努力論に関しても、暗黙の前提として『条件は無視する』ということが成り立っている。「すべては、受け止め方の問題」というような「受け止め方論」に関しても、暗黙の前提として『条件は無視する』ということが成り立っている。言霊、思霊、引き寄せ、努力論、受け止め方論、すべてに、条件の無視ということが成り立っている。言霊においては、「言ったか言わなかったか」ということ以外の条件は、最初は、無理されているのである。あとで、言い方が悪いというような『条件』が付け加わることになる。しかし、言い方が悪いということは、「言った」ということのあとに成り立つ、サブ条件なのである。ようするに、言ったという条件が成り立ったあと、「どういう言い方でいったのか」という条件が成り立つことになる。どういう言い方で言ったのかということを問題にする場合は、じつは、結果は、ふたつではない。「いい言い方」と「悪い言い方」のふたつがあるわけではない。けど、「いい言い方」と「悪い言い方」ということに抽象化することはできる。そして、すべての場合において、「言っても、言ったことが成立しなかったのなら、それは、悪い言い方だったからだ」と、あとだしで言うことができる。もちろん、これは、まちがっている。「言うことができる」と言っても、別に、正しいと言っているわけではない。ようするに、詐欺的な思考に陥っている言霊主義者は「言っても、言ったことが成立しなかったのなら、それは、悪い言い方だったからだ」と考えるわけだけど、それは、理論的に正しい思考じゃない。じつは、言い方は無数にあるので、悪い言いかたも、無数にある。基本的なことを言えば、詐欺的な思考に陥っている言霊主義者が「悪い言い方だ」と決めつけただけなのである。これは、最初から決まっているわけではなくて、「言ったことが、言った通りにならなかったのなら、言い方が悪いからだ」と、一時的に、言霊主義者が考えたので、その言い方が、その言霊主義者の頭のなかで「悪い言い方」になっただけだ。まあ、これ、あとだし詐欺だよね。
言霊理論においても、じつは「言った」という条件、「言わなかった」という条件以外は、問題になっていないのである。実生活における、いろいろな条件は、まったく問題になってない。かならず、「言ったか言わなかったか」という、ひとつの条件以外は、無視される。 しかし、ほんとうは、そんなことよりも、その人……が、生まれたときからかかえているいろいろな条件のほうがたいせつなのである。重要なのである。結果に影響をあたえるのである。