2024年8月31日土曜日

影響

  やっぱり、親父や兄貴の影響をうけている。基本、ぼくが失敗するときにやっていることは、きちがい兄貴やきちがい親父がつくりだした、環境が影響している。やっぱり、影響をうけているんだよなぁ。影響をうけないようにして暮らすなんてとはむりなんだよ。ところが、「影響なんうけない」「影響をうける必要はない」「影響をうけたと人のせいにするのはおかしい」というようなきちがい理論が成り立っている。ともかく、基本、影響をうける。これもまた、実際にきちがい的な親や兄弟がいない人が、勝手に、「影響受けないことも可能だ」と判断しているだけだ。そりゃ、きちがいじゃなければ、影響をうけないだろう。そもそも、大きな影響をあたえない。これ、きちがい家族がもたらす影響というのは、きちがい家族と一緒に住んだことがない人には、まったくわからない。

どれだけ、無視しても、やはり、影響をうけている。そして、その影響の結果、他者と、もめる場合がある。きちがい家族の影響で、他者ともめやすくなる。

2024年8月28日水曜日

そんなことが成り立つなら、そもそも、こまってないよ。

 きちがい親父だけど、自分がよく思われたい一心で、俺が、親戚の人たちの悪口言っていると、親戚の人たちに言っていたのだ。基本、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で、大学などに落ちていた俺は、親戚の人にあいずらい状態になっていた。まあ、それを利用して、俺が親戚の日との悪口を言いまくっていると、親戚の人に言っていたのだ。言いまくっていた。

これ、自分が(息子のエイリより)よく思われたい一心で言ったということを、最初に言わないと、親父の行為がどういう行為なのか、よくわからないことになる。で、親父が死んだとき、親戚の人から、電話がかかってきたのだけど、留守録には出なかった。これは、出れる状態じゃないのである。ネズミのうんこで、電話機に近寄れない状態なのである。これが、わかる人がいない。きちがい親父が、魚が置いてある皿を出しっぱなしにして、まず、ネズミを「餌付け」した。部屋中に、魚のにおいが蔓延して、ものすごく、くさい状態だったのに、「くさい」と言えば、「くさくない」と言いかえす状態だったのだ。「魚を出しっぱなしにすると、部屋中が臭くなるから、魚をしまってくれ」と俺が言ったら、「くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!」と顔を真っ赤にして絶叫したのだ。そういう過去がある。これが事実だ。そして、ネズミの侵入経路をふさぐために工事をしようと、俺が親父に言ったとき、親父は「俺がつかまえるから、いい」「俺がつかまえるから、いい」「俺がつかまえるから、いい」と顔を真っ赤にして絶叫していたのだ。ネズミの糞は、まったく気にしないのである。これがきちがいなんだよ。部屋中にネズミの糞が散らかっているのに、そして、増えていくのに、まったく気にしない。頭がおかしい。この、ネズミの糞が増えていくのに、ネズミの糞が増えていくことはまったく気にしないということが、普通の人には、わからないのだ。こういう感覚は、きちがい兄貴にもある。そして、きちがい兄貴のヘビメタが鳴っていたのに、それをそのままにしておく、きちがい親父のセンスがある。これ、きちがいだから、どれだけ言っても、ダメなのだ。普通に気にしてくれない。

ともかく、きちがい親父のきちがい頭だと、ネズミが入ったあと、ネズミシートで捕まえても、ネズミの糞が増えていくだけだということが、わからないのだ。そして、こういう期間が長く続くと、ネズミが、壁のなかに巣をつくってしまうのだ。実際にネズミが、壁のなかに巣をつくったのは、親父が入院したあとだ。だから、俺が対処しなければならなくなったのである。きちがい親父がいないうちのなかで、俺が、ネズミに対処しなければならなかった。こんなの、原因をつくって……頑固に頑固に(こっちが)言うことをきかずに、原因をつくって、本人は、とんずらという感じだ。いつもいつも、こうなんだよ!!! いつもなんだよ!! だいたい、きちがい兄貴のヘビメタ騒音をほったらかしというのはおかしい。いくら、九九%の時間、本人……きちがい親父が……いないときに、ヘビメタが鳴っているとはいえ、俺から話をきいて、ものすごい音でヘビメタが鳴っているということは知っているわけだから、ほったらかしはおかしい。きちがいヘビメタをきちがい兄貴が鳴らしている時間全体のうち一%ぐらいの時間だけど、本人だって、音のでかさはわかるはずなんだよ。きちがい親父が、きちがい兄貴にものを言えなくなったのは、きちがい兄貴が、親父よりでかくなったからだ。そして、親父よりも、兄貴のほうが小さかったとき、「めちゃくちゃなことをやっていた」ということを、無意識的には、親父が知っているからだ。これ、無意識なんだよ。意識的には、わかっないんだよ。これが、きちがいなんだよ。

だから、きちがいの感覚が、ほかの人にはわからないのである。きちがいのやっていることが……きちがい家族がうちのなかでやっていることが……ほかの人にはわからないところがある。これもまた、感覚器にわからないのである。そして、認知的な不調和を引き起こす話なので……そういう話は、認知的不調和を引き起こす話なので、きちがい家族にやられたということを、きちがい家族にやられた側の人が、ほかの人に、説明すると、ほかの人は、不可解な感じと不愉快な感じを経験するのである。そして、あんまり深くは考えないで、「そんなことはないよ」と言うのだ。「ちゃんと言えばわかってくれるよ」と言うのだ。けど、そんなことはある。そして、「ちゃんと言えばわかってくれるような人」だったら、もう、とっくにどうにかなっているのだ。きちがい家族にやられた人が、自分の家族を「きちがい」と形容しなくてもいいのだ。もし、「ちゃんと言えばわかってくれる」人だったら、やられたほうだって「きちがい」なんて言ってない。そもそも、やられてないのである。過去のにおいてやられたことがないということになる。「ちゃんと言えばわかってくれる家族」なんて、そもそも、きちがい行為をきちがい的な意地で毎回やるわけがないだろ。「ちゃんと(やめてくれと)言えば、やめてくれる」……そんなことが成り立つなら、そもそも、こまってないよ。

