ヘビメタ騒音にたたられていると、いろいろな、本来なら必要がない用事が発生するのである。たとえば、大学受験に落ちて浪人するというようなことが発生する。それで、近くの図書館に、自転車で行くわけだけど、近くの図書館に自転車で行くというのも、本来なら必要がない作業だ。だいたい、浪人していても、きちがいヘビメタが毎日鳴っている状態にはかわりがない。きちがい兄貴が休みの日は、ほぼ一三(じゅうさん)時間、きちがいヘビメタ騒音を浴びせられるような状態がかわらない。どれだけむなしい思いで、俺が日曜日をすごすのかということだ。でっ、図書館だって、あのころは、めちゃくちゃにこんでいて、机を確保できない状態なのである。夏休みなんて、午前の部と、午後の部をわけて、どっちかの、整理券をもらわないと、どっちかの部に参加できないということになる。ようするに、たとえば、午前の部というのが九時三〇分から、一二時までだとすると、午前の部の席をとるために、午前八時三〇分ぐらいから、並ばなければならないような状態なのである。午後の部の整理券も、午前九時になくなってしまうような状態だ。
こちら側から見ると、きちがい兄貴というのは、ぼくの人生を破壊するために、常に音を出しているように見えるのだ。そりゃ、きちがい兄貴は、「つもりがない」状態で鳴らししているわけだけど、何万回も、「鳴らされるているとこまると」ということを、直接兄貴に言ったのだから、知らないわけがないのだ。けど、ちょっとでも、いやなことを言われたら、いやなことの内容はまったく理解しないまま、発狂して、はねのけるという性格をしているのだ。これは、きちがい親父が、居間で、ちゃぶ台?のまえで怒り狂っていたのとおなじなのである。これ、認めないんだよ。どれだけはっきり言われても、本人のなかでは「なにか、いやなことを言われた」というような予感でしかないんだよ。だから、『いやなこと』の具体的な内容は、まったく頭に残らないわけ。「なにかいやなことを言われた」と思ったとたんに、発狂して、はねのけてしまう。そうすると、本人は、相手に対して「なにもやってない」ということになってしまうのだ。そういうことができる、頭なんだよ。そういう脳みそを搭載して生きているんだよ。いやなことを言われた場合は、常にそういう反応をする脳みそを搭載して生きているんだよ。だから、こっちが、はっきりと、何万回言っても、きちがい兄貴の脳みそのなかには、俺がなにを言ったかという具体的な内容が残らないということになってしまうのだ。何度も言うけど、きちがい親父もおなじだ。きちがい親父も同種の脳みそを搭載しているために、きちがい親父の奇行について、こっちが、どれだけ「こまるからやめてくれ」と言っても、発狂してはねのけて、絶対にやめないのである。けど、絶対にやめずにやりきったあとも、「だれだれが反対したけど、無視して、自分がやりたいことをやりのけた」という気持がないのだ。つまり、まったくつもりがない。兄貴のことと、親父のことを交互に語ってしまったけど、おなじなんだよ。おなじタイプの脳みそを搭載して生きているので、おなじ反応が返ってくるのである。そして、おなじ反応に対する、おなじ感覚が成り立っているのである。だから、本人が、発狂して、がぜん、意地になってやったことは、「やってないこと」になっているのである。本のなかでは、そうなんだよ。きちがい兄貴ときちがい親父は、やったこと自体はちがうのだけど、「なにか不都合なこと」を言われたら内容を理解せずに、怒り狂ってはねのけて、やってしまうというのがおなじなのだ。そして、「やった」という認識がないのである。
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こっちは、毎日、毎日、積もるのに、きちがい兄貴は、毎日、毎日、なにもやってないつもりなんだよ。けど、実際には、すべての時間が、きちがいヘビメタで汚染されて、たいへんなことになっている。からだが、汚染物質でみたされているような状態になってしまう。からだが、つらい。けど、きちがい兄貴の感性が特殊で、うちでやっていることが特殊なので、「だ・れ・も」理解してくれないのだ。「ちゃんと言えば理解してくれる」というようなことを言うやつや……「過去は関係がない」と言うやつや……「思ったことが現実化したんだ」と言うやつや……「大丈夫だと言えば大丈夫だ」と言うやつ……ばっかりだよ。
特殊な家族にやられた人、あるいは、特殊な条件をかかえている人に対する、ほかの人の態度というのは、こういう態度だ。特殊な条件というのが、特別に、「不利な条件」なんだよ。けど、どういうふうに不利なのかということについて、ぼく以外の人が、まったく無理解なのだ。そういう無理解な他人にかこまれて生活をするということになる。切羽詰まった生活だ。どれだけがんばっても、いろいろなところにほころびが出る。