たとえば、ある八歳の少年が、「プロ野球の選手になる」と言ったとする。そして、その少年が二〇歳になったとき、実際に「プロ野球の選手になった」とする。
そうすると、言霊主義者は「プロ野球の選手になる」と言ったから、「プロ野球の選手になった」のだと、主張するようになるのである。「言ったことが、現実化した」「言霊理論は正しい」と言霊主義者は思ってしまう。
けど、これは、言ったから現実化したわけではないのである。
「プロ野球の選手になる」と言った「始点」と、実際に「プロ野球の選手になった」という「終点」しか考えない。「始点」と「終点」しかないのである。「始点」と「終点」のあいだにあったことをすべて無視してしまうのである。
その少年が「プロ野球の選手になる」と言ったあと、プロ野球の選手になるべく、野球の練習をした。数々の試合をした。そこで、目覚ましい活躍をした。こういうことを、すべて無視して、「始点」と「終点」だけを考えて、「言ったから」そうなったと、アホなことを言うのが言霊主義者だ。
ほんとうに「言ったから」なのだろうかということを考えると、そうではない。
その少年がすぐれた身体能力をもっていたという条件……。家が比較的裕福で野球をやらせることができたという条件……。実際に、野球の大会に出て活躍したという事実……。
こういうものを、すべて無視して、ただ「言ったから」ということにしてしまう。
別のある八歳の少年が、「プロ野球の選手になる」と言ったとする。そして、結果的には、プロ野球の選手になれなかったとする。この場合は、言ったにもかかわらず、現実化しなかったのである。
そういう、現実化しなかったケースについても、言霊主義者は、ガン無視してしまう。こういう、ヌケヌケの理論を展開しているのが、言霊主義者だ。
「まるまるというプロ野球選手はこどものときに『プロ野球の選手になる』と言ったから、プロ野球の選手になったのだ」……というような説明を、言霊主義者はする。まちがっている。条件や、中間のプロセスをガン無視した、ヌケヌケの説明だ。
ちなみに、思霊主義者にもおなじことが成り立つ。
彼らが、「視点」と「終点」だけを考えて、言霊や思霊のせいにするから、あたかも、そうであるように、見えるだけだ。説得された人は、そういうふうに、考えてしまう。
けど、まちがっている。
まあ、だまされただけだよ。トリックがあるんだよ。いいかげん、気がつけ。