*     *     *

留守録には出なかったということを書いたけど、これは、留守録にメッセージが残されていなかったからだ。親戚の人は、何回も電話をかけたらしいのだけど、メッセージは残さなかった。きちがい親父が死んで、俺が兄貴の嫁さんに、親戚の人に、親父が死んだということを知らせてくれと頼んでおいた。そして、親父が死んでから、はっきりとメッセージを残したのだ。メッセージが残っていれば、しかたがないので、ネズミがのっかったかもしれない、電話機をいじって、メッセージを再生した。この電話機を置いてある台というのが、親父がつくった、新聞紙の台なのだ。新聞紙というは、回収するために紙の袋を置いていってくれるのだけど、その紙の袋に新聞紙を入れたままにして、台のようにして使っていた。だから、これが、狭いところで、動かせないのである。これがまた、親父がつけたカーテンがあって、それは、それなりに理由があるのだけど……。まあ、カーテンのことはいいか。理由があることだからなぁ。けど、ともかく、あのカーテンがまた、ダニがいっぱいるような感じのカーテンになってしまって、近づきたくなかった。見えないダニしかないのだけど、カーテン近づくと、やばいのである。ともかく、その新聞紙でつくった台のうえにある電話機には、なかなか近づけないのだ。近づけば、ネズミの糞を「スリッパ」で踏むことになるからだ。けど、それを「おして」メッセージを再生した。電話機に近づきたくないのは、ネズミの糞をふんでしまうからだ。そして、電話機に触りたくないのは、ネズミの糞は表面になかったけど、ネズミが電話機の上を通った可能性があり、電話機のボタンにも、ネズミがふれたかもしれないので、電話機のボタンを押したくなかった。

基本的には、親戚の人が言いたかったことというのは、うちの仏壇を拝みにいきたいということだったのだ。それで、兄貴の嫁さんが、ネズミのことについては(親戚の人に)話しておいてくれたので、ネズミの話は本当の話なのか?ということを訊きたかったみたいなのである。ようするに、親戚の人のことをぼくが、きらっているので、ネズミがいるという嘘をついたのではないかということを、親戚の人は考えたのである。で、それを確かめるために、電話をかけてきた。で、そのとき、ぼくが、親戚の人の悪口を言っているということを、親父が言いふらしていたということを、聴いてしまうのである。俺は、親戚の人の悪口なんて言ってない。親父に対して、親戚の人の悪口を言ったこともない。親父と親戚の人のことを話したことはあるけど、それは、おかあさんの葬式のあとなど、非常に限られた場合の話なのだよ。そして、そのときも、親戚の人の悪口なんて言ってない。言うはずがない。けど、きちがい親父は、自分の「得点」をかせぎたいために、俺が、親戚の人の悪口を言っていると、親戚の人に対して、わりと長い期間にわたって、複数回、言っていたのである。これ、真っ赤な、嘘なんだよ。嘘。普通は、かりに、自分の息子が、親戚の人の悪口を言っていたとしても、親戚の人に対して、「自分の息子があなたたちの悪口を言っている」というようなことは、言わない。実際に、自分の息子が、親戚の悪口を言っていたとしても、それを、当の親戚の人に言うなんてことは、しないんだよ。普通の人だったら絶対にしないことだ。それを、きちがい親父は、自分のなかで、嘘の話をつくりあげて、「自分の息子があなたたちの悪口を言っている」というようなことを言ってしまうのである。俺の立場はどうなる? これ、こういうこと、ばっかりなんだよ。そもそも、親戚の人と、俺が疎遠になったのは、ヘビメタ騒音が原因なんだぞ。ヘビメタ騒音のことは、親戚の人に一切合切言ってなかったのである。

 

2024年8月27日火曜日

実際、そいつには、きちがい家族がいないのである。

 あのころの、ぼくの一日というのは、きちがい家族がいる人にしかわからない。そのきちがい家族が、猛烈にでかい音で常に騒音を鳴らしているという状態が六年以上、続いた人じゃないとわからない。

毎日、続いた人じゃないとわからない。

これ、一日だけうるさったのと、毎日、六年間、うるさかったのとでは、からだの状態があきらかにちがう。けど、実際にぼくとおなじ経験をした人じゃないと、からだの状態がわからない。

「俺だって苦労した」というひとことで、同質化、同量化するけど、普通に生活できているなら、同質じゃないし、同量でもない。

ところが、「俺だって苦労した」とひとこと言えば、働いているのに、同質、同量の苦労をしたということになってしまうのである。

いやーー、同質、同量の苦労をしたなら、働けなくなる。通勤して働くということができなくなる。

けど、それが、わかってないやつが、「俺だって苦労した」のひとことで、同質化、同量化し、「俺は働いているけど、おまえは働いていない」という立場で、えらそうなことを言ってくる。

屈辱。

働けるのだから、同質、同量の苦労はしてない。

そうはっきり言える。

実際、そいつには、きちがい家族がいないのである。

きちがい的にうるさい音で鳴らしているのに、普通の音で鳴らしていると、勘違いするような気ちがいがいないのである。

きちがい兄貴にしたって、ほかの音が……自分の意思とは関係なく……きちがい兄貴が『普通の音』だと思って鳴らしている音量で鳴っていれば、五秒で怒り狂って文句を言う。

けど、自分が、鳴らしたいなら、無意識的なレベルで無視してしまう。

普通なら絶対にわかることがわからなくなってしまう。

そういう、きちがいと一緒に住んだことがないやつが、同質、同量の苦労をしたようなことを言うな。

あんな状態で、人とつきあえるわけがないだろ。あんな状態で、彼女とつきあえるわけがないだろ。どれだけはりつめて、生活していたか?

