ちょっと、つながりで言っておくけど、能力のちがいにこれほど、みんなが注目している社会というのは、おかしい。みんな「これが、あたりまえだ」と思っていると思うけど、これが、あたりまえのありかただという保証はない。ようするに、ちがう社会のありかただってあるかもしれない。
近代教育システムによって、能力のちがいに意識が集中するのである。近代教育システムと言うのは、近代学校システムのことなのだけど、学校システムに参加した人は、「個々人の能力の違い」に神経をとがらせることになるのである。
そして、基本的なことを言えば、能力が相対的にない人たちは、「恥をかかされる」ことになる。
近代教育システムを維持して、「恥をかかせないようにする」というのは、無理なのだ。 「恥をかかせること」が、かくされた目的のひとつになっている。
ようするに、そこで、その分野で、比較劣位なのであれば、必然的に恥をかくのである。恥をかくことになっている。比較劣位な人も、恥をかかないようにすることができる……そういうサポートができる……ということを言う人がいるかもしれないけど、それは、きれいごとだ。
そのサポートでは、基本的な性格がかわらないので、そのサポートは無意味だ。基本的な性格というのは、近代教育システムの基本的な性格ということだ。
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基本的なことを言ってしまうと、近代教育システムは、もう、崩壊させてもいいと思う。