きちがい兄貴がやったことや、きちがい親父がやったことが、ぼくの日常の気分に、影響をあたえるんだよ。どうしたって、俺の行動に影響をあたえる。きちがい的な感覚で、きちがい的な行為をきちがい的な意地でやって、それを、きちがい的な意地で認めない。そして、思いつくことが、きちがいなんだよ。きちがい兄貴の「おとへのこだわり」というのはない。ヘッドホンをしてくれればそれですむのに、絶対にヘッドホンをつけてくれない。自分が思いっきり鳴らしたいという気持を優先して、思いっきり、よそではありえない音で鳴らしているのに、自分が思いっきり鳴らしていると言うこと自体を、認めない。これは、認識しているけど、俺には、認識してないようにふるまうと言うことではない。ほんとうに、認識してない。その場合、どーーしても、影響をうけるんだよ。実際にやられていることというのは、俺の他人に対する行為に、影響をあたえる。そりゃ、きちがい家族によるヘビメタ騒音で人生を破壊されたあとは、騒音そのものに対して敏感になる。あたりまえだ。そういうことも、きちがいヘビメタがなければなかったことなんだよ。そして、「あたりまえのようにやる」ということが、やはり、影響をあたえる。
きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなく、普通の兄貴だったら、「サカマのことだってあんなことにならなかった」という気持がある。きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなく、普通の兄貴だったら、「ダイヤのことだってあんなことにならなかった」という気持がある。
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ヘビメタ騒音にやられなかった場合の「反応行動」を理想的な反応行動だとする。そうすると、ヘビメタ騒音にやられていると、理想的な反応行動ができなくなってまうのである。理想的な反応行動というのは、ぼくにできない反応行動ではなくて、ほんらい、できる反応行動なのである。けど、ヘビメタ騒音がつみかさなっていくて、普通の反応行動ができなくなる。これだって、「できると言えばできる」というようなことを言う人にはまったくわからないことだ。わからないということは、けっきょく、それだけのハンディを背負ってないのである。ヘビメタ騒音相当のハンディを背負ってないから言えることなのである。ああっ、手短に言って「俺だって苦労した」と言ったって、それは、ヘビメタ騒音相当のハンディを背負ってない状態で言っていることだからね。ヘビメタ騒音相当のハンディを背負っていたら、「できると言えばできる」なんて言わない。「できると言ったってできないものはできない」「できると言わなくたってできたことが、できなくなる」ということが、経験をとおしてわかってないから、「できると言えばできる」と豪語している状態なのだから、経験をとおしてわかってないということは、あきらかだ。ようするに、ヘビメタ騒音相当のハンディがなかったから「できると言えばできる」と言える状態なんだよ。
たとえば、睡眠がじゅうぶんでないから、頭がモヤモヤして、普通の反応行動ができないというのが、一番わかりやすいと思う。けど、睡眠だけじゃないのである。きちがい兄貴が普通にやる基地ちがい行動が与える影響がでかいのである。もちろん、ヘビメタ騒音で眠れなくなり、常に睡眠不足である状態で暮らしていたのだけど、それだけじゃないのだ。睡眠だけじゃない。きちがい行為が、きちがいの行為として影響をあたえている。この部分は、毎日、きちがい家族にやられた人じゃないとわからないと思う。たとえば、だれだっていやなことをやられれば、やなことをやられたという負の感情が生まれる。けど、相手がきちがいの場合は、これがまた、ちがうのである。ただ単にいやなことをやられたから感じる部分のほかに、きちがい家族が、きちがい家族のやったことを無視しているということが、影響をあたえるのである。認知症の人がなにかをやって、不愉快な気持になる場合と、普通の人がなにかをやって、不愉快な気持になる場合とはちがうと思う。けど、きちがい兄貴がやったことというのは、認知症がやったことともちがうのである。この部分が、みんなわかってない。実際に、自分がやられたことがないので……そういう特殊な家族にやられたことがないので、普通の人がやってくる不愉快なことと、おなじだと思っているのである。きちがい兄貴が俺にやったことは、普通の人が、普通の人にやったこととは、ちがうのである。たとえ、「うるさくした」という点でおなじであっても、ちがうのである。けど、普通の人は、普通の人が「うるさくして」不愉快な気持になったというようなことしか、考えてないのである。ちがうのである。きちがい兄貴の認知の問題というのは、認知症の人の認知の問題とはちがうのである。忘却じゃない。無視しているところがちがう。これは、こっちの感情に影響をあたえる。毎日、つもれば、ちがう効果があらわれる。単に、寝不足で、普通の反応行動ができないというのとは、ちがう点がある。もちろん寝不足で、普通の反応行動ができないということとおなじ点もあるのだけど、ちがう点もある。感情がちがう。実際にやってしまったのだから……実際にやらなかった場合とは、ちがう効果があらわれる。これ、無視のしかたがちがうと……無視のしかたが普通の人とちがうと、ちがった効果もしょうじてしまうのである。これは、感情や思考に影響をあたえる。