きちがい親父だけど、自分がよく思われたい一心で、俺が、親戚の人たちの悪口言っていると、親戚の人たちに言っていたのだ。基本、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、大学などに落ちていた俺は、親戚の人にあいずらい状態になっていた。まあ、それを利用して、俺が親戚の日との悪口を言いまくっていると、親戚の人に言っていたのだ。言いまくっていた。
これ、自分が(息子のエイリより)よく思われたい一心で言ったということを、最初に言わないと、親父の行為がどういう行為なのか、よくわからないことになる。で、親父が死んだとき、親戚の人から、電話がかかってきたのだけど、留守録には出なかった。これは、出れる状態じゃないのである。ネズミのうんこで、電話機に近寄れない状態なのである。これが、わかる人がいない。きちがい親父が、魚が置いてある皿を出しっぱなしにして、まず、ネズミを「餌付け」した。部屋中に、魚のにおいが蔓延して、ものすごく、くさい状態だったのに、「くさい」と言えば、「くさくない」と言いかえす状態だったのだ。「魚を出しっぱなしにすると、部屋中が臭くなるから、魚をしまってくれ」と俺が言ったら、「くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!」と顔を真っ赤にして絶叫したのだ。そういう過去がある。これが事実だ。そして、ネズミの侵入経路をふさぐために工事をしようと、俺が親父に言ったとき、親父は「俺がつかまえるから、いい」「俺がつかまえるから、いい」「俺がつかまえるから、いい」と顔を真っ赤にして絶叫していたのだ。ネズミの糞は、まったく気にしないのである。これがきちがいなんだよ。部屋中にネズミの糞が散らかっているのに、そして、増えていくのに、まったく気にしない。頭がおかしい。この、ネズミの糞が増えていくのに、ネズミの糞が増えていくことはまったく気にしないということが、普通の人には、わからないのだ。こういう感覚は、きちがい兄貴にもある。そして、きちがい兄貴のヘビメタが鳴っていたのに、それをそのままにしておく、きちがい親父のセンスがある。これ、きちがいだから、どれだけ言っても、ダメなのだ。普通に気にしてくれない。
ともかく、きちがい親父のきちがい頭だと、ネズミが入ったあと、ネズミシートで捕まえても、ネズミの糞が増えていくだけだということが、わからないのだ。そして、こういう期間が長く続くと、ネズミが、壁のなかに巣をつくってしまうのだ。実際にネズミが、壁のなかに巣をつくったのは、親父が入院したあとだ。だから、俺が対処しなければならなくなったのである。きちがい親父がいないうちのなかで、俺が、ネズミに対処しなければならなかった。こんなの、原因をつくって……頑固に頑固に(こっちが)言うことをきかずに、原因をつくって、本人は、とんずらという感じだ。いつもいつも、こうなんだよ!!! いつもなんだよ!! だいたい、きちがい兄貴のヘビメタ騒音をほったらかしというのはおかしい。いくら、九九%の時間、本人……きちがい親父が……いないときに、ヘビメタが鳴っているとはいえ、俺から話をきいて、ものすごい音でヘビメタが鳴っているということは知っているわけだから、ほったらかしはおかしい。きちがいヘビメタをきちがい兄貴が鳴らしている時間全体のうち一%ぐらいの時間だけど、本人だって、音のでかさはわかるはずなんだよ。きちがい親父が、きちがい兄貴にものを言えなくなったのは、きちがい兄貴が、親父よりでかくなったからだ。そして、親父よりも、兄貴のほうが小さかったとき、「めちゃくちゃなことをやっていた」ということを、無意識的には、親父が知っているからだ。これ、無意識なんだよ。意識的には、わかっないんだよ。これが、きちがいなんだよ。
