「どれだけ言っても、わかってくれない」というやつを、ダイヤでも経験した。「こっちがどれだけ言っても」……「相手はわかってくれない」ということだ。あのとき、友情回路が完全にこわれた。こころがくるしかった。きちがい兄貴が、きちがい回路を搭載して、きちがい的な音を鳴らし続けるとそういうことになる。これ、ほんとうに、人間関係に大きな影響をあたえる。オオハラさんに、プレゼントをお返しできなかったのも、きちがいヘビメタで、高校をおちまくっていたからだ。そのときの状態というのがあるんだよ。高校をおちまくっているのに、きちがい兄貴がやめてくれない。問題の根源であるきちがい兄貴がやめてくれない。これが、どういう、こころをそだてあげるか。これがどれだけ、根本的なこころに影響をあたえるか。こんなことをやられ続けて、「楽しく感じる回路」を維持できるわけがないだろ。ところが、くそ凡人は、「俺だって苦労した」と言って、「そんなのは関係がない」「過去は関係がない」と言う。これだって、きちがい兄貴が、きちがい回路を搭載せずに、やりきらなかったら……うちのきちがい兄貴がきちがいではなく、普通の人だったら、発生しなかったことなんだぞ。さらに、きちがい兄貴のヘビメタ騒音でだめになると、だめになったのは、おまえのせいだと、きちがい凡人が言ってくる。自己責任。自己責任。こいつら、自分がたまたま、きちがい家族のうちに生まれてこなかっただけなのに、自分は平気だという前提で、ものを言う。不可避的にダメになるということはないという前提で、ものを言う。俺だった自分で、どうにかできたという前提でくそを言う。ほんとう、くそ。くそ凡人。
ほんとうに、どれだけがんばってもできなくなるのに、「自分ならどうにかできる」と言う前提で、そくを言ってくる。くそ凡人。きちがい兄貴がきちがいなんだよ。きちがい兄貴が、よそじゃ絶対にないことをやっているんだよ。きちがい兄貴が、よそじゃ、一五年間どころか、一日だって、絶対にないことをやっているんだよ。その人は、まったく、きちがいヘビメタ騒音相当の騒音にさらされてないんだよ。音のでかさだけが問題じゃないんだよ。時間の長さ、期間の長さ、正当性が問題なんだよ。けっきょく、「よそ」じゃないから、「よそ」の人は、まったく経験してない。自分の問題じゃない。だから、ヘビメタ騒音のことを軽く考えて「自分なら、どうにかできるだろう」と思う。そして、無理を言う。こいつらだって、きちがい兄貴じゃないけど、無理を言っているつもりがない。つもりがないんだよ。バカの壁を感じる。