2024年9月22日日曜日

これ、この世の『いやな経験』のひとつだ。

 理解しない他人といっしょにいて、楽しいかというと、まったく楽しくない。ぜーーんぜん、たのしくない。まーーったく楽しくない。こんなの、ない。きちがい兄貴が押し付けてきたことというのは、こういうことなんだよな。たえれば、どのみち、こういうことになる。他人というのは、きちがい兄貴のやり方を理解しない。実際に、やられたことがない。きちがい的な家族といっしょに住んでいるわけではないので、実際にやられたことがない。実際に、きちがい家族にやられたことがない人には、わからないことがある。実際に、きちがい家族といっしょに住んだことがない人には、わからない。だから、他人というのは、基本的に、きちがい家族にやられたことを過小評価したり、無視したりする。『理解した』というのは、やられたことがないやつが『理解した』ということだ。だから、『理解した』としても、理解してない。まーーったく理解してない。

過小評価したり」と書いたけど、過小評価するやつは、まだましだ。普通のやつは、完全に無視する。影響を無視する。きちがい家族というのが、背後にある問題は、きちがい家族といっしょに住んだことがない人間にはわからないことなんだよ。いっしょに住んでいるということは、一日二四時間中、二四時間、影響をうける可能性があるということなんだよ。たとえ、いっしょにいない時間も、四六時中騒音を鳴らすということだと、騒音が鳴ってない時間も影響をうける。けど、騒音が鳴ってない時間も影響をうけるということが、からだでわかってないのだ。きちがいにはきちがいのやり方がある。きちがいにはきちがいの感覚がある。普通のうちに気ちがいがいないのであれば、普通の人は、きちがいがやることがわからない。きちがいに実際にやられてなければ、きちがいがやったことが、どれだけ影響をあたえるか、わからない。実際に、経験しないと、そのつらさがわからない。

むしろ………。たとえば、「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」「受け止め方の問題だ」と言われることは、「負の体験」なんだよ。これ、言っているほうは、いいことをしたと思っているんだろ。正しいことをしたと思っているんだろ。いい助言をしたと思っているんだろ。そんなの……。こんなの……。こんなの、きちがいヘビメタから「押し出される」もうひとつの「悪い体験」なんだよ。悪い体験を付与している。こいつらがやっていることというのは、きちがい家族にやられた人間に対して、無理解という攻撃をくわえるということだ。これ、攻撃なんだよ。攻撃のつもりはないかもしれないけど、攻撃なんだよ。そして、きちがい家族にに、きちがい的なやり方で、やられたことがない人と、きちがい家族にゆちがい的なやり方でやられたことがある人のあいだには、ものすごい、溝がある。家族!なんだよ。家族。家族と言うことが問題なんだよ。家族と言うことが問題なんだということも、こいつらは、まったくわからない。わかるわけがない。そうすると、普通の家族といっしょに暮らしてきた常識で、ものを言うということになる。これが、どれだけ、ずれた発言か、きちがい家族といっしょに暮らしたことがない人は、わからない。わからない。

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きちがい家族にやられてない人はわからないと思うけど、「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」「受け止め方の問題だ」と言われることは、ものすごくいやな体験がみっつ、くわわったということだ。これ、いい体験じゃないのである。これ、言っているほうは、元気づけるつもりなんだろ。あるいは、常識的な考えを、自分のなかで納得するように言っているわけだろ。これ、「ジタイ」のほうが、異常なのだから、常識的な発言は、非常識な発言になる。これ、ほんとうは人間の真理を無視した発言なのである。「ジタイ」というのは、経験したこと自体ということだ。こっちが経験したこと自体だ。かけことばで「事態」という意味もある。

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「いい体験じゃない」と言ったところでわからないかと思う。そりゃ、こんなことを言うやつらにわかることじゃない。わかることじゃないということはわかるけど、言っておく。これ、負のストロークなのである。これ、この世の『いやな経験』のひとつだ。きちがいヘビメタ騒音から、ほぼ不可避的に発生してしまう、いやな出来事のひとつだ。人生が楽しくないとか、この世の暮らしが楽しくないということについて、言っておこう。こういう負のストロークが増えるから、楽しくないというところがある。もちろん、基本は、きちがいヘビメタ騒音で生じたのである。けど、きちがいヘビメタ騒音をあびると、必然的に生じてしまうとことが、ほかの人にはわからない。わからないのがスタンダードなのだ。ときどき、ヘビメタ騒音をあびていないにもかかわらず、ある程度理解してくれる人がいるのだけど、その人たちは、「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」「受け止め方の問題だ」なんてことは言わない。これ、「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」「受け止め方の問題だ」と言うことで、どれだけ、人を傷つけているのかわからないのかね? 無理なことを言っているんだよ!! まあ、わからないか。

