きちがい親父が入院しているときにわかったことなんだけど、きちがい親父が、親戚の人に、俺のことを悪く言ってたみたいなんだよね。でっ、親戚の人が俺の悪口を言っていたらしい。ようするに、親父が親戚に吹き込んだことというのは、俺が、その親戚の人たちを、バカにしているということなんだよね。俺は、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にやられて、きちがいヘビメタ騒音で大学に受からなくなってしまったので、親戚にあいにくくなった。そのあとも、就職しなかったので……しなかったというよりも、ヘビメタ騒音で働けないからだになったので、就職するわけにいかなかったのだけど、就職していないと、やっぱり、親戚の人にあいにくいというのがある。というわけで、あわなかったんだよね。あとは、おじいちゃんの葬式に、きちがい兄貴が出るので、俺はきちがい兄貴にあいたくないので、おじいちゃんの葬式には出ないということを、あらかじめ言っておいたのだけど、おじいちゃんが、実際になくなったら、その気持ちは、ちょっとやわらいで、「葬式に出てあげようか」と親父に言ったんだけど、親父が「こなくていいよ」と言うので、けっきょく、いかなかった。おじいちゃんの葬式できちがい兄貴をなぐったり殺したりして、迷惑をかけるのは、問題があると、思っていた。けど、まあがまんして、葬式に出てあげようかなという気持になって、当時、親父に「葬式に出てあげようか」と言ったときの答えが、これだ。でっ、この葬式の話は、親父が入院する一八年ぐらい前の話だ。まだ、おかあさんも生きていた。このおじいちゃんというのは、おかあさんの父親だ。けど、おじいちゃんとおばあちゃんは、再婚同士なので、おかあさんと、ぼくが知っているおばあちゃんというのは、血のつながりはない。でっ、ともかく、きちがい親父が、ヘビメタ騒音のことをかくしていたんだよ。で、時間的には、この葬式のころからは、ずっとあとのことになるのだけど、ともかく、俺が、その親戚の人たちのことをバカにしているから、親戚の人たちにあおうとしないという作り話をしたみたいなんだよな。きちがい親父としては、自分が、いい人で、ほめられたい気持ちがあるんだよ。これ、きちがいだから、そういうことに出てしまう。なんていうのかな、自分の子供をダシに使って、自分がいい人になりたいというのがあるんだよ。ばれちゃうわけだけどさぁ。きちがい親父が死んだあとに、ぼくと親せきの人で、電話で話したときに、ぼくが、親戚の人にあわなかったのは、大学に落ちて、かっこう悪いからあえなかったというようなことを、話した。えーっと、これ、ぼくにしては、時系列的なこととか、登場人物の話をしてないのだけど、まあ、いいよ。親戚のひとと言っても、いろいろといるからね。じつは、ほかにも、ちょっとここでは書けないことがある。けど、ともかく、きちがい親父は、普通の親ではないし、普通の人間でもない。これ、ちがうんだよ。孤児として、ずっといじめられてきたというのが、いろいろなところ出てしまうんだよね。ともかく、普通の人じゃないんだよ。これ、ほかの人にはわからない。いろいろなところに、普通の人ではない「部分」というのが出てしまう。きちがい親父は、「家庭」というものがわかってないんだよ。自分が、虐待されただけだから、「家庭」というのがまるでわからない。だから、いろいろなところで、くるっている。最初から人間としておかしい部分があるのである。で、「子供の悪口を言って……」「わたしたちに、エイリちゃんの悪口を言わせて……」というようなことを親戚の人が言った。仏壇を拝みたいということだったんだよね。これは、親父が死んだときだ。で、親父が死んだときなんだけど、ネズミがいっぱいいた時期だ。これ、きちがい親父が残していったものが、ネズミとネズミの糞と、ダニなんだよ。「ともかく、ダニに刺されるし、ネズミの糞がころがっている状態だから、仏壇のまえに、立つようなことはできない」というようなことを、ぼくが、親戚の人に言ったわけ。でっ、親戚の人が、兄貴の嫁さんに電話をかけて、「ネズミの話はほんとうなのか?」いうことを訊いたわけ。で、兄貴の嫁さんは、当然、知っているから、「ほんとうですよ」と言うようなことを言ったわけ。俺は、親父の入院とか、親父の老人ホーム探しとか、親父の葬式で、兄貴にあってない。やっぱり、ぶんなぐって殺しそうだから、あってないんだよね。かわりに、兄貴がやるようなことは、全部、兄貴の嫁さんがやったわけ。
兄貴のヘビメタ騒音でいろいろとはずかしい思いをしているんだよね。これ、総量がわからないだろうと思う。どれだけのことが起こったかわからないと思う。だから、「過去は関係がない」とか「ヘビメタ騒音なんて、そんなのは関係がない」と言う他人が出てきてしまうわけ。こいつら、わかってないよ。
大学に受からなくてはずかしい思いをするのは俺なんだよ。きちがい兄貴は、きちがいだから、まったく気にしてない。頭が、きちがい親父とおなじなんだよ。兄貴と親父は、性格がおなじなんだよ。これ、ほんとうーーに、わからないんだよね。自分がやったことで相手がどれだけこまっているか、わからない。言われたら、きちがい的におこって、おしまい。本人が発狂してはねのけたら、まったくなにも残らない。だから、何十万回やってもおなじなんだよ。何十万回もめてもおなじなんだよ。普通の人だったら、わかることがわからない。これは、きちがい親父もきちがい兄貴もおなじだ。主語? 主体? きちがい兄貴と、きちがい親父は、普通の人だったら、言わなくてもわかることがわからない。何十万回言われても、わからない。何十万回そのことでもめても、わからない。一回も言われてないと思ったまま、生活する。やることをかえない。自分がやりたいことは、そういうやり方で押し通してやってしまうんだよ。けど、そういうやり方で押し通してやったということが、ほんとうにわかってないわけ。だから、いつも、悪気がないんだよ。じゃあ、やめてくれるのかというと、やめてやるということは、絶対にないんだよ。発狂して、やめてやらない。これが、「ゆずる」ということにも発揮されていて、相手にとってまったく無意味な「譲歩」しかしない。これ、きちがいなんだよ。ほかの人はまったくわからないけど、きちがいなの……。うちの親父と、うちの兄貴は、こういうことについて、きちがいなんだよ。
まあ、ちょっと、今回の説明は、かくしたいことや、言いたくないことがあるので、なんかいろいろと省略した説明になった。かくしたいことって、これ、親父の名誉のために隠しておかなければならないことなのである。