2024年5月17日金曜日

因果関係的に「マイナス」である赤ちゃんになってしまう

 たとえば、生まれたばかりの赤ちゃん。生まれたばかりの赤ちゃんは、「因果応報」というようなことを考えた場合、ゼロなのである。プラスマイナス・ゼロ。ゼロの状態でうまれてくる。「やってない」。

たとえば、きちがい的な父親がいたとする。そのきちがい的な父親は、そのきちがい的な父親にとって、妻である女性が、自分の世話をしなければならないと思っているとする。赤ちゃんの世話よりも、自分の世話に集中するべきだと思っているとする。この父親は、赤ちゃんにかまっている妻のすがたを見たら、発狂するのである。

どうしてかというと、自分の世話を知るべきなのに、赤ちゃんの世話をしているから気にくわないのである。発狂して、赤ちゃんと妻をせめる。

このきちがい的な父親にとってみれば、赤ちゃんは、邪魔な存在しでしない。邪魔な存在は、むかつくのである。

なので、発狂して、「あれが気にくわない」「これが気にくわない」と赤ちゃんにあたる。

べつに赤ちゃんが、きちがい的な父親に悪いことをしたから、それがきちがい的な父親の攻撃としてかえってくるというわけではないのだ。

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「因果応報」と言う考え方にとらわれている人が、因果関係を考えると、さきに、赤ちゃんが、きちがい的な父親を攻撃したから、赤ちゃんに、きちがい的な父親が攻撃をしているということになってしまうのである。

「そこにいるのが気にくわない」という理由で、攻撃される赤ちゃんは、いる。幼児だっている。この赤ちゃんや幼児が、なにか悪いことをしたから、それが、この赤ちゃんや幼児にかえってくるのか?

ちがう。別の理由で、攻撃されているのである。問題は、攻撃しているほうにあるのである。なので、因果応報的に、ゼロである状態でも、攻撃されることはある。

「やられる」ことはあるのだ。

 

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しかし、ここで、カルマとか、うまれかわりとかということを考えると、この不条理が、説明できる。かたちのうえの説明だ。

しかし、信じている人は、信じてしまうので、カルマを利用した説明が正しいと思ってしまう。

たとえば、その赤ちゃんは、前世で、その父親に悪いことをしたのだという説明をすれば、カルマとかうまれかわりを信じている人は、「なるほど」と納得してしまう。

じつは、その赤ちゃんは、ゼロではなかった。前世で、悪いことをしていたからマイナスだったということにしてしまうのだ。そうすると、現象が「いちおう」は説明できる。不条理が不条理ではなくなる。

けど、このカルマとかうまれかわりとかという話は、妄想の話なのである。そんなの、証明できるわけがない。勝手に、カルマとかうまれかわりを信じている人たちが、つくったことだ。

だから、この点でも、精神世界の人は、人にぬれぎぬを着せている。

悪いことをしてない人を悪いことをした人にしてしまう。「前世で悪いことをしたから」「今世でそうなっている」と考えてしまう。

いったん、そういう視点を獲得してしまうと、かわいそうな赤ちゃんは、かわいそうな赤ちゃんではなくなるのである。そういう視点を獲得すると、 因果関係的に「ゼロ」である赤ちゃんは、因果関係的にゼロ」である赤ちゃんではなくて、因果関係的に「マイナス」である赤ちゃんになってしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。