たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんにとって、Bさんの身に起こった出来事と言うのは、Aさんにとっては、関係がないことだ。
Bさんの身に起こった出来事というのは、Bさんにとって、関係があることだ。Aさんが、Bさんの身に起こったことを、過小評価するのだ。
Bさんの身に起こった過去の出来事は、Bさんの今現在の状態に影響をあたえないと勝手に判断して、そのように言っているのだ。
さらに、「過去は関係がない」という言葉は、じつは、抽象度が高い言葉であって、集合的な範囲がひろい。これがまったくわかってないんだよな。どうして、Aさんが、抽象度の高いことを言ってしまうかというと、自分に関係がないからだ。自分は影響をうけてないからだ。
Bさんは影響をうけているけど、Bさんの身に起こった過去の出来事は、Aさんに影響をあたえてない。その場合、「自分」を中心にして考えると、「過去は関係がない」と言いたくなる気持ちになるのだ。
自分自身の出来事に関しては、自分自身の出来事なので、過去の出来事が、いまの自分自身に、どういう影響をあたえているか、理解している。
けど、それは、自分自身の出来事だからだ。ほかの人の出来事は、自分自身の出来事ではないから「関係がない」。「関係がない」ので、「過去は関係がない」と言ってしまう。
Bさんの過去の出来事は、今現在のAさんに、影響をあたえていないのである。
だから、Aさんにとっては、「関係がない出来事なので」……「過去は関係がない」と言ってしまう。Aさんにとって、Bさんの過去が関係がないということと、Bさんにとって、Bさんの過去が関係がないということが、なんとなく、おなじことのように感じてしまうのだ。
ここらへんは、想像力のなさが影響している。他人の立場になって考えることがへたくそなので、自分に関係がなければ、相手にとっても関係がないことだと、考えてしまう傾向が強いのである。
「苦労」とおなじように、「過去」というのは、抽象度が非常に高い言葉なんだよ。「困難」とおなじように「過去の出来事」というのは、抽象度が非常に高い言葉なんだよ。
そうなると、集合としては、かなり多くのものを含むようになる。
集合の範囲がでかいのである。
これがわかってないんだよな。抽象化した時点で、Bさんにおける過去の出来事が、どういうふうにBさんに影響をあたえているのかということが、関係がないことになってしまうのである。
あたかも、Bさんの過去の出来事が、Bさんの現在の状態に影響をあたえていないような気持ちになってしまうのである。
ようするに、自己中心性が強いので、影響のでかさを、あんまりうまく考えることができないのである。自分にとって関係がないということと、相手にとって関係がないということが、ある程度だけど、一致してしまうのである。
「過去」という抽象度が高い言葉を使ったとき、抽象度の高さから、Bさんの現実的な意味が抜け落ちてしまうのである。言っておくけど、Aさんにおける、Bさんの現実的な意味だ。Bさんにおける、Bさんの現実的な意味ではない。
現実的な意味というのは、過去の出来事が、現在のBさんの状態に影響をあたえているということがもつ意味のことだ。
もちろん、Bさんにおける意味だ。Aさんは、Bさんにおける意味を、抽象度が高い言葉を使ったときに、捨象してしまう。切り捨てて、無視してしまう。
けど、Aさんにとって、Aさんの過去の出来事は、普通に、意味をもつものなのである。影響力について、具体的に考えることができることなのである。
だから、自分の!!普段の生活においては、「過去は関係がある」と思って生きているのである。