すべてが、疲労のなかにとけていく……。

すべてが、怒りのなかにとけていく……。

疲労と怒りの繰り返しで、くるしい。

同質化、同量化したやつは「やりようがあったはずだ」というような前提でものを言う。それ自体が、侮辱なんだよ。きちがいが鳴らしている。これがわかってない。

2024年8月26日月曜日

これは、本質的なことの過小評価だ。あるいは、本質的なことの無視だ

 一般人には、きちがい家族のことなんて、わかりゃーあ、しないのさ。理解できるはずがない。かならず、一般人のもっている先入観が大きな働きをする。きちがい家族にやられた人の話を聴く場合、一般人がもっている先入観で、きちがい家族にやられた人の話を解釈するのだ。だから、絶対に、正しく解釈できない。「そんなのは、まるまるだ」という話になってしまう。これは、本質的なことの過小評価だ。あるいは、本質的なことの無視だ。

2024年8月23日金曜日

切り離された問題じゃないんだよ。

 ヘビメタ騒音なしで、わかいころをやりなおしたい。ヘビメタ騒音なしの若い時代を体験してみたい。つねにヘビメタが鳴っていて、常に、ヘビメタのハンディがある状態で暮らしていた。ヘビメタのハンディというのが、並じゃないのである。ヘビメタ騒音のハンディというのは、ほかの人にはわからない。もちろん、俺が、きちがいヘビメタが一番、この世でにがてだった音だから、あんなにでかい音で鳴らされると……白愚中鳴らされると、ものすごいハンディになってしまうわけで、ヘビメタが好きな人ならまたちがっていたんだろう。けど、自分が聞きたくないときにずっと、ヘビメタを聞かされるというのは、ヘビメタが好きな人だって、不愉快かもしれないよ。ずっと、きちがい的にでかい音で鳴っているわけだから。彼女のことだって、精神的に体力的に影響をあたえるのだけど……本当にダイレクトな影響をあたえるのだけど、きちがい家族に騒音でやられなかった人は「そんなのは関係がない」と言うわけだ。一日の全体がダメになるんだよ。一年の全体がダメになるんだよ。切り離された問題じゃないんだよ。きちがいヘビメタを聞かされた身体で、生活をしているんだよ。それは、とりもなおさず、ヘビメタ騒音の影響をうけているということなんだよ。

どういうふうにやりようがあるかと言うと、きちがい兄貴に騒音でやられている限り、やりようがないんだよ。実際に、やられている……きちがいにやられている生活……家族として一緒に住んでいるきちがいにやられている生活をしたことがない人は、それが、どういうものなのか、わからない。「やりようがある」ような気がするのである。それは、実際に、きちがい家族に毎日、何年間も、十数年間もやられなかったから、「やりようがある」ような気がしているだけだ。やりようがない。どれだけもがいても、きちがいの壁があるわけだから、きちがいをしずかにさせることができないのである。きちがいがきちがいの思い通りに、暮らしているのである。きちがいの感覚は、なおらないのである。きちがいが、きちがい的な感覚でやっていいと思って、きちがい的に長い時間、きちがい的に長い期間、ずっとやり続けるわけで、影響は、うける。やりようがない時間がが続く。やりようがない一日が、続く。やりようがない一年が続く。やりようがない、一生が続く。

やられてないやつが、わかってないだけなんだよ。きちがい兄貴が生きている限り、やりようがないんだよ。やりようがない一日が、毎日続くんだよ。そうしたら、つもるんだよ。「つもる」というのだって、実際に経験した人じゃないとわからない。だから、ぼく以外の人には、わからない。「やりようがあるのに、エイリさんがやらなかっただけだ」ときちがい発言をしやがる。こいつらも、ゆるせない。

 

ずっと、くるしいまま生きてきた

 とにもかくにも、ヘビメタでからだがくるしいのである。毎日、毎日、ずんずん、つもるのである。減るということがないのである。ずっと、くるしいまま生きてきた。きちがい兄貴みたいな人は、めったにいないから、きちがい兄貴みたいなやり方でヘビメタを鳴らす人もめったにいない。きちがい親父は、それをゆるしてしまった。きちがいだから、悪いほうの味方になる。自分がほんとうは、注意なければならない立場なのに、注意しない。自分がほんとうは、しずかにさせなければならない立場なのに、しずかにさせない。「全部、鳴らすなっていったら、かわいそうだ」などと言うのだ。この、きちがい親父のきちがい発言。どれだけきちがい的な発言をしているか、本人はまったく気がつかない。「それじゃ、俺はどうなっちゃうんだ」と言いたかった。それじゃあ、俺はどうなってしまうんだ。「毎日やられて、くるしい」「やってはいけないことを、きちがい兄貴が夢中になってやっている」「毎日、きちがいヘビメタ騒音で宿題ができなくて、学校でみじめな思いをしているんだぞ」「学校の友達に、うたがわれているんだぞ」……。

学校の友達は友達で、きちがい兄貴のことやきちがい親父のことが、ほんとうに、わからない。わからないから、いろいろと疑問をいだく。「そんなんじゃないんじゃないか」と思う。「そんな人いるのかな」と思う。「ちゃんと言えばつたわるんじゃないか」と思う。

2024年8月21日水曜日

「真っ向から、否定する態度」がおなじ

  あのあと、スイカを食べて、眠った。スイカは、もちろん、ひとりで食べた。去年も、だいたい同じ値段のスイカを買ったんだけど、今回のスイカは、おどろくほど?小さかった。シェディングがなければ、カットスイカでもいいのだけど、カットスイカは問題があるので、まるごとを買うんだよね。まあ、冷蔵庫がおおきければ、三キロから五キロ玉を買ってしまうのだけど、そういうわけにいかない。なので、まあ、小さいやつを買ったんだけど、それが、思ったよりも小さかった。また、箱がそれなりにでかいので、きょんのスイカとだいたい同じ大きさのが入ってるかと思ったら、ちがった。まあ、けど、食べた。いま、半分に切ったものが、冷蔵庫に入っている。外気温とおなじような温度のスイカを食べたので、まあ、味は、いまいちだったような感じがする。あれで、まあ、冷やしておいたら、うまかったのかな。普通の味だなぁ。

