だれもが、俺とおなじヘビメタ騒音相当の騒音を経験し続けると、働けなくなるのだけど、だれもが、俺とおなじヘビメタ騒音相当の騒音を経験してないので、「働けなくなる」ということがわからない。「働けなくなる」というのは、「通勤することができなくなる」「通学することかできなくなる」ということだ。だから、俺とおなじヘビメタ騒音相当の騒音を経験してないので、「通勤することができなくなる」「通学することかできなくなる」ということがわからない……ということになる。だから、「できなくなる」ということがわからないまま、「できる」という前提でものを言ってくることになる。これ自体が、ぼくにとっては、屈辱であるわけ。けど、「これ自体が、ぼくにとっては、屈辱である」ということは、やられてない人にはまったくわからない。普通の人にはまったくわからない。俺とおなじヘビメタ騒音相当の騒音を経験してない人にはわからない。みんながみんな、俺を見くびって、俺を軽蔑して、もをを言ってくるようになる。ヘビメタ騒音が鳴っている時間に、そのことが決まってしまう。さけられないのだけど、さけられないということが、ほかの人にはわからないのだから、ほかの人はごく自然に「避けられる」という前提でものを考えて、ものを言ってくる。屈辱以外のなにものでもない。