2024年7月13日土曜日

すでに起こった結果を、引き寄せというタームを使って、強引に解釈しているだけなのだ

 引き寄せ力についてちょっとだけ、語っておく。たとえば、ぼくは、自分にとって重要な哲学の本を、おカネにこまったので、売ったことがある。そして、ある人が、その本を買った。ある人のことをBさんだとする。Bさんは、めったに市場に出てこない中古本を買うことができた。Bさんが、引き寄せ力がある人で、本を引き寄せたのではない。Bさんは、ほしい本が出てくるのを待っていただけだ。Bさんが、引き寄せなんてものに、まったく興味を持っていなかったとしても、そういうことはある。ところが、引き寄せパラダイムに支配されている人は、Bさんが、中古のその本を引き寄せたのだと主張する。そういう解釈をする。これは、解釈にすぎないんだよ。実体としての引き寄せがあるとか、実体としての引き寄せ力があるということではない。けど、引き寄せ信者はBさんの引き寄せ力というものを想定して、Bさんの引き寄せ力が働いた結果、Bさんが、それを引き寄せることができたのだという解釈をする。いつから、Bさんの引き寄せ力が働いているのか? たとえば、ぼくが経済的にピンチになったのは、Bさんの引き寄せ力が影響していのだろうか? ぼくが経済的にピンチにならなければ、その本は、市場に出なかった。ほかの人が、出していたのかもしれないけど、事実として、Bさんが買った本というのは、ぼくが出品したものだ。Bさんの引き寄せ力が働いているのであれば、その本に、Bさんの引き寄せ力が働いているということになる。つまり、ぼくに対して、Bさんの引き寄せ力が働いたので、ぼくが、その本を出品したということになるのである。それだと、Bさんの引き寄せ力が、ぼくの経済的なピンチをつくりだしたということになる。しかし、そうじゃない。実際には、引き寄せというのは、解釈にすぎない。引き寄せのしくみとか、引き寄せの力といったものは、まったくない。存在しない。ただ単に、現実を解釈しただけだ。すでに起こった現実を、引き寄せというコンセプトを使って解釈しただけだ。引き寄せの力なんてない。Bさんの引き寄せ力が、ぼくの行為に影響を及ぼしたわけではない。実際には、アマゾンマーケットプレイスやヤフーオークションのような中古マーケットが成立しているということのほうが、重要な影響をあたえている。しくみが成り立っているし、そのしくみというのは、現実に実行されるしくみなのである。売りたい人が出品をして、買いたい人が買えるというしくみのほうが、(実際の取引において)Bさんの引き寄せ力などというものよりも、実際に、ぼくの出品するという行為に影響をあたえている。「ひきよせひきよせ」と言っている人たちは、すでに起こった結果を、引き寄せというタームを使って、強引に解釈しているだけなのだ。これは、引き寄せというしくみが成り立っているということや、だれだれに(固有の)引き寄せ能力があるということとは、まったく関係がないことだ。引き寄せというしくみが成り立っていなくても、ぼくの本を、Bさんは買うことができた。Bさんに(固有の)引き寄せ能力がなかったとしても、Bさんは、ぼくの本を買うことができた。けど、ぼくが、アマゾンマーケットプレイスに、その本を出さなかったら、Bさんは、ぼくから!その本!を買うことができなかったのである。どっちが重要かというのは、あきらかだ。どっちが成立要因となっているかというのは、あきらかだ。実際には存在しない引き寄せ能力なんかより、中古取引を成立させるしくみのほうがずっと、重要だ。実際には存在しない引き寄せ能力なんかより、中古取引を成立させるしくみのほうがずっと、Bさんがその本を手に入れることができたということに、影響をあたえている。

それから、たとえば、Bさんの、その本に対する関心が続かなかった場合であって、なおかつ、Bさんがその本を手に入れることができなかった場合について考えてみよう。この場合は、ようするに、Bさんは、その本を手にすることがなかったということになる。その本に対する関心が消失したのだから、Bさんにとって、その本を手に入れることは重要なことではなくなる。その場合、Bさんの「引き寄せ能力」がないということになるのだろうか。結果的に、本を手に入れることが出なかったなら、引き寄せ能力がないということになってしまうのである。けど、これもおかしい。引き寄せ能力に関係なく、手に入れられるときは、手に入れらるし、手に入れられないときは、引き寄せ能力に関係なく、手に入れることができる。基本的に、引き寄せ主義者?の言っていることは、すべて、現実の写し絵なのである。結果が出てないことについては、なにも言えない。まあ、結果が出てないことについても、「引き寄せ能力があるから、引き寄せようと思っていればひきよせることができる」とかなんとか、言うことはできる。けど、この人たちは、引き寄せというタームにしたがって、過去における結果を解釈しているだけだ。そして、未来に関しては、引き寄せ能力があるということを前提にして話をしてしまう。けど、過去における結果の解釈というのは、解釈でしかない。結果が出たあと、「これは、引き寄せだ」と言っているだけなのである。で、過去における結果の解釈が、未来の希望につながるわけだけど、これは、ペテンだ。嘘の希望なのである。根拠にならないのである。過去の解釈はあくまでも、過去の解釈であって、嘘の力を前提とした話は、嘘だ。ペテンなのである。引き寄せ能力などというものはないから、未来に関しては、なにも言えない。結果が出てないことについては、なにも言えない。結果の解釈というのは、結果の解釈なので、解釈でしかない。これがわからないかな?


 

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。