どれだけ、精神的にも、体力的にも、学業的にも、足をひっぱられるか、わかってないやつらが、好き勝手なことを言う。きちがい家族にやられると、好き勝手なことを、言われる立場になる。不可避的だ。しかも、ほんとうに、「どれだけ、足をひっぱられるか」ほかの人、まーーーったく、まーーーったく、わかってないのである。この基本構造だけでも、腹立たしい。腹立たしい。きちがい兄貴は、俺にどれだけはじをかかせれば気がすむんだ。きちがい構造で無視しやがる。きちがい構造で、俺がどれだけこまっているか、無視しやがる。きちがい構造で、詩文がどれだけでかい音を鳴らしているか、無視しやがる。無視したら、どれだけ、がむしゃらに、言うことをきかないで、やってたって、やってないということになる。この構造……。きちがい親父がつくりだした構造だけど……。きちがい兄貴がそっくりそのままおなじなんだよね。きちがい兄貴ときちがい親父が、まったくおなじ構造をもっている。四人家族で、ふたりがきちがいと言うことが、どういうことなのか、ほかのやつらはまったくわかってない。きちがい家族が、どんな方法で、足をひっぱるのか、ほかのやつらは、ぜんぜんわかってない。けっきょく、きちがい家族がいないから、きちがい家族にやられたことがない。きちがい家族にやられたことがなくても、普通に生きていれば、そりゃ、苦労をする。けど、その普通の苦労と、きちがい家族にやられた苦労は、ちがう。足のひっぱられ方がちがうんだよ。土台を破壊されてしまう。「努力をすることが大切」ということになっているけど、「努力をしようにもできない状態になる」。そういうレベルで、足をひっぱられる。ハンディのでかさが並じゃないのである。すべてに影響をあたえる。
きちがい家族による騒音が、どれだけ、足をひっぱるか、ほかのやつらはまったくわかってない。
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たえるだけで、すべての「努力体力」を使ってしまうのである。そして、マイナスだ。赤字続き。容赦なく、きちがいが鳴らす。マイナス。赤字続き。発狂的な意地で、がんばってがんばって、普通以下になってしまう。自分の普通以下という意味だ。これ、ほんとうに、すさまじいマイナスなのである。きちがいヘビメタなしで、さぼってさぼって、さぼりきっているほうが、一〇〇万倍、ましなのである。どれだけ、努力をしても、マイナス、マイナスの連続で、赤字がつもっていく。だから、一〇〇日目には、一〇〇日分つもった状態なのである。一〇〇〇日目には、一〇〇〇日分つもった状態なのである。過去は関係がないなんて言ったやつは、ほんとうに、ぶんなぐってやりたい。そういう発言をすること自体、無理解だということを露呈している。まったく、状態がわかってないから、そういう発言ができる。わかってないことの証明。けど、『わかっている』『理解した』と言いやがるんだよ。「騒音が鳴ってたんだろ。そんなのわかっている」……。おまえの理解は、そういう理解だ。騒音が鳴っていたということは、認識したのだろうけど、騒音の影響はまったく認識してない。そういうレベルの理解だ。そして、「俺だって騒音はあった」とか「俺だって苦労した」とかと言えば、それで、影響までわかったつもりになる。ほんとうに、そういうことを言うやつが、くそなんだよ。
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「努力できなかった」のか「努力した」したのか、どっちかという問題について語っておこう。「努力できなかった」の努力は、普通の努力だ。前向きの努力なんだよ。普通の状態でできる、前向きの努力だ。きちがいヘビメタにやられると、普通の努力はできなくなる。普通の状態で前向きの努力をすることだ。ぼくがヘビメタ騒音のなかでやったのは、たえる努力だ。ヘビメタ騒音にたえて、生活する努力だ。ヘビメタ騒音にたえて、生きる努力だ。ヘビメタ騒音にたえて、生きるだけで、すべての力を使っている状態なのだけど、当然、マイナスが、つみあがる。