ああいう態度で、鳴らしている……よそではありえない音で鳴らしている家族……が……いないやつら……よその人が……「愚痴を言っている」と言ってくる始末だ。俺が、ずっとずっと、十数年間我慢して、よその人には、言ってこなかったのに……重要な他者にしか言ってこなかったのに……そのあいだずっとずっとずっと……我慢して……他人……よその人からみて、愚痴だと思われるようなことを言ってこなかったのに……限界になって……きちがい兄貴のことについて語りだしたら……よその人だって実際にやられて生活と人生を破壊されれば……破壊されたと言わなければならない場面に遭遇して破壊されたと言うようになるのに……その、よその人が「愚痴を言っている」と思うわけだからなぁ。
こんなのない。
よその人というのは、自分がやられたら、もっともっともっともっと、愚痴を言うのに、俺が、愚痴を言っていると思うわけだからなぁ。ヘビメタ騒音のことについて語らなければならない場面というのはある。
たとえば、「どうして、働いてないんだ」「どうして働かないんだ」と訊かれる場合だ。訊かれたら、こたえなければならなくなる。ヘビメタ騒音ついて語らなければならなくなる。働けない理由がヘビメタ騒音だからだ。
ところが、他人は、俺が愚痴を言ったと判断するのだ。ヘビメタ騒音なんてたいした理由じゃないのに……働けなくなるような理由じゃないのに……ヘビメタ騒音を理由にしてさぼっている……と判断するのだ。
そういう判断をした他人だって、ほんとうに、きちがい家族に、あの態度で、あの騒音をあびせられれば、働けないからだになる。どれだけ努力しても、働けないからだになる。
努力の過程が、じつは、不可避的に働けないからだをつくりだす。
ところが、やられてないから、わからない。自分の身に起こったことじゃないから、わからない。自分の身に起こったことじゃないというのは、それだけ、きちがい兄貴の態度が、レアな態度だということだ。ようする、めずらしいのだ。よそでは、起こりえないことなのである。実際に、よそでは起こらないから、よその人は経験してない。経験してないからわからない。
自分の身に起こったことではないので、つたない想像力しか持ってないものだと、ヘビメタ騒音のことがまったくわからない。ヘビメタ騒音の影響がわからない。ヘビメタ騒音の影響の大きさがわからない。
どうしたって、働けないからだになる……ということが、まったくわからない。
どうしたって、だれだって、あのレベルでずっと長い間、自分がこの世で最も苦手な音を、至近距離で聞かされ続ければ、通学通勤ができない状態になる……不可避的にそういう状態になる……ということが、わからない。
わからないだけなのに、無視しているから、俺がさぼっているように見えるのだ。
「無視している」というのは、ヘビメタ騒音の「影響のでかさ」を無視しているということだ。俺がヘビメタ騒音を理由してさぼっていると思うのだ。こういうやつが、えらそうなことを言う。じゃあ、どうしてそういう事態になっているのかというと、そういうやつらが経験しないような騒音がずっとずっと鳴っていたからだ。
きちがい兄貴がレアだから、きちがい兄貴によってもたらされるような騒音を、その人たちは、経験してない。経験してないからわかってないだけなのに、えらそうなことを言う。えらそうなことを言ってくる。
こんな地獄があるか?
