バイトをしたときだって、「これはもう、死ぬしかない」「これはもう、自殺するしかない」という気持になった。これは、ヘビメタ騒音でそういう気持になっているのである。睡眠回路が破壊されて、どうしても、決まった時間に起きることができないのである。だから、時たまであれば、もう、眠ることをあきらめて、起きたまま、行ったということが、何回もある。けど、それは、からだに負担がかかることなんだよ。じゃあ、帰ってくれば眠れるのかというと、そうではないのだ。つかれているから、すぐに眠れると思うかもしれないけど、ぜんぜんちがう。つかれていても眠れない状態で時間がすぎていく。どれだけつらいと思っているんだ。次の日だって、仕事がある。バイトがある。そういうことを言うと、一週間に三回、一日おきに働けばいいというようなことを言う人がいるけど、それでは、おなじことなるんだよ。まったくわかってないなぁ。ともかく、きちがいヘビメタ騒音で、睡眠回路が完全に破壊された。破壊されるまで、俺は、七年間毎日、がんばり続けてきたんだ。眠れない状態で学校に行って帰ってきて、ヘビメタ騒音にさらされて……何時間も何時間もさらされて……つかれているのに、眠れないという状態で起きていた。そして、きちがい蛇目騒音が鳴り終わったあとも、つかれているのに、眠れないという状態だったのだ。だから、前の日とおなじなのである。これが、どれだけつらいか、同等の騒音を経験した人しかわからない。おなじレベルの騒音を、おなじ期間の長さ、毎日、経験した人じゃないとわからない。みんな、軽く考える。きちがいがいないから……家族に気ちがいがいないから、きちがいが本気で、こだわってこだわってこだわってやる騒音がどういうものか、まったくわかってない。わかってないから、俺のからだの状態もわからないのに、「俺だって騒音ぐらいあった」と言って、同等の騒音を同等の期間、経験したということにしてしまって、くそを言う。そいつらが、普通に通勤できているのであれば、それは、同等の騒音を経験してないということだ。同等の騒音を同等の期間、経験していれば、絶対にそんなことは言えなくなる。どうしてかというと、働けなくなるからだ。通勤して働けないからだになっている。だから、通勤して働ける体を維持しているという点から考えて、同等の騒音を同等の期間、経験してないと言える。けど、こいつらは、無職に対して偏見がある。ものすごく強烈で、ものすごく根が深い偏見だ。こいつらは、同等の経験がないから、きちがい家族が、しつこく鳴らす騒音の意味がわかってない。毎日の生活に与える影響がわかってない。だから、「理由がなんであれ、そのとしで、働いてないのはおかしい」と感じるわけなんだよ。「騒音ぐらいで働けなくなるわけがない」と思うわけだよ。なおさら、ヘビメタ騒音が終わった、二六歳以降に関しては、「過去のことは関係がない」とぼんくら野郎が言える状態になる。二五歳の、途中で、きちがいヘビメタ騒音から解放された。けど、おそいんだよね。小学六年、中学一年、中学二年、中学三年、高校一年、高校二年、高校三年のあしかけ七年間で、おしまいだよ。普通に通えるわけがない。死にものぐるいになって、無理をして無理をして、七年間通って、睡眠回路がこわれた。一日だけでおかしくなったのはなくて、七年間、かかっている。その七年間の重みがわかってないやつが、なにを言うのか?
こいつらが、病気になって働けなくなったとする。そうしたら、ぼくは、こいつらの枕元に行って、「人間は働くべきだ」「そんなことは関係がない」「そんなのは、あまえだ」「過去は関係がない」「できると言えばできる」と言ってやるのさ。言われたら、どう思うか? 言われたらどう思うか、経験すればわかるよ。
ほんとうに、毎日のきちがい家族騒音で、どんな生活になるか、まるでわかってないなぁ。「自分なら鳴ってたって平気だ」という前提で、クソを言うな。まちがった前提にたって、妄想的なことを言うな。