2024年10月17日木曜日

もし、おなじことをおなじ量、おなじ時間の長さ、やられていれば、ちがった意見をもつことになるだろう

 うまくいかない理由が「まったくない」にもかかわらず、きちがい親父の「気持ち」だけで、うまくいかなくなるのである。その、きちがい親父の「気持ち」というのがものすごい気持ちなのである。これ、言いようがないよ。普通の人が意地をはった状態の一〇〇〇〇倍ぐらい意地をはった状態になる。きちがい化け物になって、発狂的な意地をはる。何度も言うけど、そこで、きちがい親父が意地をはる理由なんてないのだ。そこで、きちがい親父が意地をはる理由は、気ちがいおやじの頭のなかにしかない。きちがい親父の気持ちでしかない。しかも、発狂して意地をはっているのに、本人は、それがどうもわかってないみたいなのである。そして、「理由がない」ということを、どれだけ説明されても、きちがいスイッチが入ってしまうと、一切合切受け付けない状態になる。そして、きちがい的な意地でやったことに、責任をとるということが、これまた、一切合切ないのである。きちがい親父が、やったことなのに、きちがい親父としては、自分が意地をはってやったことだという気持がないのだ。認識がない。そして、きちがい親父が過去のある時点で、こういうことをやったからこまっている、ということを言われただけで、きちがいスイッチが入ってしまう。だから、どの時点で言ってもおなじなのだ。こういうことが、連続的におこって、いっしょに住んでいる家族がどれだけこまるか、こういう人間(家族の一員)といっしょに住んだことがない人には、わからない。根本からわからない。そんなの、普通の人たちの頭のなかにはないことなのである。きちがい親父の反応というのは、きちがい親父がいないうちで育った人の頭のなかには、一切合切ないのである。これも、一切合切ない。だから、俺が、きちがい親父に関する「正しい説明」をすると、ほかの人たちは「そんなのはおかしい」と思って、別の理由を差が出して、別の理由づけをしてしまう。その場合、「エイリの説明のしかたがまずかった」というようなことが選ばれる場合が多い。そして、この「なんだか不愉快な話」にかかわっているとろくなことにならないというような気分がするので、「説明のしかたがまずかっだけなんだ」という決めつけをして、話を終了するのである。これも、俺が、きちがい親父の行動や、きちがい親父の認識について、どれだけ正確に記述したとしても、普通の人にとっては「そんなのおかしい」と思えることだから、やられたほうの家族が、適切な説明をしなかったからダメなんだとか、なんかおこる理由がほかにあったのだろうと、勝手に決めつけてしまう。そして、不可解だというのは、居心地が悪いことなのである。これは、もう、だいぶまえに説明したので、省略して説明するけど、ようするに、きちがい親父の話というのは、自我を不安定にするのである。だから、なんとなく不愉快な感じがして、話を打ち切りたいと思うようになるのだ。これ、常識というのは、自我と関係しているので、常識がやぶられるようなことを言われると、自我が不安定になるのだ。この世の認識というのは、自我と裏表の関係にある。ともかく、一般的な人にとってみれば、きちがい親父の話、きちがい親父にかかわるエピソードというのは、なんとなく不愉快な感じがするものなのである。そこで、不愉快さを解決するために、まちがった解釈をして、そのまま、考えが動かなくなってしまう。ようするに、普通の人は普通の人で、「そんなのおかしい」「えいりの説明のしかたが悪かったんだろう」と思ったままなのである。

でっ、いままで話したことは、親父の話なんだけど、気ちがい兄貴にも、まったくおなじことがあてはまるのだ。あてはまってしまう。親父の態度と、きちがい兄貴の態度が、まったくおなじなのである。きちがい親父の感覚ときちがい兄貴の感覚がまったくおなじなのである。きちがい親父の……過去のある時点において、自分が発狂的な意地でやったことに関する認識と、きちがい兄貴の……過去のある時点において、自分が発狂的な意地でやったことに関する認識がおなじなのである。認識のしかたがおなじなのである。

だから、兄貴がやったことに関しても、ぼくがほかの人に話すと、ほかの人は、誤解をするのである。ほかの人は、簡単な問題だと思うけど、簡単な問題じゃない。ほかの人は、どれだけ(相手がやたっって)たいした影響はないだろうと思うのだけど、それは、やられないから言えるだけの話で、もし、おなじことをおなじ量、おなじ時間の長さ、やられていれば、ちがった意見をもつことになるだろう。

