ぼくは「言ったことが現実化する」とか「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思えば暗いことが起こる」とか「人間は働くべきだ」とか「努力をすれば成功する」とかと、言ってない。こういう非・現実的なことを、前提にして、ほかのことを言うということもない。ほかのことを言うときも、これらのことが、前提として成り立っている場合があるのだ。……妄想的なことを言う人たちは、これらのことについて言及しなかったとしても、これらのことを前提として話をすすめてしまう場合がある。「言ったことが現実化する」なんて、ぼくは言ってない。そして、ぼくは「言ったことが現実化する」ということを前提にして、ほかのことを言うこともない。前提として成り立たないと思っているから、これらのことが前提として成り立っている、別の妄想的なことを言うことはない。
いっぽう、ヘビメタ騒音の影響を認めない人は、これらのことを前提にして、妄想的なことを言うのである。しかし、一般的な常識として、これらの前提が成り立っているから、ほかの人は特に、「おかしい」と思わないのである。これは、分裂した態度が影響している。
言霊主義者をせめることになるので、あんまり言いたくないのだけど、言霊主義者というのは、ほんとうは、言霊理論が正しいと思っているわけではない。自分の現実的な問題に関しては、現実的な方法で解決しようとするのである。これは、自分の原人的な問題に関しては、言霊で解決しようとしないということだ。どうして、言霊で解決しようとないのかというと、言霊が、現実的な問題に対して、まったくもって無力だということを知っているからだ。
言霊主義者は、「明日、雨になる」と自分が言ったら、雨になったから、自分の言葉には力が宿っていると考えている幼児とおなじなのだ。ほんとうは、自分が「明日、雨になる」と言ったあと、雨になっただけなのに、「自分が雨になると言ったから、雨になった」と考えるのだ。理由づけがまちがっている。
言霊主義者が、トレーニングジムで、股間をいたくしたとする。言霊主義者なのだから、「一秒以内に、股間のいたみが消える」とか「一秒以内に、股間がなおる」と言えばいい。これが、言霊的な問題解決方法だ。言うことによって、問題が解決できるのである……。もしも、言霊理論が正しいならそうなる。ところが、この言霊主義者は「薄皮をはがすように、じっくりと時間をかけてなおすしかない」などと言う。はぁ? なに言ってんだ? 言霊の力でなおせばいいだろ。
人間には治癒能力がある。人間には、免疫機能がある。なので、「自然になおる」場合がある。これだって、「股間のいたみが消える」と言ったあと、治癒能力によって、なおったら、「言霊の力でなおった」ということができるのだ。言ったあと、と言ったからを混同してしまえば、自然になおった場合でも、言霊の力によって、なおったのだと思うことができる。できるだけで、ほんとうは、言霊の力でなおったのではなくて、人間に備わっている治癒の力によってなおったのだけど、本人は、「言霊の力でなおった」と思うことができるのだ。
言ったあとも、そうならない確率のほうが非常に高い場合、言霊主義者は、言霊の力で問題を解決しようとはしないのだ。言霊の主義者のなかで、現実原理が成り立っているからだ。「これは言霊で解決できる」と「これは言霊で解決できないと」と無意識的に判断しているのだ。 言霊で解決できるものというのは、「言ったあと」で解決しただけなのだけど、それを、言霊主義者が「言ったから」解決したと誤解できるものだ。けっして、言霊の力を使って、解決したことではない。しかし、言霊主義者の頭のなかでは、言霊の力を使って、解決したことになってしまう。