あのころの、ぼくの一日というのは、きちがい家族がいる人にしかわからない。そのきちがい家族が、猛烈にでかい音で常に騒音を鳴らしているという状態が六年以上、続いた人じゃないとわからない。
毎日、続いた人じゃないとわからない。
これ、一日だけうるさったのと、毎日、六年間、うるさかったのとでは、からだの状態があきらかにちがう。けど、実際にぼくとおなじ経験をした人じゃないと、からだの状態がわからない。
「俺だって苦労した」というひとことで、同質化、同量化するけど、普通に生活できているなら、同質じゃないし、同量でもない。
ところが、「俺だって苦労した」とひとこと言えば、働いているのに、同質、同量の苦労をしたということになってしまうのである。
いやーー、同質、同量の苦労をしたなら、働けなくなる。通勤して働くということができなくなる。
けど、それが、わかってないやつが、「俺だって苦労した」のひとことで、同質化、同量化し、「俺は働いているけど、おまえは働いていない」という立場で、えらそうなことを言ってくる。
屈辱。
働けるのだから、同質、同量の苦労はしてない。
そうはっきり言える。
実際、そいつには、きちがい家族がいないのである。
きちがい的にうるさい音で鳴らしているのに、普通の音で鳴らしていると、勘違いするような気ちがいがいないのである。
きちがい兄貴にしたって、ほかの音が……自分の意思とは関係なく……きちがい兄貴が『普通の音』だと思って鳴らしている音量で鳴っていれば、五秒で怒り狂って文句を言う。
けど、自分が、鳴らしたいなら、無意識的なレベルで無視してしまう。
普通なら絶対にわかることがわからなくなってしまう。
そういう、きちがいと一緒に住んだことがないやつが、同質、同量の苦労をしたようなことを言うな。
あんな状態で、人とつきあえるわけがないだろ。あんな状態で、彼女とつきあえるわけがないだろ。どれだけはりつめて、生活していたか?
すべてが、疲労のなかにとけていく……。
すべてが、怒りのなかにとけていく……。
疲労と怒りの繰り返しで、くるしい。
同質化、同量化したやつは「やりようがあったはずだ」というような前提でものを言う。それ自体が、侮辱なんだよ。きちがいが鳴らしている。これがわかってない。