いま、近所で工事をしているけど、つかれかたがちがう。ヘビメタのつかれかたといったら、『普通の騒音』のつかれかたとはちがう。ぜーんぜん、ちがう。あの、つみかさね。あの堆積。あの日常。あの毎日。
わかるわけがない。経験してない人にわかるわけがない。きちがいヘビメタ相応がはじまるまえまで、俺だって、『普通の騒音』を経験してきたんだよ。それこそ、普通に経験してきた。家のまんまえが「でかい」幼稚園なので、普通の人よりもずっと、『普通の騒音』を経験してきた。けど、ヘビメタ騒音は、ぼくにとっては、普通の騒音じゃない。ぜんぜんちがう、異次元の騒音だ。あれをずっと、すぐ横でやられて……いいわけがない。ヘビメタ騒音がない状態とおなじ状態で暮らせるわけがない。普通の人がぼくにもとめているのは、ヘビメタ騒音がない状態で求めているものなんだよ。精神世界の人が、「できると言えばできる」と言ったって、できないんだよ。あの、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が鳴ってたら、できない。壁が透明なら、あのでかい音を出している、あのでかいスピーカーがすぐそこに見える状態なんだぞ。手が届くようなところにあるものなんだぞ。あんなの、普通のうちの、普通の部屋に、置くものじゃないんだよ。頭がおかしいから、こだわりきって、ああいうとてつもなく高価なスピーカーを買う。鬼になって、アルバイトをして買う。アルバイトをして、兄貴が兄貴のカネで買ったので、きちがい親父は、もう、制御できない。きちがい親父が、子どもにやってきたことというのは……。ほかの人にはわからないだろうけど、きちがい親父のカネの制御……カネによる支配というのは、尋常じゃない。これ、きちがいの家に住んだ人じゃないとわからないのだ。きちがい親父は、カネに対しても、きちがいなんだよ。むしろ、カネに対するきちがいの度合いが、ほかのことに対するきちがいの度合いよりも、ずっとずっとずっと、強い。カネは、一円でも、ぶつかりあい。カネのことで、子どもを虐待しまくる。これ、カネというのは……一種の……虐待の「道具」なんだよ。これも、普通の人には、まったくわからない。きちがい親父とおなじような感覚をもっているきちがいにやられた人しかわからない。もちろん、親としてね……。きちがい親父とおなじような感覚をもった親にやられた人しかわからない。どれだけの意地か、わからない。ほんとう、「子どもにカヌー体験をさせてやろう」なんて人の世界じゃない。この人たちは、この人たちで、それがあたりまえだと思っているから、特殊な鈍感さを発揮する。もう、まったくわかってない。この人たちが、きちがい親父の「原理」を理解するなんてことはありえないんだよ。この人たちにとっては、きちがい親父のカネに対する行動や、きちがい親父のカネに対する感覚は、未知の世界なんだよ。まったく理解してない。理解していないと、俺が言っていることがおかしいように、(この人たちには)思えるのだ。これも、縮図なんだよね。これ、縮図なんだわぁ。えーっと、これは、言ってしまってはまずいのだけど、自らが精神病の人たちがかかえている悩みとはちがうんだよ。カヌー体験ぐらいさせてやろうと言っているような親?と、自らが精神病である人たちというのは、『親父の行為』の理解について、対極にある人たちなんだよな。ある意味……。こんなの、わからないと思うけど。けっきょく、うちのタイプの親父にやられた人の苦悩というのは、カヌー体験とか言っている人にはわからないし、自らが精神病である人にもわからない苦悩んだよな。どんだけの意地でぶちあたってくるか、まるでわかってない。きちがい親父の「カネに対する態度」というのが、きちがい兄貴の「ヘビメタに対する態度」とおなじなんだよ。これも、言ったってわからないと思うけど……。言っておく。 きちがい親父の「カネに対する態度」というのが、きちがい兄貴の「ヘビメタに対する態度」とおなじ。
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