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きちがい兄貴が、きちがい行為を夢中になってやる。毎日、すべての時間を使って、きちがい行為をやる。きちがい行為の影響をうける。どうしたって、うける。ところが、やられてない人は、影響をうけてない。やられてない人は、自分のからだで、どういう影響があるのか、確かめてみたわけではない。けど、きちがい家族におなじことをやられてない人だって、そりゃ、この世に生きていれば、いやなことは、いっぱい経験する。苦労もしたのだろう。けど、その苦労は、きちがい家族によって生み出される「毎日の」苦労ではないのだ。だから、ともかく、きちがいヘビメタ騒音のことは、わからない。普通の人は、経験がないので、どういう影響が出るのか、わからない。わからないまま、「そんなのは関係がない」と言う。もちろん、「自分なら、影響をうけないで暮らすことが可能だ」という前提がある。その前提がまちがっているのだけど、経験がないから、前提がまちがっているということが、根本的に、わからない。だから、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、きちがい行為をすると、ぼくが、ほかの人から、必然的に誤解されるようになる。

それから、この世の出来事というのは、基本的な感情に影響をあたえる。この世の出来事が、不愉快なことばかりだったら、やはり、不愉快になる。きちがい的な騒音というのは、身体にひびく。ずっと、浴びせられたら、浴びせられてない時間も、ずっと影響をうける。毎日、続けば、リターン不可能な影響をうける。この「リターン不可能だ」ということも、ほかの人にはわからないけど、「リターン不可能なのだ」。リターン不可能性というなら、リターン不可能性がある。きちがい的な騒音の繰り返しは、こころの根本に、リターン不可能な影響をあたえる。けど、ほかの人は、これを、無視する。無視したということすら、意識にのぼらないレベルで、無視する。こいつらに、どれだけ「リターン不可能なのだ」と言うことを言っても、むだだ。こいつらは、こいつらで、理解しない。経験の範囲で言えば、絶対に理解しない。

『いやな経験』のひとつだと言ったけど、『いやな経験』がつみかさなることは、こころの根本に影響をあたえる。どいつもこいつも、無理難題を言ってくるのであれば……無理解ぶりを発揮して無理なことを言ってくるのであれば、それは、言われたほうは、気分が悪くなる。不愉快な経験だ。たとえば、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」などということを言うやつがいるけど、こいつは、バカだ。頭がわるい。こういうバカなやつにえらそうなことを言われる。そして、大多数が、こういうバカなやつに、賛成する。俺の側に立たない。こういう状態になる。きちがい的な家族に、やられると、そういうことになる。

ようするに、きちがい家族にやられていない普通の人が、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言うたびに、いやな経験がひとつずつ、増えていくのだ。異口同音。いろいろな、異なる個人が、普通の感覚で「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言うわけだから、回数が増えていくことになる。

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 「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」だけではなくて、「過去は関係がない」ということもおなじ効果がある。基本、こいつらは、ヘビメタ騒音の影響を無視している。無視できるのは、やられてないからだ。本人がやられてないからだ。やられていたら、そんなことは言えない。

感じ方の総体と言うことを言うのであれば、まさしく、こいつらが、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」「過去は関係がない」と言えば言うほど、ぼくの「楽しみを感じる回路」がこわされていくのだ。まあ、もちろん、きちがい兄貴の実際の行為によって、ぼくの「楽しみを感じる回路」というのはこわれているのだけど……すでにこわれているのだけど、なんか、後押しをする部分があるのだ。そりゃ、きちがい兄貴がやったことにくらべれば、ずっとずっとずっと、軽いことだ。一無量大数分の一なのだろう。けど、こういうのも、つもっていく。「楽しみを感じる回路」がよけいに、こわれていく。むしろ、そういう発言は、「楽しみを感じる回路」をこわす。修復しない。修復するほうの力にならない。修復する方向で後押しをするわけではなくて、破壊する方向で後押しをする。

ようするに、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言われるたびに、「楽しくない体験」が増え、「楽しみを感じる回路」がしなびていくのである。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。