昨日の散歩。歩いているときの俺の気分が、俺の気分だからなぁ。あーー。けっきょく、あの気分なんだよ。
そりゃ、きちがい家族が、「こっちがこまっていることを」がんがんやり続けたら、あんな状態になるだろ。きちがいしか思いつかないような音で鳴らしている。きちがい感覚で鳴らしている。
あんなにでかい音で鳴らしておいて、でかい音で鳴らしているという自覚が、まったくない。普通なら、言われなくても、相手がこまるということがわかるのに、「スイッチが入った」から、まるでわからない。
自分が、「いろいろな条件」を無視してやりたいと思ったら、スイッチが入るんだよ。
そうしたら、普通の人だったら、絶対に思いつかないことをする。普通の人だったら、やりたくても、「いろいろな条件」が気になって、できないことを、頑固に、やる。
そして、自分がやっているということが、わからない。
そして、「やめてくれ」と言われると、発狂する。このとき、相手が言っている内容がわかっているのかというと、意識的には、わかってない状態だ。無意識的にはわかっているのだけど、意識的にはわかってない。
だから、内容はわからないけど、「なんだか頭にくる」から、発狂しているだけだ。そういう状態になる。
いちおう、これは、兄貴の話だけど、親父もまったく同じなのだ。
ネズミシートのことだって、皿の上にのせた魚を一日に二三(にじゅうさん)時間、出すことにこだわることだって、おなじなのだ。きちがい親父が、ネズミの糞のことをぜんぜん気にしないとおなじなのだ。
どれだけ「ネズミの糞が増えた」「このままだと増え続ける」ということを言っても、きちがい親父は気にしない。
普通の人だったら、言わなくてもわかることだし、普通の人だったら、気にすることだ。
ところが、きちがいだから、きちがい思考で気にしない。スイッチが入っているからなぁ。
兄貴も、親父とおなじように、「自分のでかい音」は、気にならないんだよ。最初から、普通の人だったら「これはまずい」と思うような「でかい音」で鳴らして、絶対に気にしない。
どれだけこっちが言っても、気にしない。
普通の人がやらないことを思いついて、頑固にやってしまう。
しかも、本人のなかではやったことになってないのである。
これも、普通の人にはわからない。「本人が意地になってやったことは、記憶に残るはずだ」「やったのにやってないと思うことはできないはずだ」ということになっている。
そういうふうに「思える人」の推論は、全部まちがうのである。理論的にすべてまちがうのである。きちがい兄貴やきちがい親父の行為に関する、「よその人」の推論は、理論的に、すべてまちがうのだ。
そして、「よその人」だって、自分がまちがっているとは、自覚できない。自覚できるわけがない。自分は、正しいままなのだ。
だから、たしょう、「態度」が似てくることになる。
けど、よその人は正常で、きちがい兄貴ときちがい親父は、異常なのだ。けど、よその人は、これまた、きちがい兄貴ときちがい親父と一緒に暮らしたことがないので、具体的には、自分経験を通して、「きちがい兄貴とやら」と「きちがい親父とやら」が、どういうふうに異常なのかわからない。
繰り返しになるけど、よその人は、『うちの父』と『うちの兄』について考えるときも、『普通の父』や『普通の兄』について考えてしまうのだ。兄とか、父とか、家族といった、抽象的な言葉は、そういう問題を含んでいる。
推論をしているとき、「うちの、父とうちの兄は、異常なんだ」ということを、ぼくが言ったとしても、どうしても、具体的な異常な父や、具体的な異常な兄のイメージがわかず、普通の人における、普通の父や、普通の兄から、抽象的にイメージするモデルとしての父や、モデルとしての兄について考えてしまうのだ。
だから、「へんなのは兄や、父ではなくてそういうことを言っている、エイリさんなのではないか」という考えが浮かぶのである。
* * *
それから、これは、非常に、説明しがたいことなのだけど、「父親の悪口を言っているやつなんて、だめなやつだ」というような感じ方がある。うちの父について、嘘を言わずに、ほんとうのことを話してしまうと、俺が(エイリが)「父親の悪口を言っている」と判断してしまうやつがいる。
こういうやつが、どれだけ、「俺だって父親とけんかしたことはある」ということを言ったって、こいつの父親が、正常なのがわかる。
きちがい家族……きちがい的な父親が、どんな行為をするのか、こいつらは、ぜんぜんわかってないなぁ。
これ、異常な家族にたたられた人を、悪く言う思想なんだよ。「父親の悪口を言っているやつはだめなやつだ」と考えるやつが、だめなんだよ。
まあ、いろいろと説明すると、「父親の悪口を言っているやつはだめなやつだ」と言ったやつのなかには、こんどは「そんなのは父親じゃない」と言い出すやつがいる。これも、ひどいんだよな。こういう論法。こういう反応……。
これ、なにが問題なのかわからないだろ。
もう、それで、きちがい家族にたたられたことがあるやつか、きちがい家族にたたられたことがないやつか、判断できる。リトマス試験紙よりも正確だよ。
きちがい家族にたたられたことがないやつが「俺だって家族とケンカしたことがある」「俺だって、父親とのトラブルを経験したことがある」と言ったって、そんなのは、ぜんぜんちがうことについて語っているのだということが、手にとるようにわかる。
「父親の悪口を言っているやつはだめなやつだ」なんて言っているやつは、わからないだろ……。これ……。言ってるやつは、わかってないよ。
ちがいがぜんぜんわかってない。
* * *
続柄が親なら、親なんだよ。子どもが未成年のときに、「家族やめます」と言ってやめることができるかというと、できないんだよ。そういうことでも、会社と家族はちがう。会社は、自分の意思でやめられるけど、家族は自分の意思でやめられないことが多い。そして、会社の場合は、選べるけど、家族は選べない。ぜんぜん、条件がちがう。だから、家族がもたらす苦労と、仕事がもたらす苦労は、ちがう。