手短に言うと、ヘビメタ騒音にやられると「そんなことはわかっている」ということを言われることになる。たとえば、「宿題はやってこなければ、だめだろ」「宿題はやったほうがいいよ」「宿題をやったほうが、はじをかかなくてすむし、トラブルも少ないと思うけどなぁ」ということを言われる。そんなことは、わかっている。けど、この人たちは「じゃあ、なんでやってこないんだ?」と言うわけ。「ヘビメタ騒音でできないのだ」「ヘビメタ騒音で、どうしても宿題ができなくなった」ということを、言ったあとに、そういうことを言ってくる。この人たちのなかでは、ヘビメタ騒音というのは、そんなにでかい問題じゃないのである。この人たちは、「ヘビメタ騒音で、宿題ができなくなる」ということをまったく、まったく、まったく、認めてない。だから、「ヘビメタ騒音で、どうしても宿題ができなくなった」ということを、ぼくが言ったあとにも、「じゃあ、なんでやってこないんだ?」と(この人たちが)言うわけ。こっちが、ヘビメタ騒音で宿題ができないと言ったあとも、この人たちのなかには、ヘビメタ騒音で宿題ができなくなるということはないという考え方が、あるのである。この人たちは、ぼくといっしょに、ぼくの部屋にいたわけじゃない。透明な壁なら、すぐそこに、巨大なスピーカーが置いてあって、がんがん鳴っている状態がわからない。これ、短期記憶も、思考力も、なにもかも、すべてふっぱすのである。尋常な気分ではいられないのである。普通の、勉強ができる状態ではないのである。ところが、きちがい家族による騒音を経験したことがない人、あるいは、ぼくといっしょに、きちがいヘビメタががんがん鳴っている部屋にいたことがない人は、ヘビメタ騒音のなかでは、勉強ができなくなるということを認めないのである。ヘビメタ騒音のなかで、ぼくは、発狂した気持ちをおさえて、高圧状態で存在しているのである。はちきれんばかりなのである。怒りが内向して、頭のなかが、ズタボロになってしまっているのである。緊張感が、発狂的なレベルで高いのである。そういう状態に、「強制的になる」音なのである。ぼくにとってはそういう音なのである。あんな音のなかで、勉強できるわけがないだろ。きちがい兄貴が、横の部屋で、普通のステレオで、音楽を聴いているわけじゃないんだよ。きちがい兄貴が、ヘビメタをやるまえも、普通の人よりはでかい音で鳴らしていたけど、その場合は、勉強ができるんだよ。きちがい兄貴が、フォークギターにこって、常に鳴らしていた時期があるのだけど、その時期も、普通に勉強ができた。幼稚園で、運動会をやっているときも、普通に勉強ができた。けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、一秒もできない。どれだけがんばっても、一秒も勉強ができない。そういう状態になる。
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きちがい兄貴に、「宿題ができないから、ヘビメタを鳴らすな」とか「宿題をしてこないということで、バカにされた」ということを言ったって、きちがい親父とおなじ態度で、否定して、頑固に鳴らし続ける。だから、こういうことがつもってしまうのだから、部屋に戻って、自分の部屋で、きちがいヘビメタを強制的に聞かされているときの気分が、尋常じゃないものになる。
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ちなみに、「お兄さんのヘビメタが鳴っていても、宿題ぐらいできる」と思っている人は、「できるのに、できないといいわけをしている」と思うわけだ。けど、できない。ようするに、この人にとってみれば、エイリさんは宿題をやってこないうえに、できないといいわけをするようなやつだということになる。こういうことの積み重ねなんだよ。きちがい家族が、きちがい的な意地で、きちがい的な騒音を鳴らすということは、こういうことだ。ほかの人はほかの人で、きちがい家族がいないので、そのきちがい家族が、きちがい的な感覚で!!夢中になってある音楽を鳴らすということを、経験してない。経験してないから「できない」というとがわかってないだけなのだけど、そいつの頭のなかでは「できる」ということになっているので、「エイリは、いいわけをするような人だ」ということになる。
きちがい家族によるヘビメタ騒音のなかで宿題ができないというのは、ほんとうのことなんだけど、「できないということはない」と考える人は、エイリが「できない」と嘘を言っていると考えるのである。
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宿題で起こったことは、仕事でも起こる。ヘビメタ騒音で仕事ができないということはないという前提で、ものを言ってくるようになるのである。ほんとうに、通勤して働くことができないのに、「できる」という前提で、ものを言う。こういうことを言う人間だって、「実際に」きちがい家族によるきちがい的な騒音を毎日毎日、十数年間にわたって経験すれば、働けなくなるのに……つまり仕事ができなくなる……のに、そういうことを言う。
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ほんとうに、普通の人は、きちがい家族の、きちがい的な態度について、勘違いをしている。誤解をしている。まちがった認識をもっている。わかるわけがないけど、まちがった認識なんだよ。わかるわけがないけど……。
「きちがい家族の、きちがい的な態度」と書いたけど、「きちがい家族の、きちがいてな感覚」でもおなじだ。おなじことが成り立つ。けっきょく、よその人が、わかってないだけなのである。よその人には、きちがい的な家族がいない。きちがい的な家族が『うちのなかで』どういう感覚で、どういう態度で、どういうことをするか、まったくわかってない。
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(事実できない)→(できるに決まっている)(できるのにできないと嘘を言っている)(できるのに、できないといいわけをしているだけなんだ)(エイリというやつは、できるのに、できないといいわけをするダメなやつだ)(エイリというやつは、いいわけばかりの人間だ)
できないということについて、勘違いをしている。
きちがい家族が、きちがい的な行為を、きちがい的な態度でやり続けるだけで、よその人から、俺が、悪く言われる。こういうことの繰り返しだった。これも、つもっている。この、よその人だって、俺の部屋にいたら、勉強ができないし、宿題もできなくなる。けど、いないから、わからない。そして、「しずかにしてくれ」と言いに行ったときの、きちがい兄貴の態度に……腹をたてるのだ。よその人だって、腹をたてる。受け止め方をかえて、腹をたてないということはない。そして、しかたがないから、鳴っているなかで、受け止め方をかえるようにトライするのだけど、やっぱり、「できない」状態が続くのである。高圧状態だ。がんがん、音がせめてくるからな。一秒の休みもなく、たてつづけに、その問題の音がせめてくる。こんな状態で、いいわけがないだろ。
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しかたがなく、学校に行くと、「どうして宿題をやってこなかった」と言われる。言われたので「兄がヘビメタを鳴らしていて、どうしても宿題ができない」ということを言ったって……ちゃんと説明したって……けっきょく、相手は、「お兄さんのヘビメタが鳴ってたって宿題ぐらいできる」というまちがった考えにこだわって、できないということを認めない。これだって、相手が「受け止め方をかえれば」すむ話だ。けど、受け止め方をかえないのである。
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ヘビメタが好きなやつは、ヘビメタと書いたところを「自分が、この世で一番きらいな音」と言い換えて読んでくれ。