2024年9月14日土曜日

遅刻するやつよりも立派だという考えがあるのかもしれない

ともかく、きちがいヘビメタ騒音の……連続するきちがい騒音の、足のひっぱり方というのが、尋常じゃないんだよね。そして、それをやられたことがない人は、どれだけ、その当日も、翌日も、きちがい騒音の影響をうけるかわかってない。毎日続いたら、前日のつかれや、だ猿がとれないまま、今日のつかれやだるさがつみかさなってしまう。そして、ほんとうに、意思では、それをどうすることもできない。これ、努力でどうにでもなるようなことを言う人がいるけど、その人は、じゃあ、その人が「この世で」一番きらいな音で、俺とおなじ経験をしたことがあるのかということだ。からだがぶっこわれる。しかも、「よその人は」たいしたこと、ないと思っている。そんなに影響が出るはずがないと思っている。ここの乖離がひどいんだよな。普通なら、問題がない睡眠が、ものすごく、問題のある睡眠になる。これが、でかい。ともかく、あびせられると、不可避的に、脳みそがダメになってしまうのである。どうしても、眠れなくなってしまうのである。これは、深刻な問題で、不可避的な問題なのである。けど、ほかの人は、不可避的な問題だと思ってないのである。自分なら大丈夫だと思っているのである。想像で、ものを言っている。そして、言霊主義者なら「眠れると言えば眠れる」と言うわけだし、思霊主義者なら「眠れると思えば眠れる」と言うわけだ。そして、努力主義者・根性主義者なら、どんな状態だって、努力ができる」と言うわけだ。けど、それ、おなじようにやられている人たちが言っていることじゃないからね。その人たちは、ぼくと同等の騒音を経験してない。「受け止め方の問題だ」という人だって、経験してない。「つらいと思うからつらいんだ」と言う人だって、経験してない。俺をダメ人間のように言い、さぼっているように言い、あまえているように言う人間だって、ほんとうは、ぼくと同等の騒音を、おなじ時期に経験してない。おなじ時期というのは、人生の同じ時期ということだ。これだって、年数の長さとは別に、「ある種」の条件をうみだす。そりゃ、親と一緒すんでいるときに、家族にやられるわけだから、自分だけ引っ越して問題を解決することなんてできない。普通の家族なら、うちで起こったことは、起こらないのだ。だかし、言霊主義者、思霊主義者、努力主義者、根性主義者、受け止め方主義者、だって、実際には、ぼくとおなじ期間の長さ、おなじ人生の時季に、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音を経験しているわけではない。きちがい家族がいる人であって、なおかつ、そのきちがい家族が、きちがい兄貴とおなじような脳みそのクセをもっていて、なおかつ、きちがい兄貴のように、自分が思った音で、音を鳴らすということに、きちがい的にこだわっている家族がいる家じゃないと、うちのきちがい家族(兄貴)による騒音と、同等の騒音を経験することができない。経験するはずがない。だから、経験がないという意味で、まったくひとごとなんたけど、「自分なら、こうする」「自分ならこうできるはずだ」という前提でものを言ってくる。ものを言ってくると書いたけど、「無理なことを」言ってくるということだ。ともかく、きちがい兄貴のようにヘビメタを鳴らす人はそんなにはいないのだけど、みんな、騒音体験はあるので、それぞれの騒音体験をもとにして、俺に無理なことを言ってくる。空想的な無理なこと……。妄想的な無理なこと、なのだ。けど、言っている本人は、妄想的な無理なことだとは思ってないのである。こういう構えがある以上、トラブルがしょうじやすい。相手にこういう構えがあり、ぼくのほうに、言い切れないいろいろな思いがあるのだから、両者は、同意しない。かならず、ぼくが、言っていることを、ぼくが通そうとすれば、言い争いになる。その場合、ぼくのほうが、立場が弱いのである。ぼくは、きちがい兄貴に、やられているので、数々の問題をかかえてしまっている。相手は、数々の問題をかかえていない。きちがい兄貴がもたらす、騒音で、眠れなくなり、遅刻をするという場合についてだけ考えてみても、遅刻をするのは、ぼくなので、立場が弱いのである。相手の人が、遅刻をしないのは、きちがい兄貴相当の、きちがい家族がいないからなのである。別に、相手のほうがすぐれているわけではない。ところが、ぼくの立場が、きちがいヘビメタ騒音ですでに弱くなっているので、相手が、強く出てくるのである。たとえば、言霊主義者は、言霊理論を信じているのである。こんなのは、ここでずっと書いてきたように、妄想だ。言霊理論というのは、理論的にまちがっていることなのである。けど、こど玉主義者がそれを認めることはない。「単純なことが正しい」「単純だから正しい」「言ったことが、現実化する」「これが正しい」と言って、ゆずらない。そういうことを言う言霊主義者は、きちがいヘビメタ騒音にたたられてないときの、ぼくのように、きちがいヘビメタにたたられているぼくよりも、有利な立場にいるのである。まあ、ほんとうは、「立場にたっている」と言いたいところだけど、二重表現の疑いがあるので、いちおう、さける。表現の問題は、横に置いておくとして、ともかく、きちがいヘビメタ騒音に、実際にやられてない相手のほうが、優位なのである。優越した立場にいるのである。事実、自分が遅刻しないのだから、遅刻するやつよりも立派だという考えがあるのかもしれない。自分は、立派で、相手は、立派じゃないと思っているのかもしれない。自分というのは、この場合、言霊主義者で、相手というのは、ぼくのことだ。そうなると、立場的にすぐれているので、相手の言っていることをきかなくてもいいという態度になるやつが、多数いる。この世にはそういうやつが多数いる。きちがい兄貴が知らないところで、きちがい兄貴のやったことについて、きちがい兄貴にやられてないやつと、ぼくとのあいだに、トラブルがしょうじるのである。意見の相違がしょうじるのである。はっきり言えば、言い争いになるのである。もう、決まっている。もちろん、ぼくがゆずるということもできる。けど、ゆずると、相手は、もっと自分が、優位にたったような感じになるのだ。感じがする。ゆずると、やばいことになるのである。ゆずらなくても、やばいことになっている。

こういうことが、多数の他者と発生して、いいわけがない。いいわけがない。けど、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音で自動的に(人間というのは)遅刻するようになる。けど、ほかの人には、きちがい兄貴相当のきちがい家族がいないので、それがわからない。だから、わからない人が、無理難題をふっかけてくるのである。できるのだから、無理難題ではないと思うかもしれないけど、それは、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音下で、できることではなくて、 きちがいヘビメタ騒音相当の騒音が鳴ってないときにできることなのだ。ここがちがう。けど、こういうちがいを、よその人は、(自分がさらされたことがないので)自動的に無視してしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。