葉なんだよ。「困難」とおなじように「過去の出来事」というのは、抽象度が非常に高い言葉なんだよ。

そうなると、集合としては、かなり多くのものを含むようになる。

集合の範囲がでかいのである。

これがわかってないんだよな。抽象化した時点で、Bさんにおける過去の出来事が、どういうふうにBさんに影響をあたえているのかということが、関係がないことになってしまうのである。

あたかも、Bさんの過去の出来事が、Bさんの現在の状態に影響をあたえていないような気持ちになってしまうのである。

ようするに、自己中心性が強いので、影響のでかさを、あんまりうまく考えることができないのである。自分にとって関係がないということと、相手にとって関係がないということが、ある程度だけど、一致してしまうのである。

「過去」という抽象度が高い言葉を使ったとき、抽象度の高さから、Bさんの現実的な意味が抜け落ちてしまうのである。言っておくけど、Aさんにおける、Bさんの現実的な意味だ。Bさんにおける、Bさんの現実的な意味ではない。

現実的な意味というのは、過去の出来事が、現在のBさんの状態に影響をあたえているということがもつ意味のことだ。

もちろん、Bさんにおける意味だ。Aさんは、Bさんにおける意味を、抽象度が高い言葉を使ったときに、捨象してしまう。切り捨てて、無視してしまう。

けど、Aさんにとって、Aさんの過去の出来事は、普通に、意味をもつものなのである。影響力について、具体的に考えることができることなのである。

だから、自分の!!普段の生活においては、「過去は関係がある」と思って生きているのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。