さてと、どうするかな? 片づけることが、しんどい。相当にしんどい。だいたい、ダニが問題なんだよなぁ。きちがい親父がネズミを入れなければ、こういうダニはいなかったはずなんだよな。普通の状態であれば、粗大ごみ屋さんを呼ぶのも簡単だったし、片付けるのも簡単だ。ダニと、ネズミの糞で、大問題になる。
ほんとうに、きちがい親父がやりそうなことなんだよな。最後に、きちがい的な意地で、ネズミの糞を置いていった。
やるまで、予想はできないけど、きちがい的な意地で、くさいものを置いて、ネズミを呼び込むというのが、まず親父がやりそうなことなんだよね。だいたい、そのまえに、俺が反対したのに、なまゴミを物置のほうに毎日うつすという、意味がないことをしていたのである。でっ、物置にネズミがくるようになった。そのときは、家には入ってこなかったから、かかわらないようにしていたのだけど、あれが導火線になっている。まず、ネズミを物置にさそいこんで、次に、家のなかにずっと、魚の粕漬をおくことによって、言えに、ネズミを誘い込んだ。普通なら、ネズミの糞が増えれば、どうにかしようと思うのはずなのに、思わないんだよな。こういうのも、言ってみれば、予想外の反応だ。でっ、「俺がネズミを(ネズミシートで)つかまえるからいい」と親父が言いはった。どれだけ、ネズミの侵入を食い止めないとだめだということを、言っても、聞かないんだよ。これも、親父がやりそうなことだ。全部、親父がやりそうなことなんだよな。そして、「魚の粕漬を一日に二三時間ぐらい、テーブルの上に置いていた」「それを、二カ月以上、毎日繰り返していた」ということを、俺が言うと、親父が「やってないよ!!!やってないよ!!」とキレて絶叫するのだ。これも、親父がやりそうなことなんだよな。こういう意地で、じつは、テーブルの上に魚の粕漬を出しっぱなしにしたのである。「テーブルの上に魚を出しっぱなしにするな」と俺が言ったって、きちがい親父が、頑固に、テーブルの上に置いておくということをやめないのである。こういうときの頑固さが、きちがい的に絶叫して認めないときの頑固さとおなじなんだよ。ちなみに、きちがい兄貴のヘビメタも、これとおなじだ。まったくおなじ。こいつら、ほんとうに、きちがい的な意地でやったことは、全部、やってないことになっているんだよな。認めるということが、都合の悪いことになった時点で、「やってないやってない」と発狂して認めない。その頑固さがおなじなんだよ。やっているときの頑固さと、やったということを認めないときの頑固さがおなじ。
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「こまるからやめてくれ」と言われたときの反応が、きちがいなのである。普通の人と、ぜんぜんちがう反応がかえってくるのである。親父も兄貴もおなじ。「こまるからやめてくれ」なんて言われたら、エンジンがかかって、顔を真っ赤にしてやりきる。あれ、やったことになってないんだよ。こんなの、くるっている。きちがい以外のなにものでもない。けど、そういうことをやられて、そういう反応でこまっている俺のほうが、ほかの人から「へんだ」と言われてしまうのだ。こまるんだよ。「そんなのは、へんだ」「ちゃんと言えば、わかってくれる」……こういうことを言う、一般人がいっぱいいる。いた。こまるんだよ。一般人の反応も反応で、こまるんだよ。「うち」じゃ、きちがい親父ときちがい兄貴が、一般人が信じられないような反応をかえしてくる。現実の場面を一般人は見たことがないので、わからない。どういう意地で、きちがい行為をしているのか、一般人はわからない。「うち」のきちがいが、どういう意地で、どういう感覚で、きちがい行為をしているのか、一般人は、見たことがないからわからない。うちのなかでしかしてないことだからな。これも、なんか、きちがい親父ときちがい兄貴にとってだけ、都合がいいことなんだよなぁ。こっちにとって、ものすごく、都合が悪いことだ。
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どんだけ、きちがい兄貴ときちがい親父がやることで、俺がはじをかいたと思っているんだよ? どれだけ……。
これも、きちがい家族といっしょに暮らしている人しかわからない。きちがい家族がどういうことをもたらすのか、普通の人はまったくわかってない。普通の人だって、まったくわかってないということがわかってないというようなところがある。
『そんなに大きな音で鳴らしているのに、親が注意しないのはおかしい(だから、エイリさんが嘘をついている』とごく自然に思ってしまう。……一般人は、そう思ってしまう。「お兄さんと相談すればいい」「家族で相談すればいい」と、一般人は、ごく自然に思ってしまう。それが、どれだけ無理なことかわかってない。
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きちがい兄貴は、きちがい兄貴がやったことで、俺がどれだけこまっていても、知らんぷりだよ。この知らんぷりというのが、また、普通の人の知らんぷりとはちがうんだよ。きちがいの知らんぷりなんだよ。
きちがい親父は、きちがい親父がやったことで、俺がどれだけこまっていても、知らんぷりだよ。この知らんぷりというのが、また、普通の人の知らんぷりとはちがうんだよ。きちがいの知らんぷりなんだよ。
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きちがい兄貴のなかでやってないことになっているみたいなのである。あんなに意地をはってやったことが、やってないことになっているのである。やっているときから、どれだけ文句を言われても、相手がこまっているということがわからないから、こまらせているつもりがまったくしょうじない。普通なら、絶対にわかることなんだよ。言っているわけだからさぁ。ところが、どれだけ言われたって、わからないんだよ。このわからないというのは、日本語がわかるから、日本語の文を理解したけど、いうことを聞いてやめるつもりがないからわからないふりをしているということではないんだ。ここでも、ほんとうに、くるっている。
親父も兄貴とまったくおなじ。これ、無視しているとき起こっていることが、普通の人とはちがうのである。けど、そんなのは、普通の人がわかるはずがない。普通の人は、こういうことに関しても、かならず、誤解をする。曲解をする。普通の人は、きちがい兄貴やきちがい親父のような人と、いっしょに住んだことがないので、わからない。根本的にわからない。
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ぼくの話を聞いて「そんなのはおかしい」と思う人たちのほうが、まあ、正常なんだよ。ヘビメタ騒音の話だって、いろいろと「おかしいところか」がある。けど、事実なんだよ。悲しいけど、事実だ。必然的に、俺が誤解をされる。普通の人から、俺が誤解をされる。俺が誤解をうける。これついて、普通の人に説明したって、こんどは、普通の人が認めないということになる。「そんなのはおかしい」と言って、認めないのである。