普通のうちでは「ありえない音」で、ずっと、鳴らしているのだから、普通人は、経験してないことなんだよ。「俺だってつらいことはあった」「俺だって苦労した」「俺だって困難なことがあった」「みんな、苦労している」……そういう言葉で、均質化、同質化するな。
普通のうちではないのだから、ないのだよ。普通のうちでは、ありえない音で、一日に、何時間も何時間も絶対にゆずらずに鳴らしてたんだよ。
そういう毎日が、一一歳から二五歳まで、足掛け一五年間、つづいたんだよ。初期の七年間で、通勤して働けないからだになるんだよ。
ふつうの「うち」では、ないことなんだよ。
だから、普通の人は経験してないことなんだよ。
なんで、普通の人が、普通の人が経験してないことについて、つらさを語るんだ?
「つらいのはわかる」……これで、一倍速で経験したことを理解したとでも言うのか?
わかるとでも言うのか?
だいたい、そのわりには、影響のでかさを無視したことを言うよなぁ。影響のでかさが、まったくまったくまったく、わかってない。実際にやられると、どんな状態になるのか、まったくまったくまったく、わかってない。わかってないし、同じ量の苦労、おなじ質の苦労をしてない。
してないんだよ。
もし、おなじ量の苦労、おなじ質の苦労を経験してたら、「絶対にそんなことは言わない」ということを、がんがん、言っている。
どうしてかというと、おなじ量の苦労、おなじ質の苦労をまったくしてないからだ。「俺だって苦労した」のひとことで「おなじ量の苦労、おなじ質の苦労」を経験したことにするな。
どんだけ、悪質なことをやっているかわかっているのか?
* * *
きちがい家族と一緒に住んでないから、きちがい家族が「もたらし続ける苦労」を経験してない。
おなじ質の苦労をしてない。
きちがい家族が「もたらし続ける苦労」を経験してないから、普通に働けるからだを保持できただけなのに、えらそうなんだよ
。自分だってきちがい家族が「もたらし続ける苦労」を経験したら、働けなくなるのに、えらそうなんだよ。わかってないから、「おなじ量の苦労、おなじ質の苦労」を経験したことにして、「それでも働くべきだ」「人間は働くべきだ」とえらそうなことを言っているだけなんだよ。
なんで、それがわからないのか?
あっ、経験がないからわからないのか。わかってないということがわかってないというのは、悲惨だな。まあ、本人は、ジコマン(自己満足)で、うぬぼれて、いい気持になっているんだろうな。
わかってないということがわかってないというのだって、きちがい兄貴と似ているところがある。
きちがい兄貴とはしくみも、程度も、量もちがうけど、こういう態度が似ているかどうかだけを問題にするなら、似ているところがある。