だから、きちがいの感覚が、ほかの人にはわからないのである。きちがいのやっていることが……きちがい家族がうちのなかでやっていることが……ほかの人にはわからないところがある。これもまた、感覚器にわからないのである。そして、認知的な不調和を引き起こす話なので……そういう話は、認知的不調和を引き起こす話なので、きちがい家族にやられたということを、きちがい家族にやられた側の人が、ほかの人に、説明すると、ほかの人は、不可解な感じと不愉快な感じを経験するのである。そして、あんまり深くは考えないで、「そんなことはないよ」と言うのだ。「ちゃんと言えばわかってくれるよ」と言うのだ。けど、そんなことはある。そして、「ちゃんと言えばわかってくれるような人」だったら、もう、とっくにどうにかなっているのだ。きちがい家族にやられた人が、自分の家族を「きちがい」と形容しなくてもいいのだ。もし、「ちゃんと言えばわかってくれる」人だったら、やられたほうだって「きちがい」なんて言ってない。そもそも、やられてないのである。過去のにおいてやられたことがないということになる。「ちゃんと言えばわかってくれる家族」なんて、そもそも、きちがい行為をきちがい的な意地で毎回やるわけがないだろ。「ちゃんと(やめてくれと)言えば、やめてくれる」……そんなことが成り立つなら、そもそも、こまってないよ。
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留守録には出なかったということを書いたけど、これは、留守録にメッセージが残されていなかったからだ。親戚の人は、何回も電話をかけたらしいのだけど、メッセージは残さなかった。きちがい親父が死んで、俺が兄貴の嫁さんに、親戚の人に、親父が死んだということを知らせてくれと頼んでおいた。そして、親父が死んでから、はっきりとメッセージを残したのだ。メッセージが残っていれば、しかたがないので、ネズミがのっかったかもしれない、電話機をいじって、メッセージを再生した。この電話機を置いてある台というのが、親父がつくった、新聞紙の台なのだ。新聞紙というは、回収するために紙の袋を置いていってくれるのだけど、その紙の袋に新聞紙を入れたままにして、台のようにして使っていた。だから、これが、狭いところで、動かせないのである。これがまた、親父がつけたカーテンがあって、それは、それなりに理由があるのだけど……。まあ、カーテンのことはいいか。理由があることだからなぁ。けど、ともかく、あのカーテンがまた、ダニがいっぱいるような感じのカーテンになってしまって、近づきたくなかった。見えないダニしかないのだけど、カーテン近づくと、やばいのである。ともかく、その新聞紙でつくった台のうえにある電話機には、なかなか近づけないのだ。近づけば、ネズミの糞を「スリッパ」で踏むことになるからだ。けど、それを「おして」メッセージを再生した。電話機に近づきたくないのは、ネズミの糞をふんでしまうからだ。そして、電話機に触りたくないのは、ネズミの糞は表面になかったけど、ネズミが電話機の上を通った可能性があり、電話機のボタンにも、ネズミがふれたかもしれないので、電話機のボタンを押したくなかった。
基本的には、親戚の人が言いたかったことというのは、うちの仏壇を拝みにいきたいということだったのだ。それで、兄貴の嫁さんが、ネズミのことについては(親戚の人に)話しておいてくれたので、ネズミの話は本当の話なのか?ということを訊きたかったみたいなのである。ようするに、親戚の人のことをぼくが、きらっているので、ネズミがいるという嘘をついたのではないかということを、親戚の人は考えたのである。で、それを確かめるために、電話をかけてきた。で、そのとき、ぼくが、親戚の人の悪口を言っているということを、親父が言いふらしていたということを、聴いてしまうのである。俺は、親戚の人の悪口なんて言ってない。親父に対して、親戚の人の悪口を言ったこともない。親父と親戚の人のことを話したことはあるけど、それは、おかあさんの葬式のあとなど、非常に限られた場合の話なのだよ。そして、そのときも、親戚の人の悪口なんて言ってない。言うはずがない。けど、きちがい親父は、自分の「得点」をかせぎたいために、俺が、親戚の人の悪口を言っていると、親戚の人に対して、わりと長い期間にわたって、複数回、言っていたのである。これ、真っ赤な、嘘なんだよ。嘘。普通は、かりに、自分の息子が、親戚の人の悪口を言っていたとしても、親戚の人に対して、「自分の息子があなたたちの悪口を言っている」というようなことは、言わない。実際に、自分の息子が、親戚の悪口を言っていたとしても、それを、当の親戚の人に言うなんてことは、しないんだよ。普通の人だったら絶対にしないことだ。それを、きちがい親父は、自分のなかで、嘘の話をつくりあげて、「自分の息子があなたたちの悪口を言っている」というようなことを言ってしまうのである。俺の立場はどうなる? これ、こういうこと、ばっかりなんだよ。そもそも、親戚の人と、俺が疎遠になったのは、ヘビメタ騒音が原因なんだぞ。ヘビメタ騒音のことは、親戚の人に一切合切言ってなかったのである。