いろいろなドラマや映画を見て、思う。「わかいって、いいなぁ」……。きちがいヘビメタで、めちゃくちゃだった。俺のわかいときは、ヘビメタ騒音でめちゃくちゃだった。ヘビメタ騒音がなければ、わりと、めぐまれていたと思う。けど、ヘビメタ騒音ですべてが、ゼロになる。マイナスになる。これ、実際にやられてない人しかわからない。実際に、きちがい的な家族と一緒に住んでいる人しかわからない。けど、「俺だって、騒音ぐらいある」と言えば、それで、同等の騒音をあびたけど、がんばっているというとになってしまう。影響をうけないですごすことは可能だということになってしまう。ところが、無理なんだよ。けど、実際には、きちがい的な家族と一緒に住んでない人は、それがわからない。やられてないからだ。やられてないから、わからないだけなのに、「俺だって、騒音ぐらいある」「騒音が鳴ってたって宿題ぐらいできる」「騒音が鳴っていても、遅刻せずに通うことは可能だ」「騒音が鳴っていても、影響をうけないようにすることは可能だ」「騒音が鳴ってたとしても、注意力散漫になるのは、エイリが悪い」と考えてしまう。住んでないからわかってないだけなのに……。あんな気持ちで、女の子とつきあえるわけがないだろ。きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじで、どけりぶりを発揮する。こっちがどれだけこまっていても、一〇分間だろうが、ゆずらない。こっちにとって、重要な一〇分間、やられる。家を出るまでに一〇分間かかるとして、一〇分間ずっとやられる。そのまえからやられているわけだけど、「一〇分間でいいから、用意をするときだけ静かにしてくれ」と言っても、きちがいが、きちがい感覚で鳴らしきるのである。こころはめちゃくちゃだ。騒音で傘だけじゃない。こういう態度で、こころがめちゃくちゃだ。「よその人」にあうとき、いつも、緊張してあっているのである。「よその人」にあうとき、いつも、きちがい兄貴やられたことで、頭がいっぱいで、腹がたっている状態なのである。そして、腹がたっている状態を……かくしている状態なのである。緊張感、あるだろ。この緊張感がいやなんだよ。この緊張感がある状態で、よその人とあっていても、おもしろくない。怒りをあらわにしないように、最大限、気をつかってあっている。それも、十数年続いたら、もう、最初のころとは、ちがうものになっているんだよ。これもわからないだろうけど……。けど、十数年続いたとき、俺が無職なのだから、「よその人」は、そこをついてくる。気をつかったって、相手は、無職に対するその人の偏見をぶちまけてくる。ヘビメタ騒音のことについて話しても、「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「どれだけ鳴ってたって、そんなのはたいしたことがない」「影響をうけないことは可能だ」という前提でものを言ってくる。これは、何度も言うけど、失礼なことだ。俺に対して失礼なんだよ。けど、そいつは、俺に対して室れないことをしたと思うか? 思わない。ともかく、こういう思考力がないやつらは、まったくわからないと思うけど、ただひとつ「よその人とあう」ということだって、きちがいヘビメタ騒音の影響がある。きちがいヘビメタ騒音の長さが、ぼくの精神や体力状態に影響をあたえる。そして、十数年たてば、もちろん、属性的な意味での立場に影響をあたえる。
ともかく、一日目からして、ヘビメタ騒音のなかから、出ていって、よその人にあうということは、とても緊張することなのである。怒りを隠すので、いっぱいなのである。目の前の人の言っていることに、集中しているようでも、頭のリソースの九割以上が、ヘビメタ騒音と、きちがい兄貴の態度に、さかれる。そりゃ、重要なことがあるから、しずかにしてくれと言っても、一〇分だって、しずかにしてくれないという態度には腹がたつだろ。用意する時間だけしずかにしてくれと言っても、例外なく、一〇分だって、しずかにしてくれないという態度には腹がたつだろ。悪いことをしているのだから……。ゆずると言っても、全部ゆずって、やっとプラスマイナスゼロなんだよ。そして、やっていた時間……やっていた過去の時間はすべて、大きくマイナスなんだよ。ところが、マイナスのことをやっているやつが、威張っている。まったくゆずらなくてもいいと思っている。このきちがい妄想を、ただすことができないのである。どれだけ言ったって、きちがいはきちがいだから、きちがい的な思考をして、認めないんだよ。
わかいときの時間を、全部こういうふうにして、とられた。いつも頭のなかは、きちがいヘビメタ騒音のことでいっぱいだ。人とあうまえに、きちがいヘビメタ騒音のなかから出ていくというのが、めちゃくちゃにすごいことなのである。発狂して、きちがい兄貴を刺し殺したい気持ちをがまんしてがまんして、人にあうのである。こんなのない。