それで、あとは、手のシミが気になるのだ。これは、親父がネズミを導入して、外側の壁をパティでふさがなければならなくなって、ふさいだあと、今度は、工事の人(棟梁)が俺が言ったことをまもらずに、パティをとってしまったので、また、ネズミが入るようになり、それで、やりたくない二回目の、工事(パティ挿入)をしなければならなくなった。そのときに、ぴちーーーんと、手の甲を二か所やられたのである。これも、見えない大きさやつなんだけど、かゆくなって、あとが残った。

親父経由だというのが、いやなんだよね。ほんとう、どれだけこういうことが多かったか。当の親父は、そりゃもう、なにもわかってない状態だよ。まあ、棟梁が工事をしたときも、棟梁が工事をしたあとも、親父は入院していたので、俺が言わなければわからないのだけど、言ったって、わからないままなのだ。これ、親父が魚の切り身を、一日に二三(にじゅうさん)時間ぐらい、テーブルの上に置いておいたから、においが部屋中に充満して、ネズミがくるようになったんだよ。事実だ。けど、それを、入院しているときに言ったら「だしてないよぉ、してないよぉ」と嘘を言うのだ。わめくのだ。いつもの手口なんだよ。真っ向から、否定。けど、これまた、たとえば、魚の切り身を出しているときは、そういう態度で、しまわないのだ。魚の切り身を、二三時間ぐらいずっと、なにもかけずに、テーブルの上に出しておくということにこだわったら、絶対の意地でそうするのである。だから、まあ、「真っ向から、否定する態度」がおなじなんだよ。手短に言うと、きちがい兄貴の態度もまったくおなじだ。まーーったく、おなじ。だから、こういうやつらの、きちがい的な態度がむかつく。これ、きちがい的な意地で、絶対にゆずらずにやったのに、やったということが、まずいことになると、きちがい的な意地で、やったということを認めない状態になる。もちろん、そういうことをしたって、自分が悪いことをしているというつもりはない。おなじ状態だからなぁ。最初に、きちがい的な迷惑行為をしているときの態度と、きちがい的な行為をしたということを認めないときの態度がおなじなのだけど、もっと時間がたてば、きちがい的な行為をしたということを認めなかったということも、認めないという状態になる。 

鳴っているときだけ、うるさいからつらいというわけではないんだぞ。

 つねに、きちがいヘビメタで、かっこうがつかない状態になった。これも、「気にしなければいい」「影響をうけなければいい」「影響をうけないことは可能だ」とやられてないやつが言う。そして、みんな、「俺だって苦労した」と言う。けど、そいつらには、きちがい兄貴がいない。きちがい的な音で鳴らすことに、いのちをかけている、きちがい家族がいない。

浪人だってみっともないことだ。けど、きちがいヘビメタにたたられ続けると、ほんとうに、勉強ができなくなる。勉強ができる時間がないのだ。これ、鳴り終わったあとやればいいと、思うかもしないけど、それもできない。つねに、限界ぎりぎりの状態だ。つかれはてて、とてもじゃないけど勉強なんてできない。言っておくけど、ヘビメタ騒音がなければ、「ヘビメタ騒音で勉強ができない」という必要もないんだよ。みんな、ほんとうに、やられたことがないから、まったくわかってないだけだ。俺が「愚痴を言っている」と思っているやつは、みんな、わかってないだけだ。俺が、どれだけ、愚痴を言わずに、何千日もたえたか、知らないだけだ。

ともかく、ヘビメタ騒音で「みっともない」ことになる。でっ、毎日どれだけがんばっても、そうなる。そういうところが、わかってないやつが、俺のことを下に見てくる。「愚痴を言っているだけだ」と言ってくる。「自分だってつらい」と言えば、きちがい家族がいないのに、きちがい家族にやられた場合とおなじだという理屈を展開する。これ、ほんとうに、きちがい家族がいない人が、過小評価しているだけなんだよ。ヘビメタ騒音の影響を過小評価しているだけなんだよ。そりゃ、きちがいヘビメタ騒音がはじまるまえから、きちがい親父は、きちがいなのだから、普通の人より、ずっとつらい思いをしてきたんだよ。けど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、そういうつらさとは、別次元のつらさなんだ。だから、ほかの人は、まったくわからない。

「自分なら平気だ」「自分だってつらい」ということを言うけど、ちがうんだよ。けど、どれだけ説明したって、実際に経験してなければ、どういうことが起こるのかぜんぜん、わからない。わからない状態のままだ。

これ、ほんとう、みんなわかってないだけなのに、えらそうなことを言うな。

これ、ほんとうに、単なる騒音で、「やりようがある」ような感じがするわけだけど……ほんとうに、やりようがない。鳴ってない時間も、一日中、ずっとずっとずっと、影響をうける。鳴ってない時間も含めて、勉強ができる状態じゃないのである。頭が、パンクしている状態なのである。試験時間中も、ヘビメタ騒音の感じがする。ヘビメタ騒音の緊張で、頭がおかしくなっている。どれだけ、長時間、やられたか、みんな、わかってない。「やりようがない」というところだって、経験的わかっているわけじゃない。「話を聴いた」だけだと、「やりようがある」ような感じがするわけだ。けど、実際は、やりようがない。あのしつこさで、あの感覚で、どんなこまかい時間も使って、きちがいヘビメタを鳴らすということに、なっているので、きちがい兄貴が自動的にそうするわけだけど、それが、融通が利かないから、ものすごくこまったときも、きちがいモード、いつものように鳴らしてしまう。こころが乱れまくる。きちがいを殺したい気持ちでいっぱいになる。殺したい気持ちをがまんしたまま、超高圧状態で、超緊張状態で、超発狂状態で、自分の部屋にいるということになる。自分の部屋は、自分のステレオを最大の音で鳴らしている場合よりもでかい音で、きちがい兄貴のヘビメタが鳴っているという状態だ。勉強ができない。しかも、ほんとうに、睡眠に影響をあたえるのである。精神に影響をあたえるのである。体力に影響をあたえるのである。どれだけ、影響がないようにしようと思っても、影響が出る。このくるしさが、わかるか? 鳴っているときだけ、うるさいからつらいというわけではないんだぞ。

