どうして、ぼくが言霊理論を批判しているのかというと、言霊理論が、人をくるしめるための理論になっているからだ。自分に気合を入れるという意味での、言霊の力というのは、じつは、言葉の力だ。言霊の力というのは、超自然的な力であって、魔法の力なのだ。残念ながら、言霊に力がない。言葉には、ある程度の力があるけど、言霊には力がない。なので、基本的には、条件が悪い人に、無理難題をおしつけるための理論になってしまうのである。本人が、自分をはげますために、言霊理論が正しいと思い、言霊の力ではなくて、言葉の力を利用しようとするのは、かまわない。しかし、「言霊」という考え方が、じつは、悪いことに利用されてしまっているということを言いたいのだ。言霊というのは、魔法とおなじで、幼児的万能感が関係している。言霊を現実的なものとして考えている人は、言霊の力と魔法の力はおなじだということを聞かされたら、意外に思うだろう。しかし、おなじなのだ。「言霊は絶対だ」と言うことは、「魔法は絶対だ」と言っているのとおなじなのである。どうして、こういう感覚が成り立ってしまうのかというと、幼児的万能感が関係している。幼児的万能感は、だれにでもある。これ、幼児的万能感は、大人になるとなくなってしまうような印象をもっている人がいるかもしれないけど、幼児的万能感というのは、ずっとずっと、大人になっても、消失しない。それが、普通のことだ。なので、超・支配者層は、普通の人をして、悪い条件をかかえている人を、せめさせるために、言霊理論を使っている。他人のことは他人のことなので、人は、他人のことに関しては、冷酷になれるのである。実際には、悪い条件をかかえている人が、言霊理論によって、せめられることになる。超・支配者層というのは、それを知っていて、人々をむだにあらそわせるために、言霊理論を使っている。言霊理論を使って、人をはげまそうとする人は、じつは、相当に、冷酷なことをしている。じつは、相当に無責任なことをしている。言霊理論が正しいと思っている人は、はげますつもりで、言霊理論をこまっている人に「おしえてあげる」のだけど、これは、ほんとうにこまっている人にとっては、じつは迷惑行為なのだ。どうしてかというと、言霊では、問題が解決しないからだ。けど、言霊理論が正しいと思っている人は、言霊(理論)は正しいので、問題がが決すると思っている。実際には、言霊が問題を解決してしまうことは、ない。言霊理論が正しいと思っている人は、自分が、言霊で問題を解決したことがあると思っているけど、これは、勘違いだ。この勘違いについてはずっと説明をしてきた。勘違いなのだ。そして、勘違いをしていることには気がついてない。言霊論者は気がついてない。その言霊論者も、じつは、自分の現実的な問題に関しては、言霊なんてまったく使わずに、現実的な対処をしているのだ。しかし、言霊論者は、自分が現実的な問題に関しては、言霊的な対処をしていないということには、気がつかない。言えば、言ったことが現実化するのだから、言霊主義者はすべての問題を言霊を利用することによって、解決することができる。瞬時に解決することができる。問題なんて一切合切ない状態にすることかできるのだ。しかし、言霊主義者も、現実的な問題について悩んでいる。なので、現実的な問題に関しては、最初から、言霊の力を利用しようともしないのだ。年金が少ないとする。年金支給額が少ないということだ。その場合、かぎられた年金の生活のなかで、小さな楽しみを見つけるというようなことをしている。言霊で年金支給額を増やそうとはしないのだ。言えば、言ったことが現実化するのだから、「年金が、月換算で一〇〇万円になる」と言えば、一〇〇万円になるはずなのだ。けど、「年金が、月換算で一〇〇万円になる」と言えば、ほんとうに、月換算で一〇〇万円になるのかというと、ならない。そういうことを、言霊主義者も知っている。知っているから「年金が、月換算で一〇〇万円になる」「年金が、月換算で一〇〇万円になる」と年金が、月換算で一〇〇万円になるまで、言うということをしない。最初から、あきらめている。自分のことに関してはそうだ。しかし、他人のことになると、「言ったことが現実化する」「これは正しい」と言って、ゆずらない。もし、言ったことが現実化しなかったなら、それは、言い方が悪いから現実化しないのだということを言いだす。自分がどれだけ「年金が、月換算で一〇〇万円になる」と言っても、現実しかなかったから、それは、自分の言い方が悪かったから現実しかないだけなのだと、思える言霊主義者がどれだけいるか? 生きているあいだじゅう、いつか、「年金が、月換算で一〇〇万円になる」ことを夢見て、ずっと、「年金が、月換算で一〇〇万円になる」と言い続けるということを選択する言霊主義者がどれだけいるか? 他人のことになると、「言霊(理論)は絶対に正しい」ということになり、もし、現実しかないなら、言い方が悪いから現実化しないのだと言い張る言霊主義者だって、自分の現実的な問題に関しては、この通り、最初から、言霊で問題を解決しようとしないのだ。ひとごとだから、無効な方法を、有効な方法だと言うことができる。ひとごとだと、自分にとって現実度というのが、ないに等しいので、現実的な問題ではないのである。もちろん、これは、自分にとって現実的な問題ではないということだ。現実的な問題をかかえている他人にとっては、もちろん、現実的な問題なのである。だから、最初から、他人には「カス方法」をおしつけているということになる。最初から、自分だって現実的な問題にはまったく利用しようと思わない「非現実的な方法」を他人には、おしつけていることになる。これは、善意ではあるけど、ありがた迷惑だ。やっているほうは、善意のつもりだけど、やられたほうにしてみれば、ありがた迷惑だと感じてしまうようなことだ。こうなると、立場の弱い人は、マウントをとられてみたいで、いやな気持になるのである。もちろん、マウントをとっているほうは、いい気持になる。こういうことが、頻繁に発生するのであれば、人間のなかが悪くなる。相対的に調子がいいほうが、相対的に調子が悪いほうをおいつめるということになるのである。超・支配者層にやとわれた洗脳のプロは、こういうことを利用して、調子が悪いほうが自殺するような社会を目指しているのである。調子がいいほうが、調子の悪いほうを、善意でおいつめる……というようなシーンを見た洗脳のプロは、しめしめと、わらいを浮かべるのである。立場の悪いほうは、立場のいいほうに、カス方法をおしつけられても、それが、カス方法だということを説明して、論破してしまうわけにはいかない。たとえば、ブラック社長が「言ったことが現実化する」「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と、名前だけ店長に言ったとする。名前だけ店長は、ほんとうは……「できると言えばできるなんて言ったって、できないものはできないんだよ」……と思うかもしれないけど、そういうふうに、言いかえすことができない。あるいは、言いかえしにくい。まあ、言いかえしたとしても、ブラック社長が、名前だけ店長が言ったことを、認めるとは思えない。まあ、これは、ぼくが思えないと思っているだけだけどね。ともかく、立場が弱い人は、立場が強い人に言いかえしにくいのである。そうすると、カス方法をおしつけられたほうは、カス方法をおしつけてくるほうに、ある種の感情をもつことになる。そうなると、まあ、不幸の数が増えるのである。そうなると、洗脳のプロがよろこぶのである。