2024年5月6日月曜日

実際の影響については、まったくわからずに「受け止め方をかえればいい」とたわごと言っている

 くそ凡人は、たとえば、「きちがい兄貴をしずかにさせてくれる」という意味では、まったく、助けてくれない。

ところが、言うだけは言うのだ。感想を言う。その感想というのは、ようするに、「エイリが、がんばれば、それでいい」という話だ。

「きちがいヘビメタ騒音で働けなくなる」というとは認めずに、実際には、ヘビメタ騒音をなくしてくれるわけではなく、俺(エイリ)が、受け止め方をかえればいいという話になる。

ところが、実際に鳴らされていると、どれだけ受け止め方をかえようと思っても、きちがいの騒音に悩まされ、きちがいの騒音の影響をうけるのである。

この「影響をうけるということ」も、また、否定するのだ。

こいつらは、否定する。

どうして、否定できるかというと、やられてないから、否定できるのだ。「できるはずだ」という前提でものを言う。こんなやつらが、九割以上だ。こんな世界で生きていたくないと思うのは当然だ。

『自分だって騒音はあった』と言うけど、その騒音は、兄貴の騒音とはちがうのである。きちがい家族が出している騒音とはちがうのである。スイッチが入った、きちがい家族が出している騒音とはちがうのである。ちがうのは、よくわかる。

「受け止め方をかえればいい」などと、きちがいヘビメタ騒音でこまっている人にアドバスをしてしまうぐらいの騒音なのだから、たいした騒音じゃない。はっきりしている。

俺が、ぎりぎり、きちがいヘビメタ騒音のなかで、努力をしてきたということを認めてないのだ。このくそ凡人にとっては、ヘビメタ騒音は「受け止め方をかえればどうにでもなるような騒音」なのだ。こういう、「受け止め方」をしている。

こんなやつに、なにがわかるというのだ。「受け止め方をかえればどうにでもなるような騒音」だと見なしている時点で、こいつは、なにもわかってないということがわかる。どれだけ、まぬけか、わかる。どれだけ、うぬぼれが強いかわかる。どれだけ、きちがい家族による騒音を軽視しているかわかる。

こいつらが、勝手に過小評価しているだけだ。こいつらが、問題の本質を無視しているだけだ。

どうして無視できるかというと、実際にはやられてないからだ。きちがい家族による騒音とおなじ程度の騒音を経験したことがないからだ。

おなじ程度の騒音を経験した人が「受け止め方をかえればいい」なんてことを言うはずがないのだ。口がさけたっていえないよ。

その人は、その騒音のなかで「受け止め方をかえよう」として、実際には、受け止め方をかえられずに、被害を受けた人だ。

不可避的な被害というのがある。物理刺激は、どれだけ、無視しようと思っても、物理刺激があったという影響をうける。からだ影響をうける。こういうこと理解してないやつが「受け止め方をかえればいい」と言う。

こいつらが、自分なら、受け止め方をかえることで処理できると「思っている」のは、実際に、経験したことがないからだ。実際に経験したことがないので、実際の影響については、まったくわからずに「受け止め方をかえればいい」とたわごと言っているだけだ。

どんだけ、状況を理解してないばか発言をしているのか、本人が気がつかない。どうしてかというと、経験したことがないうえに、「うぬぼれ」が強いからだ。『自分なら大丈夫だ』という自信があるのだ。その自信というのが、ようするに、経験してないからもっている自信なのだ。ようするに、わかってないからもっている自信なのだ。たまたま、やられてないからといって、たわごとを言っていいわけではないということは、わかるか? 

たまたま、やられてないから、言えるだけのことを言っている。けど、本人は「同等の騒音を経験した」と前提しているところがある。これがちがうのである。経験してないから、同等の騒音だと思ってしまっているけど、ぜんぜんちがう。 

ともかく、こいらつらは、ほんとうは、できないことを言っている。ほんとうはできないことをできるという前提で言っている。ほんとうは、自分だってできないことなのに、自分ならできると、前提して、言っている。こんな、ふざけた態度があるか?

こういう想像力がかぎられた人間が、好き勝手なことを言ってくるようになってしまう。きちがい家族が、きちがい家族の感覚で、きちがい騒音を鳴らし続けると、俺が、よその人間から、こういうわかったようなことを言われることになる。わかったようなことと書いたけど、たわこどだ。

こいつらに、こういう説明をした場合、こいつらが「そうなのか。その通りだ」と納得してくれる確率は、極めて低い。もう、経験でわかっている。こいつらは、説明されても、納得しない。 

こいつらの理解力では理解できないことを、されてしまった。こいつらの経験の範囲外にあることをされてしまった。長い長い間、されてしまった。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。