それがわからないやつらが、やられてないことをいいことに、妄想的なことを言ってくる。まちがった前提でまちがったことを言ってくる。こいつらもこいつらで、認めない。わかってるつもりのままだ。自分が正しい前提で正しいことを言っているつもりのままだ。

 きちがい兄貴がきちがいでなければ、こんなやつらに、まちがったことをまちがった前提で言われるような立場になってない。

2024年8月19日月曜日

不可避的

 あーーあ。それにしても、ヘビメタ騒音ですべてが、くずれたなぁ。俺にしかわからないわけだけどさ。俺にしかわからない。あんなの、実際に毎日経験してみなければわからない。「ヘビメタ騒音をあびていた」「ヘビメタ騒音でつらかった」「ヘビメタ騒音がうるさくて眠れなかった」……それだけだ。けど、ほんとうは、ちがう。ぜーーぜん、ちがう。これも、からだがぜんぜんちがうんだよ。とくに、脳みそが影響をうける。不可避的な影響をうける。みんな、実際には経験したことがないので「不可避的だ」ということが、どうしても理解できない。「うるさかったんでしょ」「寝不足になったんでしょ」……それだけだ。彼女とデートできるかどうかなんて関係がないじゃん……。関係があるんだよ。親友と絶交するかどうかなんて関係がないじゃん……。関係があるんだよ。おおありなんだよ。

あびてしまったら、影響をうけないというとができない。あびてしまったら、影響をうけないで暮らすということができない。ほんとうにずっと、長かった。毎日毎日、長かった。リターン可能ポイントをすぎて、何千日も鳴っていた。毎日毎日、これでもかと、鳴っていた。きちがいだから、あの音で鳴らして、しずかな音で鳴らしているつもりなんだよな。きちがいだか。きちがいだから。ゆずってないのに、ゆずったつもりなんだよな。きちがいだから。きちがいだから。ほかのうちじゃない、ないことなんだよ。だから、ほかのうちの人は経験したことがないことなんだよ。だから、経験なしで、「関係ない」「影響なんて受けない」「鳴り終わったなら関係がない」「過去のことは関係がない」と言う。けど、ずっとずっと、関係があることなんだよ。からだが破壊されたままだ。……特に、睡眠回路が破壊されたままだ。特に、憂鬱復活回路が破壊されたままだ。毎日毎日、いまだって、しんどいよ。

あーー、人間関係も木っ端みじんに破壊してくれたよ。

2024年8月16日金曜日

きちがい兄貴のヘビメタ騒音

 きちがい兄貴のヘビメタ騒音が、どれだけ、俺の生活を破壊するか、ほかの人は、まったくわかってない。わかってないまま、不適切な発言をする。ほんとーーに、不適切。侮辱。

きちがい家族がいないから、きちがい家族のやることがわかってない人が、わかっているという前提でものを言う。ほんとうに、不愉快。侮辱。

どれだけ、つもるかわかってないなぁ。どれだけの影響があるか、わかってないなぁ。影響をうけないようにどれだけ努力しても、影響を受け続けて、くるしいじょうたいになるということがわかってないなぁ。

2024年8月14日水曜日

自分が「おなじ立場」になったとき

 自分が「おなじ立場」になったとき、他人から「おなじこと」を言われると、不愉快に感じるということが、まったくわかってないんだけなんだよなぁ。宗教的な人というのは、こういうことがまったく理解できてない。宗教的な人と書いたけど、精神世界の人は、まったくわかってない。ほんとうは、自分だって「おなじ立場」になったとき、「おなじこと」を言われたら、腹をたてて、不愉快な気持になるのに、それが、まったく想像できない。わかってない。

ほんとーは、自分だって、おなじことをやられたら、なんとも言えない不愉快な気持になる。けど、それが、「元気なときの自分」にはわかってないんだよね。妄想や、妄想が前提にあることを言って、いきがる。他人を、ディスっている。他人の存在をディスっている。けど、それが、宗教的にいい行為だと思っている。正しいことをしていると思っている。 

*     *     *

ちょっとだけ、言っておくと、たとえば、『相手がいやがることはやめましょう』という文言があるとする。精神世界の人が『相手がいやがることはやめましょう』というおしえは、正しいと主張したとする。確かに正しい。

けど、だから、教祖の教え全体があっているということにはならない。その教団の教え、全体が正しいということにはならない。

たとえば、うたがいようがなく、『相手がいやがることはやめましょう』ということが、道徳的正しいとしても、相手がいやがっているということがわからない状態では、意味がないのである。

ある精神世界の人が、自分だって「おなじこと」を言われたら、腹がたつということを理解できないとする。想像できないとする。その場合は、相手がいやがっているということがわからないので、相手がいやがっていることを、得意顔で何回もやるのである。


2024年8月13日火曜日

影響をうけないわけがないだろ。

 ほんとうに、ものすごい音で、毎日、鳴ってた。ほんとうの影響は、ずっとやられた人にしかわからないか? けど、「影響はない」と判断して、えらそうなことを言うやつらのことは、ゆるせない。わかってないだけじゃないか。しかも、わかってないだけだということが、わかってない。こういう構造は、きちがい兄貴の構造やきちがい親父の構造と、似ている部分がある。やっぱり、俺が誤解をうけるようにできている。きちがいに対する理解がないのである。きちがいが家族のなかにいるということが、どういうことなのか、わかってないやつのほうが多い。そうなると、そういうやつらは、かならず、きちがい家族が毎日やることの影響を過小評価する。影響をうけないわけがないだろ。

