三キロのものを背負っている人と、一〇三キロのものを背負っている人がいるとする。三キロのものをせっおっている人が、「俺は、走れる。おまえは走れない」と言って一〇三キロのものを背負っている人のことをバカにするんだよ。
三キロのものを背負っている人が、「俺は、動きがはやい。おまえは、動きがおそい」と言って一〇三キロのものを背負っている人のことをバカにするんだよ。
三キロのものを背負っている人が、「俺だって、重いものを背負っている」「重いものを背負っていかるから走れないなんて、あまえだ」と言って、一〇三キロのものを背負っている人のことをバカにするんだよ。
ハンディがちがう。重いと言っても、重さがちがう。重さのちがいを無視するな。
重さというのは、ハンディの比喩だ。ハンディの大きさがちがえば、症状がちがう。できることがちがう。
重さのちがいを無視して、えらそうなことを言うな。たまたま、その重りを背負わされなかっただけなんだよ。重りの軽いやつが、重りの重いやつの、重りを無視して、好き勝手なことを言う。
そして、それが正しいと思っている。「いいこと言った」と思っている。
これが、地獄なんだよ。こういう行為が、たくさんつみかさなって、この世を地獄にしている。
きちがい兄貴のヘビメタというのは、それだけで、地獄だ。きちがいヘビメタ騒音が鳴っているさいちゅうも、鳴り終わったあとも、地獄だ。それだけで地獄だ。
けど、地獄はそこでは終わらないのである。
ヘビメタ騒音という地獄がないやつが、ヘビメタ騒音の地獄を無視して、「無理なこと」を言ってくる。
ヘビメタ騒音という地獄がないやつにとっては、無理なことではないのだ。
手短に言うと、ヘビメタ騒音がなかったときの俺にも、無理なことではなかった。
けど、ヘビメタ騒音で「無理なことになる」のである。
それを認めないやつが、とてつもなく「無理なこと」を言ってくる。
「自分は平気だ」「過去は関係がない」とアホなことを言ってくる。「できると言えばできる」とアホなことを言ってくる。