きちがい兄貴が、きれいごとを無視して、頑固に鳴らしているんだよ。それを、とめられない。そして、他人は、それをとめなかった。他人が、きれいごとを言う権利はない。まあ、そんなの知らないから、とめられないとか、あるいは、そんなのは過去の出来事だから、とめられないというのはある。けど、きちがい兄貴が、基準を無視して鳴らしたというのは重要なことなんだよ。条例違反なんだよ。きちがい兄貴が、まず、悪いことをしている。「うち」ではきれいごとは成り立たなかった。きれいごとをガン無視して、やりきってしまう、きちがいが、きちがい行為をやり続けた。その結果、ぼくが、睡眠障害になり、生活体力障害になり、働けなくなった。それが重要なんだよ。「受け止め方をかえればいい」「他人はかわらないから自分がかわればいい」というのは、きれいごとなんだよ。ちなみに、「受け止め方をかえればいい」「他人はかわらないから自分がかわればいい」と言っている人は、無職であるぼくをかえようとした人だ。その人は、きちがい兄貴のことをどうにかしてくれたわけではない。これが、重要なんだよ。
「受け止め方をかえればいい」「他人はかわらないから自分がかわればいい」という意見には問題がある。そして、その問題は、言霊理論、思霊理論、引き寄せ理論、努力論、自己責任論にも成り立っている。精神世界のきれいごとは、実際にやられた人を追いつめるものなんだよ。言霊理論、思霊理論、引き寄せ理論、努力論、自己責任論は、自殺しそうな人を、自殺に追いつめるような理論なんだよ。これ、いいことをしていると本人は思っているかもしれないけど、悪いことをしている。きれいごとが成り立ってないから、こまっているんだよ。きれいごとが「うち」で成り立っていないから、自殺したいと思っているんだよ。きれいごとが「うち」で、成り立っていないから、普通に働けなくなってこまっているんだよ。それに、きれいごとをウワノセしたってしかたがない。やられているやつが、さらに追いつめられるだけだ。「できない」と言っている相手に、「できると言えばできる」「できないと言うからできない」と言うのは、 「受け止め方をかえればいい」「他人はかわらないから自分がかわればいい」と言うことと同様に、おろかなことなんだよ。