よく、「相手をほめるのがいい」というようなことが言われるけど、これも、失敗したほうが多い。特に、「ほめよう」と思って、ほめたときは、ほぼ一〇〇%失敗することになる。相手を褒めるのがいい」というようなアドバイスは、一見、問題がなさそうなんだけど、問題がある。こういうのは、「汎用」ではない。ほんとうは、ほめる側の人の立場とか、ほめられる人の側の立場とかというものが、実際の場面ごとにちがう。埋め込まれた文脈というものがぜんぜんちがうのだ。人によって、立場によって。立場といたけど、これも、たくさんある条件のなかのひとつの条件にすぎない。相手を褒めるのがいい」といった場合は、汎用性があり、どんな条件でも成り立つような感じがする。けど、無理やり?ほめようとしている人に、ほめられて、いい気分になる人のほうが少ないのだ。そして、時系列的に複数回そういうことがあるとなると、それも、複数回そういうことがあったという条件がしょうじることになる。関係性の時間的な連続と、「ほめたという」出来事からしょうじる(双方の感情的変化)というものも、じつは考えなければならない。これも、条件のひとつだ。ともかく、場面には、無数の条件が埋め込まれている。けど、「相手をほめるのがいい」というときは、すべての条件が捨象されている状態なのだ。そして、「相手をほめるのがいい」と言ったときに、たいていの場合は、例をあげるのだけど、その例というのは、複数の条件が、うまくっているときの話なのだ。だから、それらの複数の条件が成り立ってない場面では、それらの複数の条件が成り立っているときのようにうまくいくとは限らない。
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基本的に、きちがいヘビメタ騒音にやられていると、停滞した状態になる。そして、それが十数年もつみかさなるなら、いろいろと、ほかの人から悪く言われる立場になる。その場合、打開策として、いろいろなアドバイスを受けることがあると思う。あるいは、本を読んで、こうしたほうがいいのではないかと思うようなことがあると思う。それを実行すると、ほとんどの場合、うまくいかないのだ。これは、その人が悪いのではないかということになるのだけど、どうもちがう。その人というのは、この話だと、ぼくだ。ぼくのやり方がへたくそだから、うまくいかないという話になってしまうのだ。けど、どうも、汎用的に、うまくいかないのである。たいていの場合、そういうアドバイスはむしろうまくいかないことが決まっている。逆の結果を招来するのである。
この手の、本に書いてあるようなアドバイスというのは、たいていの場合、うまくいかない。それは、へたくそな人だけではなくて、うまい人?の場合も、うまくいかない。アドバイスに書いてあること、というのは、うまい人がやっても、うまくいかない場合のほうが多い。そうなるしくみがある。うまいというのは、普通に人のこころが読める人のことだ。普通に人のこころが読める人だって、さまざまな条件により、悪い状態になることがある。この悪い状態というのは、まあ、立場が悪い状態のことだ。ようするに、普通の人が、アドバイス通りにやっても、たいていの場合、うまくいかないのである。どうしてかというと、「汎用性のあるアドバイス」というのは、実際の条件を捨象してしまっているから……。そして、例として出てくるうまくいった場合の話というのは、非常に限られた条件が、じつはある話なのだ。だから、話のなかでは、うまくいくのだけど、実際の条件のなかでやると、うまくいかないことのほうが多い。
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「すべてから、話の例を引いたもの」が、話の例に近いものなのではなくて、むしろ、話例から遠いものなのではないかと思うのだ。「すべて」というのは、そのアドバイスをこころみたときの、すべての例だ。ようするに、条件が埋め込まれた現実場面で実際に発生した例のことだ。