ほんとうに、ヘビメタ騒音がはじまってから、人に「説明できないこと」ばかりだよ。これ、きちがい兄貴が、きちがいなので、ほんとうに、ほかの人のうちには、「いない」のである。だから、ほかの人は、きちがいの行動について理解がないのである。理解しないのである。きちがい兄貴は、当然、自分の『きちがい部分』について自覚がない。やっていることすら認めてない状態だ。感覚器が正常なら絶対に、どれだけ否定したくても、否定できことがある。そんなの、完全に無視している。感覚器を、自分の都合のいいように書き換えてしまう。そして、そういうしているということを、完全に無視する。だから、本人は「やってないつもり」なのだ。しかし、頑固に頑固に頑固に頑固に、やっている状態が成り立つ。だから、本当は、やっている。外的行動をだけを見て判断すればやっているのだ。ところが、本人は、やっているつもりがないのだ。じゃあ、言えばやめてくれるかというと、そうではないのだ。「はいっている」ところがちがうんだよな。こんなの、ほかの人にわかるわけがない。本人がわからないはずがないということを、本人がわからない。そういう状態で、本人がやりたいことを、やってしまう。夢遊病者じゃない。はっきりと起きているし、「頑固」にやるのである。この頑固さと言ったらない。だから、感覚器が正常であればわかることを無視するということは、頑固さむすびついている。一心同体だ。
あーー。ほかの人にはわからないことで、ぼくがずっと、悩んでいる。これ、わかるわけがないのだ。それにしても、なんでよりによって、ヘビメタ騒音なんだと思うことがある。きちがい兄貴が、「囲碁」にこったら、こんなことにはなってないのだ。ヘビメタだからこうなる。ヘビメタが、苦手な音だというのは、最初から、決まっていた。ぼくのなかでは決まっていたことなのである。聞かされたときの、強烈な感情はない。どうしたって、「発狂的な気分になって」しまうのである。どうしたって、「うるさい」ということ以外は、なにも考えられないような状態になってしまうのである。なんで、兄貴なんだ。なんで、ヘビメタなんだ。