彼らが、悪いことを進めるなかで、「感謝感謝」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というようなことが、どこからともなく、流れてくる。これは、セットになってる。現実は、ひどい現実なのである。これから、わかることだろうけど、現実はひどい現実なのである。おろかな人たちが、だまされて、悪いことに協力してしまうような現実がある。言霊という考え方も、じつは、悪い現実を補完するようなかたちで主張されることだ。たとえば、「言霊のどこが悪いんだ」とか「明るいことを考えることのどこがいけいないんだ」とか「感謝感謝のどこがいけないんだ」とかという言葉が、これまた、どこからともなく、流れてきそうだけど、悪い。どこが悪いのかということは、一度、悪魔に支配されている現実を、離れたところから見なければならないのである。横から、ななめから、うえから、したから、「よさそうなこと」が聞こえてくるだろう。ようするに、「感謝感謝」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とか「言ったことが現実化する」とかということだ。これ、一見よさそうなのだけど、悪魔の入れ物のなかで、悪魔が、普通の人を「指導している状態」だと、ダメなものになってしまうのだ。まあ、わからないか? ある程度、そのものずばりではない言葉を選ばなければならないので、とてつもなく、言いにくいのだが……。悪魔が、人に毒を飲ませようとしているとき、「感謝感謝」とか「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とか「言ったことが現実化する」とか「暗い現実を嘆いていもしかたがない」というような言葉が、悪魔側の洗脳設計者から、流れてくるのである。
言霊的なことを言う人たち、思霊的なことを言う人たちが、そのまま、悪をなしているわけではないけど、悪魔に協力してしまっているということになる。わかるかな?
現実の場面では、善意で言っていることなのだけど、それが、複雑怪奇なしくみによって、悪い圧力になってしまう。悪魔が、悪そうなことを提示したことなんて、一度もないんだよ。悪魔は、一見よさそうなことを言って、人のこころをくすぐる。ほんとうは、悪魔の目的がある。それは、悪いことだ。とりあえず、これを、人間側から見て、ディメリットだとする。そりゃ、ひどい目にあうことなのだから、ディメリットだ。ところが、悪魔は、人間に語りかけるとき、ディメリットについては、一切合切、言わない。そして、メリットだけを強調する。「メリットがあるのかな」「ちょっとよさそうだな」「ちょっとやってみようかな」と思った人間が、悪魔にやられるのである。
たとえば、AさんとBさんがいるとする。AさんとBさんは友達だとする。Bさんは、困難をかかえていたとする。Aさんは「明るいことを考えれば明るいことが起こる」とBさんに言ったとする。この場合、Aさんには、悪意がない。善意がある。ところが、いまのこの状態を見てみると、それが悪い方向に働くということが、わかる。いまのこの状態というのは、ぼくの妄想ではなくて、現実なんだよ。現実……。現実に対処するときにどうするかということが、みんなに、突きつけられている。そして、悪魔の選択をしてしまってはいけないということがある。けど、悪魔の選択をすることが、さも、いいように言ってしまうことができるのだ。根拠のない「明るいこと」を夢想しているあいだに、悪魔が、コマを一歩も、二歩も進めてしまう。簡単に言うと、幻術のたぐいだ。夢を見せられているだけなのである。そのあいだに、悪い方向に、社会全体がすすんでしまう。