ヘビメタ騒音なしで、わかいころをやりなおしたい。ヘビメタ騒音なしの若い時代を体験してみたい。つねにヘビメタが鳴っていて、常に、ヘビメタのハンディがある状態で暮らしていた。ヘビメタのハンディというのが、並じゃないのである。ヘビメタ騒音のハンディというのは、ほかの人にはわからない。もちろん、俺が、きちがいヘビメタが一番、この世でにがてだった音だから、あんなにでかい音で鳴らされると……白愚中鳴らされると、ものすごいハンディになってしまうわけで、ヘビメタが好きな人ならまたちがっていたんだろう。けど、自分が聞きたくないときにずっと、ヘビメタを聞かされるというのは、ヘビメタが好きな人だって、不愉快かもしれないよ。ずっと、きちがい的にでかい音で鳴っているわけだから。彼女のことだって、精神的に体力的に影響をあたえるのだけど……本当にダイレクトな影響をあたえるのだけど、きちがい家族に騒音でやられなかった人は「そんなのは関係がない」と言うわけだ。一日の全体がダメになるんだよ。一年の全体がダメになるんだよ。切り離された問題じゃないんだよ。きちがいヘビメタを聞かされた身体で、生活をしているんだよ。それは、とりもなおさず、ヘビメタ騒音の影響をうけているということなんだよ。
どういうふうにやりようがあるかと言うと、きちがい兄貴に騒音でやられている限り、やりようがないんだよ。実際に、やられている……きちがいにやられている生活……家族として一緒に住んでいるきちがいにやられている生活をしたことがない人は、それが、どういうものなのか、わからない。「やりようがある」ような気がするのである。それは、実際に、きちがい家族に毎日、何年間も、十数年間もやられなかったから、「やりようがある」ような気がしているだけだ。やりようがない。どれだけもがいても、きちがいの壁があるわけだから、きちがいをしずかにさせることができないのである。きちがいがきちがいの思い通りに、暮らしているのである。きちがいの感覚は、なおらないのである。きちがいが、きちがい的な感覚でやっていいと思って、きちがい的に長い時間、きちがい的に長い期間、ずっとやり続けるわけで、影響は、うける。やりようがない時間がが続く。やりようがない一日が、続く。やりようがない一年が続く。やりようがない、一生が続く。
やられてないやつが、わかってないだけなんだよ。きちがい兄貴が生きている限り、やりようがないんだよ。やりようがない一日が、毎日続くんだよ。そうしたら、つもるんだよ。「つもる」というのだって、実際に経験した人じゃないとわからない。だから、ぼく以外の人には、わからない。「やりようがあるのに、エイリさんがやらなかっただけだ」ときちがい発言をしやがる。こいつらも、ゆるせない。