おカネが好きな人のところには、おカネがやってくる。おカネが人のところには、おカネがやってこない……というような話を、『条件ぬき』で語っている人は、みんな、詐欺師だと思っていい。
こういうことじゃないのである。
たとえば、「おカネがきたないと思っている人のところには、おカネがまわってこない」というようなことを言うけど、これもちがう。そして、「おカネがきたないと思っている人は低収入だ」というようなことを言うけど、これも、勝手な決めつけだ。
これ、精神世界系の人は、みんな、やられてしまうのだけど、まず、『条件』というものを考えなければならないんだよ。
この場合、まず、考えられる条件は、「おカネがない人」は、どういう「家」にうまれてきたのかということと「おカネがある人」は、どういう「家」にうまれてきたのかという条件が重要になる。これは、言ってみれば、初期値だ。
初期値が高いほうが(おカネがあるほうが)いろいろな点で有利であることにはかわりがない。
個人の資質や、おカネの流れがかわってしまうことによって、初期値は低いけど、現在地は高い人や、初期値が高いけど、現在値は低い人などがいる。おカネの流れというのは、たとえば、親の収入だ。自分の親が会社を経営していたとする。自分が子どものころは、会社の経営がうまくいって、親がお金持ちだったとする。
けど、自分が一八歳になったとき、親の会社の経営がうまくいかなくなり、倒産した。こういう場合は、おカネの流れがかわったので、初期値とは、ちがう現在値になることがある。
けど、個人の資質が高ければ、成人したあとなので、おカネをもうけることができたという場合ある。ようするに、時系列的にどんな条件が成り立っているのかということは、初期値とおなじように重要なことだ。
しかし、たとえば、小さいときから、小さなおカネのことで、トラブルがたえない人というのは、おカネに対して、たしかに、独自の構えをするようになる。
その場合、たとえば、実際のコインや紙幣に、人間の執念のようなものが宿っているような感じがする場合があるかもしれない。それを、その人が「おカネがよごれている」と表現したとする。この場合は、その人が、おカネをきたないものとして認識していることになる。
実際にこの子どもが成人してからもおカネがない暮らしをしたとする。
そうしたら、ほかの人は、そういう人のことを、たとえ話として使うようになる。
たとえば、小さいときから、「おカネはきたない」と思っている人をAさんだとする。
そして、Aさんをゆびさして、「Aさんがおカネをきたないと思っているから、Aさんにはおカネがないのだ」と言う人をBさんだとする。
Bさんが言っていることは正しいのだろうか?
正しくないと思う。
この場合は、小さいときから、貧乏だったのである。貧乏な家に生まれたのである。だから、親のすがたを見て、おカネに対する嫌悪感が生まれたのである。子ども時代のおカネにまつわるトラブルというのは、親が影響していることが多い。
精神世界の人は、因果関係を逆転させて、物事を考える癖がある。
しかも、逆転させて考えると、真実に到達できると思っているところがある。支配者層が、親支配者層の人をインフルエンサーとして育てると、親支配者層の人が、精神世界的なことを言って、そういう逆転思考をはやらせるのである。
言ってみれば、親支配者層の人に洗脳されている普通の人は、別に、逆転の発想なんてしてない。親支配者層の人が提供したそういう考え方を、そのまま、順方向で、受け入れているだけなのである。言われたことを、そのまま、受け入れている……逆転の発想ができない人たちなのである。
こういう話にだまされてしまう人たちは……。
Bさんは、貧乏な家に生まれて、おカネのことでいやな思いをしたから、おカネに対してネガティブな考え方が発生したと考えるのが、正しい。そして、貧乏な家に生まれたので、そのあとも、貧乏な思いをして生きてきたと考えるのが正しい。
まるで、勝手に、Bさんの頭に、「おカネがきたない」という考えがうかんで、Bさんが「おカネがきたない」と考えているので、Bさんのところにおカネがまわってこないと考えてしまう。こういう考え方はそれまでの条件と今現在の条件を無視しているので、現実的な考え方ではない。
こういう考え方は、Bさんがオギャーと生まれてから、成人するまでのおカネの流れを無視している。おカネがないと、教育うける点でも、不利な状態になる。
だいたい、じゃあ、Bさんの親というのは、どういう階層の人だったのかということが問題になる。
Bさんの親がどういう仕事をして、どういう仕事文化をもっていたのかということが問題になる。Bさんの親のおカネに対する態度が問題になる。
しかし、育った家のことを無視して……結果としてある、Bさんのおカネに対する執着(おカネに関する不愉快な記憶)を「おカネがきたないという考え方をBさんがもっている」ということに置き換えただけなのである。
そりゃ、小さなおカネで常に、トラブルが生じていたら、おカネに対するネガティブな思いがうまれる。わずかなおカネで買えるものなに、親が、そのおカネをケチって買ってくれなかったということは、小さなBさんにとっては重要なことなのである。