2024年8月10日土曜日

相手が、どういう理由で、どういうふうに、いやがっているのかということが、まったくわからない

 きちがい親父やきちがい兄貴の、脳みそのクセ、というのが問題なんだよなぁ。とくに、あっち側に「悪意」がない場合も、脳みそのクセが影響して、相手のことが考えられない状態なんだよな。だから、相手が、明確に、説明しても、説明したことをうけいれない。日本語がわからないわけではないけど、日本語がわからない状態に近い状態になって、認めない。言われたことになってない。相手がどれだけ、ちゃんと、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も、言っても、本人にとっては、言われたことになってないのである。だから、話がずれてしまう。頭のクセで、自分の気持ちだけが優先している状態になってしまう。自分の気持ちが優先しているから、相手が言っているとは、聞こえたって、聞こえないのである。相手が言っていることは、日本語がわかったって、わからない状態で聞こえているだけなのである。けど、「なんとなく」はわかっているんだよ。どうしてかというと、自分に言われていることが、自分にとって不都合なことだそういうことになるからだ。そして、たとえば、どんなこまかいことでも、最初に、自分が『相手はこう思っている』と決めたことは、どれだけ、相手が否定しても、相手が否定したと認識しないようになっているのである。だから、問題が発生する。どれだけ相手が、否定しても、相手が否定してないということになっているんだよぁ。相手が言っていることが、一切合切、つたわらない。自分のほうの「気持ち」が、あると、その「気持ち」だけになってしまう。何万回、強く言われても、「予感」のような感じでしか理解しない。相手が、どういう理由で、どういうふうに、いやがっているのかということが、まったくわからない。どれだけ言っても、まったく通じない。

敵になる

きちがい家族にやられると、ほとんどの人が、敵になる。敵になる。ほとんど、みんな、敵になる。敵になる。

ほんとうに、ああいうやり方で、やられれば……毎日毎日やられれば、みんな、みんな、働けないからだになるのに、それがわからない。まったく、わからない。ヘビメタ騒音のことを正直に言うと、「そんな話は、へんだから、嘘だ」と思うやつが、どれだけ多いか。これは、きちがい兄貴がきちがいだからそうなる。ほかの人が理解できないきちがいなのだ。そして、ほかの人が理解できないきちがいは、きちがい的な意地できちがい的なことを、毎日毎日、長時間、例外なく、続けるのだ。容赦なく、続ける。こっちがどれだけ「やめてくれ!やめろ!!やめろ!!!」と言っても、きちがい頭で、はねのけて、きちがい的な意地でやり続ける。やっているんだよ。ところが、本人は「やってないつもり」なのだ。認めるのが都合が悪いときは、ほんとうにやってないという気持になって、やったということを認めない。これも、きちがいだからできることなんだぞ。ともかく、ほんとうのことを正直に言うと、ほかの人が、俺が嘘をついていると思うのだ。俺が、きちがいヘビメタ騒音のことと、きちがい兄貴のことについて、正直に説明すると、ほかの人が、「そんなのは、嘘だ」「エイリさんは嘘をついている」と思うのだ。きちがい兄貴のきちがい的なふるまいが、信じられないから、そういう感想を持つ。ほかの人は、きちがい兄貴のことを知らないし、きちがい兄貴に似ている人がいる家庭で育ったわけではないので、きちがい兄貴の話が、嘘だと思うのだ。「そんなのは、へんだ」と思うのだ。「そんなのは、へんだから、おかしい。へんなことを言っている」と思うのだ。ともかく、ほかの人にとっては、ヘビメタ騒音なんて、どうでもいいことだから、「そんなのは関係がない」と言うのだ。「どれだけヘビメタ騒音が鳴ってたって、遅刻しないで通勤することは可能だ」と言うのだ。まったくもって、腹立たしい。

2024年8月8日木曜日

ガチホ

きたないやつらが、利権構造をがガチホして、「人に親切にするといいこと、ある」と言っているようなものなんだよ。人に親切にするなら、利権構造を手放せばいいだろ。全部が全部、このレベルだ。きたないやつらが、生まれの条件で不利な人を、奴隷として使うためにつくった常識がある。ほんとうは、生まれの条件で不利な人を、奴隷として使うべきではない。それが、道徳的な行動だ。ところが、生まれの条件が不利な人を、がめつく、奴隷として使うために、努力論をはやらせる。自己責任論をはやらせる。やっていることが、真逆だ。いいかげん、やられているやつらは、気がついたほうがいいよ。あっ、まあ、やっているやつらも、気がついてないんだけどね……。

人をしあわせにしたいなら、まず、利権を手放せ。


待合室

 きちがい兄貴というのは、俺が25歳のときに結婚したのだけど、結婚した当初、きちがい兄貴の嫁さんに、「しずかにしてやった」とか「心配した」とか「ゆずってやった」とかと言ったらしいのだ。これ、きちがいだからできることなんだぞ。こんなの本当に、頭がおかしい。きちがい兄貴が、張本人なんだぞ。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らし続けたんだぞ。その結果、俺が、進学も就職もできずに、宙ぶらりんな格好で暮らしていた。それを、「心配した」とか言ってやがったのである。これは、きちがい親父が入院したとき、兄貴の嫁さんが、きて、いろいろと話すようになってから聞いたことだ。親父の入院というのは、いろいろと長いので、手術など重要な日は、兄貴の嫁さんが、つきそいとしてきてくれた。手術の予約とか、転院手続きのときもきてくれた。転院というのがやっかいで、もとの病院を一度退院したあと、新しい病院で入院手続きをするのである。もとの病院もでかい病院なのだけど、総合病院とは呼べない病院で、いちいち、総合病院に転院して、総合病院でしかできない特殊な手術をしていた。手術をしたら、いちおう、総合病院のほうにしばらくはいるのだけど、親父の希望で、また、もとの病院に転院するということを何回か繰り返した。だから、待合室で、話す時間ができるのである。相当に長い時間、話すことができる。なので、きちがい兄貴のことや、親父のことを、ながながと、兄貴の嫁さんに、ぼくが説明していたのである。これ、けっこう、長い期間、そういう時間がとれた。なので、たいていのことは説明した。けど、兄貴の嫁さんとよく話すという機会は、きちがい親父が入院してからのことなのである。俺がわかいとき……兄貴の嫁さんと兄貴が結婚した当初から、ずっと、話していたわけじゃない。兄貴の嫁さんと、ぼくは、親父が入院するまで、ほとんど話したことがない状態なのである。だから、病院の待合室で、はじめて、きちがい兄貴が、そういう発言をしたというのを聴いたのだけど……腹がたった。「きちがい兄貴というやつは、ほんとうにきちがいなんだなぁ」と思った。これ、ほんとうに、きちがいでなければ、ありえないことなのである。これ、どんな意地で、どんな音のでかさで、鳴らしていたか、まったくわかってないのである。きちがい的な意地でやったことは、ゼロなのである。そして、「ゆずってやった」という発言だけど、これはもう、爆発的に腹がたつ発言だ。