やられたことがない他人は、影響を無視できるのだけど、ぼくは、気ちがいや兄貴やられたことの影響を、他人のようには無視できないのである。ところが、実際にやられたら、影響があるので、影響を無視することができないということを、他人が否定する。「できると言えばできる」と、妄想的なことを言って否定する。「思い方をかえればいいんだ」「受け止め方をかえればいいんだ」と、妄想的なことを言って否定する。

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経験がない人は、ヘビメタ騒音の影響を否定されても、ぼくがおこらないと思っているみたいだけど、ぼくはおこる。これも、おなじ立場になってみればわかるよ。きちがい兄貴が、ぼくにおける、影響を無視して、きちがいヘビメタを、鳴らし続けた。これが事実だ。きちがい兄貴は、よそのうちでは、鳴らせないような音でずっと鳴らしていたのである。本人は、よそのうちでも鳴らせるような音だと思っているかもしれないけど、きちがい兄貴が、おばあちゃんのうちに下宿していたら、絶対に、一日に一分間だって、鳴らせないでかい音だ。だから、ここらへんの「自分だまし」がおかしいのである。聴覚が正常なら、絶対にわかることが、わからないのである。きちがい的にでかい音で鳴らしているのに、本人は『普通の音で鳴らしているつもり』なのである。そして、きちがい親父とおなじように、一度スイッチが入ってしまうと、きちがい的な意地でその行為をやってしまうのである。日本語がわかればわかることを、どれだけ言われたって、一回も言われてないという状態で、わからないままなのである。きちがい兄貴が、ヘビメタを、思いっきり、ほかの人のことなんて気にしないで、自分が鳴らしたい音で鳴らしたいと思っているあいだは、ずっとそうするのである。しかも、一秒も、そうしたことがないという認識が、やっているあいだじゅう、成り立っているのである。これは、矛盾した言い方なのだけど、きちがい兄貴の状態がそういう矛盾た状態なのだからしかたがない。こういうふうに言うしかない。

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ともかく、腹がたつよ。「そんなのは、言えばいい」「影響をうけないぞと思えば影響を稀有内ですむ」「すべては思いようだ」……こんなことを言われて、いいわけがないだろ。こいつらは、自分がやられたことがないから、どれだけ影響をうけるかまったくわかってない。どれだけ「影響をうけないぞ」と決心しても、きちがい的な音で鳴っていれば、睡眠時間を含めて、影響をうける。次の日も、ヘビメタ騒音の影響をうけた状態で暮らしているのである。生きているのである。普通の人がわからないのは、自分自身に、俺とおなじ経験がないからだ。きちがい家族と一緒に住んだことがない人は、ぼくとおなじ経験をしたことがないのである。だから、やられてないから、影響をうけないですんだだけだ。ところが、そいつらの想像のなかでは、「影響をうけないこと」は可能なのである。「影響をうけないで生活することは可能」なのである。一般人は、自分ならそうできると思っているのである。きちがい家族と一緒に暮らしたことがない人たち……ヘビメタ騒音に長時間さらされたことがない人たちは、影響をうけないで生活することが可能だという前提でものを言ってくるのである。これ自体が、ぼくにとって、非常に不愉快なことなんだよ。

「ヘビメタ騒音に長時間さらされたことがない人たち」と書いたけど「自分が、この世で一番苦手な音に、さらされ続けたことがない人たち」という意味だ。そして、家族の一員によって、その音が鳴らされているのである。どれだけ「やめろ」と言っても、きちがい的な家族の一員が、長時間鳴らしているのである。自分が苦手な音、家族による音、家族が無視して鳴らすということをみたしてなければ、ぼくと同等の騒音にさらされたことにならない。「ヘビメタ騒音」というと、ヘビメタが好きな人たちにとっては、たいした騒音ではないということになってしまう。けど、その人たちだって、苦手な音はあるはずだ。自分が苦手な音が、めちゃくちゃにでかい音で、鳴っていたら、こまるだろ。

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「過去は関係がない」「そんなのは関係がない」「鳴り終わったら関係がない」といったやつらがいるんだけど、ぼくは、そいつらをぶんなぐってやりたい。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。