無視できることではない。
小さなおカネのことで、小さなBさんがとてつもなく不愉快な思いをしたということは、重要ことなのである。そして、そういうおカネのない家の子供だから、「おカネをもうけやすい」条件がそろってないということになるのである。
子どもといったって、そりゃ、歳(とし)をとる。小学生時代、中学生時代、高校生時代と、ずっとおカネがない状態で暮らしてきたなら、小学生時代、中学生時代、高校生時代と、ずっとおカネがある状態で暮らしてきた人とは、いろいろな条件がちがうということになる。
おカネのもうけやすさというものを考えた場合、小学生時代、中学生時代、高校生時代と、ずっと有利な条件ですごしてきた人は、おカネのもうけやすさという点でも、有利であることが多い。
成人したBさんの『おカネ観』だけを問題にして、成人したBさんのおカネ観がネガティブだから、Bさんにはおカネがまわってこないとするのは、条件を無視しているという点で、問題がある考え方なのである。
精神世界の考え方だと、Bさんの頭のなかのことが、Bさんの現実をつくっているので、Bさんが頭のなかのことをかえてしまえば、それに対応して、Bさんの現実もかわるということになるのである。
その場合、Bさんの頭の中こと、と、Bさんの現実が対応しているということになって、もちろん、一見正しそうな印象をあたえる。けど、Bさんが、「おカネに対してポジティブに考えても」Bさんの現実がそれに対応して、Bさんの現実がかわらないのである。現実には、さまざまな条件がある。
頭のなかだけ、ポジティブにすれば、それで問題が解決するということはない。ほんとうは、時系列的な条件により、Bさんのからだは、がんじがらめになっているのである。
今現在成り立っている条件というのは、Bさんの行動をしばっている。たとえば、高校卒業時点でのBさんの行動できる範囲と、小学生時代、中学生時代、高校生時代と、ずっと有利な条件ですごしてきた人の行動できる範囲は、あきらかにちがうのである。
たとえ、Bさんが頭のなかで、おカネに対してポジティブな考えをもったとしても、それだけでは、Bさんをしばりつけている様々な条件がかわらないのである。
けど、インフルエンサーに洗脳された人は……つまり、順方向でインフルエンサーの話をうけいれてしまう人は……さまざまな現実的な条件を、無視してしまうのである。
そして、ただ単に「考え方」に注目することになる。Bさんがもっているとされている「おカネに対するネガティブな考え方」だけに注目して、実際に成り立っているBさんの条件を無視してしまうのである。
そして、「おカネに対するネガティブな考え方」が「Bさんが貧乏だ」という結果をつくっていると考えてしまうのである。しかし、Bさんが貧乏なのは、今更始まったことではないのである。生まれたときから、貧乏な親の影響をうけて、Bさんは貧乏だったのである。Bさんが高校を卒業するとき、突然、Bさんを取り巻く条件がかわるわけではない。
Bさんを取り巻く条件はたくさんあるのだけど、そのうち多数が、おカネをもうけるということに関して、ネガティブな条件なのである。ようするに、Bさんが高校を卒業する時点で、もうすでに、Bさんにはたいしておカネがはいってこない条件がそろっているのである。
もちろん、特殊なことをやっておカネをもうけるということができるかもしれない。
けど、それは、普通ではない。特殊なことだ。たとえば、詐欺とか、普通の方法ではない方法でおカネをもうけるということはできるかもしれないけど、それは、普通の方法ではない。普通の方法でおカネをもうけるとなると、いっきに現実的な条件が、ものを言うようになるのである。
ちょっとだけ言ってしまうと、逆転の思考ができるつもりの凡人は、まったく、逆転の思考なんてしてない。だいたい、これには、条件の無視……という特徴がある。
これ、言ってしまってはまずいのかもしれないけど、精神世界の人は、詐欺に引っかかりやすい人だ。精神世界の人は、すでに、詐欺に引っかかっている。「逆転思考ヨイショ詐欺」にひっかかっている。
「逆転思考ができる」ぶんだけ、普通の人よりもすぐれているという考えをもってしまうのだけど、それは、洗脳インフルエンサーが与えた考えだ。これ、「ヨイショ」されているのである。
「自分は逆転思考ができる特殊な人間だ」と思って、うかれているわけだけど、だまされている。
条件を無視して、「一項目」だけに集中させる手法というのは、親支配者層の人がやる詐欺的な手法のひとつだ。「一項目詐欺」と呼んでおこうか?
自己啓発セミナーの講師も、「一項目詐欺」をよく、やっている。この人たちの、話し方の特徴に気がつくべきだ。ほんとうは、条件でがんじがらめなのに、条件を無視して、一項目だけに集中させる。
そうすると、一項目だけをかえると、現実がかわるような印象をあたえることができる。けど、現実は、実際には、条件に縛られている。なので、一項目だけをかえても、現実はかわらない。