2024年8月6日火曜日

「そんなことじゃないのになぁ」

 「そんなことじゃないのになぁ」と言いたくなる。そんなことじゃないのに、誤解をして、頭がおかしいことを言ってくる。邪悪なことを言ってくる。「それ、ちがうんだわぁ」と言いたくなる。もちろん、言ってくるやつらは、どれだけちゃんと説明してやっても、理解しない。理解しないというとは、理解しないことしかこの世で経験してないということだ。そして、こいつらが間抜けなのは、本人が常日頃から主張していることを、本人が、守って暮らしてないということに、まったく気がつかないことだ。矛盾に気がつかない。気分だっけで、いきったことを言っておしまい。気分だけで言っているということにも、本人が気がつかないまま暮らしている。そして、死んでいく。けど、生きているあいだ、常に、『条件が悪い人』に圧力をかけるのである。誤解をして、アホなことを言って圧力をかける。アホなことを言って、『条件が悪い人』をあおっているということに、いいかげん、気がつけ。

人間

 きちがい家族にやられた人間が、どこまでも、どこまでも、悪く言われるしくみというのがある。きちがい家族にやられたことがないやつらが、きちがい家族にやられた人間のことを悪く言うのである。悪く言っている。悪口を言っている。無理難題を吹っ掛けてこまらせている。けど、きちがい家族にやられたことがないやつらが、多数派なので、きちがい家族にやられた人間が言うことが、通らない。。そう……通らない。通らないんだ。きちがい家族にやられたことがない人は、きちがい家族にやられた人間のことを悪く言うのに、悪く言っているつもりがない。そして、きちがい家族にやられた人間が、家族の悪口を言っていると、誤解する。誤解する。誤解する。そして、ほんとうは、きちがい家族にやられたことがない人間が、そうやって、ネガティブなことを言っているのに、きちがい家族にやられた人間が、ネガティブなことを言っていると、ネガティブな発言をする。

前提自体がまちがっていることを、自信たっぷりに言う。きちがい家族にやられたことがない人間が、自信たっぷりに言う。きちがい家族にやられたことがない人間が、きちがい家族にやられた人間の、真実の発言について、まちがった解釈をして、まちがった結論を述べる。

2024年8月5日月曜日

想像力の高い人ですら、想像がおよばない部分が、ヘビメタ騒音生活にはある。

 ヘビメタ騒音というのは、どうしても、普通の生活ができなくなる『害』なんだよ。

ところが、普通の人にはそういう経験がないので、ヘビメタ騒音がそれほどの『害』だとは思わないんだよ。

普通の人だって、それは、いろいろな苦労がある。疲労生活がある。

この世で、生きるというのは、そもそも、たいへんなことだ。

そして、日本の学生生活や、日本の会社解説というのは、そもそも、つかれるものなのである。だから、みんな、「つかれ」を感じて生きている。けど、その「つかれ」というのは、ヘビメタ騒音でしょうじる……不可避的にしょうじる「つかれ」とは、決定的ちがうものなんだよ。

けど、ちがいがわからない。

普通の人は、普通の日常生活でしょうじるつかれと、ヘビメタ騒音生活でしょうじるつかれの区別が、できない。体験的にできない。経験的にできなくなっている。

だから、普通の人たちにとっては、初期値で、「どっちも、ちがいがない」ということになっている。もちろん、両方のつかれを経験したあと、「どっちも、ちがいがない」と判断しているわけではない。

最初から、ヘビメタ騒音生活のつかれは経験したことがないつかれなのだ。だから、想像で「ヘビメタ騒音生活のつかれ」というものを考えるしかない。知らないからわからないということがわかってないので、初期値として「どっちも、ちがいがない」という判断を採用してしまうのである。

だからまあ、どっちも知っていて、「どっちも、ちがいがない」と言っているわけではなくて、知らないのだけど、知っているつもりになって「どっちも、ちがいがない」と言っているだけなのだ。


まず、ここに誤謬があるのである。けど、はっきり言えば、ぼく以外の人は、知らないわけだから、「ぼく」対「世間の人全体」ということになってしまうのである。想像で、「違うよな」ということがわかる人がごくまれにいる。けど、その人は、想像力が高いけど、経験がないということには、かわりがないということになる。ごくたまれにいる、想像力の高い人ですら、想像がおよばない部分が、ヘビメタ騒音生活にはある。

2024年8月2日金曜日

過去の解釈をかえれば、過去はかわるのだから、過去にこだわる必要はない……

 過去の解釈をかえれば、過去はかわるのだから、過去にこだわる必要はない……というような意見があるのだけど、それはちょっとちがうのではないかなと思う。

問題なのは、解釈をかえたいと思っている自分が、ほんとうに、納得できるのかということだ。「こういうふうに思いたい」「過去の出来事についてこういうふうに認識すれば、いい認識になる」ということなんだよ。「こういうふうに思いたい」という気持がある。「こういうふうに再解釈したい」という気持がある。

けど、それって、いまの自分が、過去の出来事について、こういうふうに考えると、過去の出来事が(今の自分にとって)いいものになるよね……という考え方なのだ。

意図がある。

じゃあ、どうして、再解釈しなければならないような認識が(今現在)成り立っているのかというと、今現在成り立っている解釈というのが、(今の自分にとって)不都合なものだからだ。

ようするに、たとえば、つらい過去の出来事があったとする。つらい過去の出来事と書いてしまったけど、ある出来事について、いまの自分や、いままでの自分が、「それは、つらい出来事である」と認識しているということだ。

