きちがいヘビメタを鳴らされるというとが、どういうことなのかわかってないやつがいる。わかってないやつらばかりだ。こいつらが思っていることと、ぼくが経験したことはちがう。あたりまえのように、きちがい兄貴がものすごい音でヘビメタを鳴らしていた。このヘビメタというのは、好きな人にとっては好きな音楽なのだろうけど、ぼくにとっては、一番苦手な音がつまっている音楽だ。ヘビメタが好きな人は、ヘビメタではなくて、自分の嫌いな音が、常に、大音響で鳴っているという状態を想像してみてほしい。そして、それを鳴らしているのが、頭がおかしい、家族なのだ。家族! 家族!! 家族ということが、どれだけ足をひっぱるかわからない。感情の量というものがある。感情の量。きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、きちがい的な態度で、きちがい的にでかい音を鳴らしているあいだ、一倍速で、その騒音にたえているときの感情。時間が長く続けは、感情の量が増える。期間が長く続けば、感情の量が、果てしないほど増える。そして、つもっている感情の量が、あたらしい、感情の量に影響をあたえる。まえよりも、悪くなっていくのだ。失敗体験がつみかさなる。くるしい時間がつみかさなる。そして、理解してくれる人がだれもいない。これは、ようするに、おなじ体験をした人が、だれもいないということだ。つもりつもった感情の量がある。これを無視して、「過去なんて関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなのは関係がない」と言うやつらがいる。
こいつらは、完全になめくさっている。
こういうやつらに、なめくさったことを、言われることが、きちがい兄貴の態度で決まっているのである。
よそでは、きちがい兄貴だって鳴らせないようなでかい音で、鳴らして、よそでは、きちがい兄貴だって鳴らせないようなでかい音で鳴らしているということを、絶対に、認めない。
こんな、頭にくる態度があるか?
これ、毎日、何時間もやられていいわけがない。これ、毎日、何時間もやられて、勉強時間をとられていいわけがない。これ、毎日、何時間もやられて、睡眠時間をとられていいわけがない。
きちがい兄貴しか、こういうことをほんとうに実行する人間がいないのだから、ほかのやつらは、おなじことをされたことがないやつらなのである。
かりに、きちがい兄貴以外に、こういうことを、きちがい兄貴感覚でやるやつがいたとする。その少数の例外は、例外としてあつかうことにする。
けど、その少数の例外は、「過去なんて関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなのは関係がない」と言うわけがない。
「過去なんて関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「そんなのは関係がない」と言ったやつらは、みんな、みんな、全員、きちがい的な音を、きちがい的な音のでかさで、鳴らされたことがないやつらなのである。
そして、こいつらのほうが、当然ながら、多数派なのである。九九・九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九九%ぐらいが、こういうやつらなのである。こんなのは、ない。
けっきょく、感情の量を知らないやつらが、くそを言ってくる。くそを言ってくる。やられなかったから、言えることだ。しかも、言霊主義者は、理論的にまちがっているのである。努力論者は、理論的にまちがっているのである。きちがい家族によるきちがい騒音に対する無理解さを発揮したあと、くそまちがった理論を言いやがる。
ほんとうに、毎日、きちがい騒音でボロボロなんだよ。
関係ないわけがないだろ!!
ほんとうに、ひとのこころを踏みにじるようなくそボケ発言を、普通にしやがる。ごく普通に、ひとのこころを踏みにじる、くそボケ発言をしやがって。しかも、正しいと思っている。まちがっているよ。
世の中の、ほとんどのやつが、こういうやつらだ。どうしたものかな?