きちがい兄貴は鳴らしていただけだけど……不自然なほどでかい音で鳴らしているということを無視して、よくある騒音だとおもっ鳴らしてきただけだけど……こっちの言い分を無視して鳴らしてきただけだけど、そういう効果があるのだ。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で鳴らすと、きちがい的な家族にやられたことがない人が、必然的に誤解をしてくるのだ。
多くの他者……九九・九九%以上の他者にとって、ヘビメタ騒音は、ひとごとだ。九九・九九%以上の他者にとって、そんなことは、発生しなかったことなのである。
発生しなかったら、そりゃ、小さく見積る。小さく見積るだけではなくて、無視する。ほんとうは、きちがいヘビメタ騒音の効果を無視しているのに、自分はヘビメタ騒音のことを『理解した』と思うだ。
この理解のなかには、じつは影響まで含まれている。ところが、影響については、ごっそり、ぬけおちているのだ。ようするに、理解したつもりになっているけど、ぜんぜん理解してない。
ヘビメタが鳴っていたということは、文として理解したけど、ヘビメタ騒音の影響については、自分がまったく感じてないので、自分がまったく感じなかったという意味で、ガン無視しているのだ。
こいつらのなかでも、ヘビメタ騒音の影響はないことになっている。
自分が、経験してなかったことだから、まったくわかってない。
だから、自分の身の上にしょうじなかったこととして、理解している。日本語の文として理解しただけなのだ。その意味は、文としての理解にとどまる。
「鳴ってたんだな」ということは理解したけど、「その影響」は無視しているのだ。
どうして無視できるかというと、実際に鳴ってなかったからだ。
けど、ぼくは、無視できない。
どうしてかというと、実際に鳴ってたからだ。
これが、よその人にとってみれば、自分とエイリさんの『格』のちがいだと思えるのだ。自分なら気にしないでちゃんとやれるけど、エイリさんは、だめだからちゃんとできないのだと、判断してしまう。
どこまで意識しているかどうかわからないけど、夜郎自大で想像力がないやつらばかりなので、そうなる。
まあ、「無意識的に判断してしまう」と書いてもいいのだけど、この無意識は、きちがい兄貴の無意識とはちがう。ぜんぜんちがう。ぜんぜんちがうので、無意識というおなじ単語を使っていいものかどうかまよう。
ともかく、本人は、あんまり、意識してないのだけど、ぼくのことを、見下すのだ。
「自分は能力があるけど、エイリさんは能力がない」とか「自分は愚痴を言わないいい人間だけど、エイリさんは愚痴を言う悪い人間だ」とかと……くそ凡人が判断するのだ。
その判断をどの程度、くそ凡人が認識しているかどうかわからないけど、ともかく、そういうふうに判断する。その判断が、特に自覚されない判断なのだけど、ぼくに対する「態度」に反映する。ぼくに対して、「言うこと」に反映される。
実際に、きちがい兄貴にやられて、きちがいヘビメタ騒音生活をしたら、一年ぐらいで自殺してしまうような、弱い他人が、俺に対してえらそうなことを言ってくる。ぜんぜん能力がちがうんだよ。
十数年にわたって、毎日やられたのに、生きているということ自体が奇跡なんだよ。凡人だったら、絶対に自殺しているか、絶対に、きちがい兄貴を殺している。そういうバットエンドだと思う。
けど、能力的には、そうなるしかないような弱い他人が、えらそうなことを言ってくる。
この俺に言ってくる。
こんなの、ない。
実際に、きちがいヘビメタをやられて、さまざまな能力をうなっている。ところが、他者というのは、そのことを認めない。ヘビメタ騒音でさまざまな能力をうしなっているということを、認めない。
ヘビメタ騒音でさまざまな能力をうしなって、働いていない状態になっているのに、そのことがわからない。
自分だったら、働ける……という前提でものを言ってくる。
どうしてかって、凡人だから、実際に自分が働いていれば、そういうことがあっても働けるにちがいがないと思うのだ。凡人並みの思考力しかないから、そういうふうに考えてしまう。
自分だってそういうことがあったら働けなくなるという前提で、ものを言ってきた人というのは、ほんとうに数えるほどしかいない。割合にすれば、九九、九九九九九%ぐらいの人が、『自分だったらそういうことがあっても働ける』という前提で、ものを言ってくる。
自分だったら、そういうこと……ヘビメタ騒音があっても働ける……のだから、働けなくなっているエイリさんより自分のほうが能力があるということになる。
さらに、スーパーマンで、いい人で?……自分だったら、そういうことがあっても、愚痴を言わないでたえることができるということになっているのだ。
自分のほうが能力があるから、そういうことがあっても働ける……。実際に働けなくなっているエイリさんはだめな人間だ……。自分のほうが人格的すぐれているので、そういうことがあっても、愚痴なんて言わない……。
こういう前提で、ものを言ってくるやつが多かった。
そいつらの多くが、言霊や努力論にこっている。言霊や努力論が正しいと思っているようなやつらだ。トリックに気がついてないのだ。そういうレベルの思考力しかないやつらだ。