ほんとうに、つかれたなぁ。まあ、起きたあと、水を飲んで、ゆっくりできるというのは、いいことかな? だって、そりゃ、ヘビメタ騒音以降、一定の時間に起きて、どこかに行かなければならないという圧力がかかっていると、水を飲んでゆっくりできる時間なんてないからな。「そんなのは、つくればいいだろ」と思うかもしれない。ようするに、一定の時間に起きて、どこかに行かなければならないとしても、水を飲んでゆくっりする時間ぐらいはできるということだ。ところが、ヘビメタ騒音期間中から、ヘビメタ騒音期間後は、そういうことが、一切合切、できなくなる。毎日、できなくなる。それから、ちょっと話がずれるけど、ヘビメタ騒音期間中の、休みの日というのは、水を飲んでゆっくりできる時間はない。ヘビメタ騒音期間後、いまは、起きたあと水を飲んでゆっくりできるのだから、なおったといえるのかどうかというと、いえない。「水を飲んで、ゆっくりできる」と書いたけど、それは、いちおう、だるさや憂鬱感や破滅感を、はぶいたものなのである。たしかに、ヘビメタ騒音が鳴っていたころの朝にくらべれば、ゆっくりできるのだけど、相対的なものだ。たとえば、今日は、一定の時間に起きて、どこかに行く予定がまったくないのである。いまは、ヘビメタ騒音が鳴ってないわけだけど、鳴ってないから、一定の時間に起きて、どこかに行く予定がある日、水を飲んでゆっくりできるのかというと、できない。ようするに、ヘビメタ騒音期間中、ヘビメタ騒音期間後の予定のない日、ヘビメタ騒音期間後の予定のある日で、気持ちがちがう。ヘビメタ騒音期間後の予定のない日であっても、だるさや憂鬱感や破滅感があるので、ヘビメタ騒音がなかった場合……人生のなかでヘビメタ騒音がなかった場合とは、身体と精神の状態がちがうのである。けど、比較をして言えば……一定の時間に起きて、どこかに行く予定がない日だから、水を飲んで「ゆっくり?」できるという意味だ。これで、一定の時間に起きて、どこかに行く予定があるとなると、ヘビメタ騒音期間中の朝の気分になり、はげしい憂鬱感におそわれるのである。はっきり言うと、めちゃくちゃに気分が悪いけど、無理をして、外に出るということになる。今日は、一定の時間に起きなければならないから、一定の時間に起きたのではなくて、そもそも、自由な時間に起きた日だ。ヘビメタ騒音期間以降であり、一定の時間に起きなくてもいい自由があるから、だるくてしんどいけど、「ゆっくり」はできるという感じだ。これだって、人生のなかで、ヘビメタ騒音期間がなかった場合とは、ちがうはずだ。起きたときになにを感じるかというと、破滅感を感じるのである。ほんとうは、起きたくないけど、生理現象にあらがうことができないので、しんどいけど、無理やり起きて、無理やり行動しているのである。水を飲むというのも、「からっからにのどがかわいた状態」だったから、水を飲みたいと強く思って、水を飲んだのである。まあ、しんどさは、常にある。ヘビメタ騒音期間後であったとしても、しんどさは、常にある。このしんどさは、人生のなかでヘビメタ騒音期間が十年以上続いたことがない人には、ない、しんどさなのである。
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横道にそれないけど、「楽しい楽しいといえば、楽しくなる」とか「元気だ元気だといえば元気になる」と言ってるやつが、感じるしんどさなんて、たいしたしんどさじゃない。そういうことを言えるのだから、たいしたしんどさじゃない。けど、そういうことを言う人間だって、「俺だって苦労した」「俺だって、ものすごくしんどい思いをした」と言うことはできる。言うことはできるんだよ。けど、そいつは、きちがい家族によるきちがい騒音生活を毎日毎日、ずっと、十数年にわたって、経験したわけではない。そいつは、きちがい家族によるきちがい騒音生活を毎日毎日、ずっと、十数年にわたって続くと……しょうじる……しんどさがわかってない。わかってないのに、「俺だって苦労した」「俺だって、ものすごくしんどい思いをした」と言って、おなじ程度のしんどさを経験したということにしてしまう。その「苦労した」「ものすごくしんどい思いをした」……自分が……「楽しい楽しいといえば、楽しくなる」と言っているのだから、「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなる……と主張しているのだ。いやーー、ちがうでしょ。「元気だ元気だといえば元気になる」と言っているのだから、「元気だ元気だと言えば元気になる」と主張しているのだ。いやーー、ちがうでしょ。「楽しい楽しいと言えばたのしくなるような憂鬱さ」や「元気だ元気だといえば、元気になるようなしんどさ」しか経験したことがないんじゃいの?
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たとえば、憂鬱な人はダメ人間だというような価値観があるとする。だるい人間はダメ人間だというような価値観があるとする。そういう価値観にしたがって、「俺は憂鬱にならないダメ人間じゃない人間なんだ」と思って、そういうことを言うわけなんだよな。そういう価値観にしたがって、「俺は、憂鬱になっても、楽しい楽しいといって、自分の気持ちを制御できるすごい人間なんだ」と思って、そういうことを言うわけなんだよな。だめそうな人にそういうことを言って、うかれている。俺はすごいんだと思いたい。憂鬱になっているやつは、ダメなやつだ。常にしんどいやつは、ダメなやつだという価値観が底にある。それに比べて、自分は、しんどさを感じたって、自分で「元気だ元気だ」と言って、しんどさをふっとばすことができる。だから、自分は、しんどいやつにくらべて、すぐれているのだ……と言いたい気分が……見てとれる。経験したことがちがうのに、自分のほうがすぐれているという前提で、くそ役にたたない方法を、クチにするな。相手にとってまったく役に立たないくそ方法をクチにして、有頂天になり、マウントしている。