つまり、ある出来事というのは、中立的な出来事ではなくて、その発生時点で、つらいことだという認識が発生してしまった出来事なのだ。

そのつらいことだと……(過去の自分が認識した)……現実的な出来事を、いまの自分が……「じつは、たいしてつらいことではなかったんじゃないか」とか、「じつは、楽しいことだったんじゃないか」とか、「じつは、いい勉強になったのではないか」とかと、再解釈することによって、納得したいことなのだ。

再解釈して納得したいという力動がある。

ようするに、再解釈して楽になりたいという気持がある。

そういう気持があるということは、じつは、その出来事はつらい出来事だったという再認識が成り立っている。

そして、自分が、こういう方向で解釈しなおせば、自分にとってこういう出来事になるのだから、こういうふうに解釈しなおそうという意図がある状態で、ほんとうに、こういう方向で解釈することができるのかどうかという問題がある。

ごく自然に、自分のなかで、解釈がかわる場合は、解釈がかわるだけの理由が成り立っているのである。

ところが、意図的に解釈をかえようと思っている場合、すくなくても、自然に自分のなかで解釈がかわるような理由がないので、意図的に解釈をかえようとしているという状態なのである。

なので、自然に自分のなかで解釈がかわる場合とは、ちがった、心理的な規制がある。

なので、無理だ。

2024年8月1日木曜日

「こまるからやめてくれ」と言っても、発狂してはねのけて、絶対にやめない

 ヘビメタ騒音にたたられていると、いろいろな、本来なら必要がない用事が発生するのである。たとえば、大学受験に落ちて浪人するというようなことが発生する。それで、近くの図書館に、自転車で行くわけだけど、近くの図書館に自転車で行くというのも、本来なら必要がない作業だ。だいたい、浪人していても、きちがいヘビメタが毎日鳴っている状態にはかわりがない。きちがい兄貴が休みの日は、ほぼ一三(じゅうさん)時間、きちがいヘビメタ騒音を浴びせられるような状態がかわらない。どれだけむなしい思いで、俺が日曜日をすごすのかということだ。でっ、図書館だって、あのころは、めちゃくちゃにこんでいて、机を確保できない状態なのである。夏休みなんて、午前の部と、午後の部をわけて、どっちかの、整理券をもらわないと、どっちかの部に参加できないということになる。ようするに、たとえば、午前の部というのが九時三〇分から、一二時までだとすると、午前の部の席をとるために、午前八時三〇分ぐらいから、並ばなければならないような状態なのである。午後の部の整理券も、午前九時になくなってしまうような状態だ。

こちら側から見ると、きちがい兄貴というのは、ぼくの人生を破壊するために、常に音を出しているように見えるのだ。そりゃ、きちがい兄貴は、「つもりがない」状態で鳴らししているわけだけど、何万回も、「鳴らされるているとこまると」ということを、直接兄貴に言ったのだから、知らないわけがないのだ。けど、ちょっとでも、いやなことを言われたら、いやなことの内容はまったく理解しないまま、発狂して、はねのけるという性格をしているのだ。これは、きちがい親父が、居間で、ちゃぶ台?のまえで怒り狂っていたのとおなじなのである。これ、認めないんだよ。どれだけはっきり言われても、本人のなかでは「なにか、いやなことを言われた」というような予感でしかないんだよ。だから、『いやなこと』の具体的な内容は、まったく頭に残らないわけ。「なにかいやなことを言われた」と思ったとたんに、発狂して、はねのけてしまう。そうすると、本人は、相手に対して「なにもやってない」ということになってしまうのだ。そういうことができる、頭なんだよ。そういう脳みそを搭載して生きているんだよ。いやなことを言われた場合は、常にそういう反応をする脳みそを搭載して生きているんだよ。だから、こっちが、はっきりと、何万回言っても、きちがい兄貴の脳みそのなかには、俺がなにを言ったかという具体的な内容が残らないということになってしまうのだ。何度も言うけど、きちがい親父もおなじだ。きちがい親父も同種の脳みそを搭載しているために、きちがい親父の奇行について、こっちが、どれだけ「こまるからやめてくれ」と言っても、発狂してはねのけて、絶対にやめないのである。けど、絶対にやめずにやりきったあとも、「だれだれが反対したけど、無視して、自分がやりたいことをやりのけた」という気持がないのだ。つまり、まったくつもりがない。兄貴のことと、親父のことを交互に語ってしまったけど、おなじなんだよ。おなじタイプの脳みそを搭載して生きているので、おなじ反応が返ってくるのである。そして、おなじ反応に対する、おなじ感覚が成り立っているのである。だから、本人が、発狂して、がぜん、意地になってやったことは、「やってないこと」になっているのである。本のなかでは、そうなんだよ。きちがい兄貴ときちがい親父は、やったこと自体はちがうのだけど、「なにか不都合なこと」を言われたら内容を理解せずに、怒り狂ってはねのけて、やってしまうというのがおなじなのだ。そして、「やった」という認識がないのである。

*     *     *

こっちは、毎日、毎日、積もるのに、きちがい兄貴は、毎日、毎日、なにもやってないつもりなんだよ。けど、実際には、すべての時間が、きちがいヘビメタで汚染されて、たいへんなことになっている。からだが、汚染物質でみたされているような状態になってしまう。からだが、つらい。けど、きちがい兄貴の感性が特殊で、うちでやっていることが特殊なので、「だ・れ・も」理解してくれないのだ。「ちゃんと言えば理解してくれる」というようなことを言うやつや……「過去は関係がない」と言うやつや……「思ったことが現実化したんだ」と言うやつや……「大丈夫だと言えば大丈夫だ」と言うやつ……ばっかりだよ。

特殊な家族にやられた人、あるいは、特殊な条件をかかえている人に対する、ほかの人の態度というのは、こういう態度だ。特殊な条件というのが、特別に、「不利な条件」なんだよ。けど、どういうふうに不利なのかということについて、ぼく以外の人が、まったく無理解なのだ。そういう無理解な他人にかこまれて生活をするということになる。切羽詰まった生活だ。どれだけがんばっても、いろいろなところにほころびが出る。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。